解離性障害(Dissociative Disorder)
解離性健忘(Dissociative Amnesia),解離性遁走(Dissociative Fugue)
解離性同一性障害(DID:Dissociative Identity Disorder)

『解離』は、分離と似た意味で、『私』というまとまった統一性のある意識や記憶が、バラバラになってまとまりを失ってしまう心理的現象のことです。解離のイメージは、整然と結合して統一感のあるまとまったものが、バラバラに解き放たれて分離していくといった感じです。

解離(解離性障害)とは、精神医学的には『意識、記憶、自我同一性あるいは環境の知覚といった通常は統合されている心的機能の分離分割や破綻・障害』の事を意味します。

解離そのものは、おそらく誰もが経験した事がある心理状態で、分かり易く言うと『頭がぼんやりとして、靄(もや)がかかったような感じ。今にも眠ってしまいそうな意識が遠のいている感じ。周囲の他者や世界のリアリティが弱くなって、自分と世界が切り離されているような夢見心地』といった『ぼんやりとした現実感の薄らいだ感覚』の事です。

日常生活の中で経験されるような具体的な例を挙げると、『退屈な授業を聞いている間に、先生の声が遠くなって想像の世界でぼんやりとしている』、『高速道路を同じ単調なスピードで走り続けていて、時折、ボーッとした心理状態になる』、『静かな室内で、好きな音楽を聴きながら空想に耽っている』、『好きなアーティストのライブで、大音量の音楽を聴きながら恍惚感を感じて陶酔している』、『1つの物事に集中している時に、周りの世界が意識に入ってこなかったり、何かを真剣に考えている時に、友人が呼ぶ声に気付くのが遅れたりする』といった誰もが一度は経験した事がありそうな『解離体験』を挙げる事が出来ます。

解離という心理現象は、元々、外部からの攻撃や非難から自分を守り、嫌悪する出来事や過去の苦痛な記憶から自分を引き離して心の平安を保つ為の『心的防衛機制』の一種だと考えられます。つまり、解離はその程度や現れ方が極端で日常生活に支障を与えない限りにおいては、自分の心の安定を守ってくれる有益な心的現象であると言う事が出来ます。

しかし、上記のように解離には『正常な解離』もある一方で、日常生活を送る事を困難にする『病的な解離』も存在していて、解離の程度が、質的にも量的にも激しくなり、その解離現象を本人が苦痛に感じたり、周囲の生活環境に適応できなくなったりすると『解離性障害』という心の病気になります。

解離性障害に罹りやすい人の特徴として、当然の事ですが、『解離状態になりやすい傾向』があります。解離状態になりやすい人は、人為的に意識水準を低下させて解離現象を起こす催眠に入りやすかったり、読書や映画の世界を現実の世界と同じように感じてのめり込みやすかったりします。こういった解離状態になりやすく、催眠などの暗示にかかりやすい性質を、催眠感受性が高いという風に言う事もあります。

また、病的な解離性障害を引き起こす原因として最も多いのは、過去の非常に深刻でつらい体験によって受けた心の傷である『トラウマ・心的外傷』です。

解離は本来、自分自身を苦痛や悲しみ、攻撃から守る自我防衛機制としての働きを持っていますから、過去に虐待やいじめ、暴行といった外傷体験をして受けた耐え難い苦痛や無力感、絶望、悲しみといった感情を伴う記憶を『解離という防衛機制』を用いる事で自分とは関係がないものとして切り離してしまうのです。

不安障害や転換性障害(従来の神経症)をはじめとする多くの心の病気には、『思い出したくない嫌な記憶・受け入れ難い不快な感情・認めたくない自分の気持ち』を自分の意識領域から排除して抑圧し、自分自身でも気付かないようにしようという種々の防衛機制が働いています。

極度の危機的な外傷体験をして、そこから生じる苦痛や不安、悲哀、恐怖などの絶望的な感情状態を何とかして忘れよう、回避しようとする『耐え難くて苦痛な現実及び過去の記憶からの逃避を目的』とする心の働きが限界に達すると、解離性障害、PTSDをはじめとする神経症的な症状や心身症の身体症状(消化器・呼吸器症状、頭痛、動悸、手足の麻痺、発汗など)が現れてきます。

解離性障害の代表的なものには、以下のようなものがあります。

1.解離性健忘(Dissociative Amnesia)

解離性健忘は、本人にとって耐え難い苦痛で嫌な出来事が起こった場合や解決や克服が難しい問題に直面した場合に、通常の物忘れでは説明できないほどの自分に関する事柄の記憶喪失(健忘)を起こすものです。記憶喪失の多くは、つらくて思い出したくないような心的外傷体験に関係したものだったり、困難な状況に直面してから以後の一定期間の記憶だったりします。

健忘というのは、ある特定の出来事や記憶を想起する事が出来ないという想起障害で、その頻度や思い出せない範囲が狭ければ、俗に言う『物忘れ』として解釈され、それほど問題となる症状ではありません。しかし、解離性健忘の場合には、自分の名前や年齢など、通常は絶対に忘れるはずのない事柄に対する記憶が忘れられているところが特徴的であり、本人の自己同一性を混乱させるので問題となってきます。

健忘の症状は、『気付くと自分が知らない場所に来ていた』『気付くと買った覚えのない物が部屋の中にあった』など、どうしてそこまで移動したのか、どうやってその品物を手に入れたのかの経緯や過程が分からなかったり、そこに記憶の空白があるといった感じで現れてきます。

解離性健忘で失われる記憶の特徴は、『名前・住所・年齢・職業などの重要な個人情報』『家族の名前・人数などの家族に関する情報』であるという点にあります。頭部外傷などによる器質性の健忘では、日常生活動作に関する記憶や知的学習によって得る一般的知識が忘れられる場合がありますが、解離性健忘の場合には、そういった生活に必要な最低限の機能や自分自身に関係のない一般知識は失われ難いという特徴があります。それは、自分が苦痛や不安、不快、屈辱を感じるような記憶を忘れたいという内面の欲求と解離性健忘が密接に関係しているからだと考えられます。日本の首相の名前やアメリカの首都、芸能人の名前などの一般知識を覚えていても、自分の感情が乱されたり、苦しめられたりする事がないので忘れる必要がないのでしょう。

『物事を忘却するという人間のこころの働き』には、元々、ある程度の恣意的な選択性があり、忘れることで心の痛みや苦しみを避けてバランスを保つという面があります。嫌悪感や不安、恐怖を感じる記憶は忘れ去られやすいといった特性がありますが、解離性健忘の場合には、自分という自我意識を解離させて現実感覚を喪失させ健忘を引き起こすところが一般的な忘却とは違います。

解離性健忘は、自分自身で『あの時のことが全く思い出せない。確かに自分が何か行動をした証拠・形跡があるのに、自分にはその時の記憶がないから変だ。友人が話している自分に関する内容の記憶がないからおかしい』というような感じで症状に対して自覚できることが多い点が、解離性遁走や解離性同一性障害と異なります。

2.解離性遁走(Dissociative Fugue)

遁走とは、『(ある環境や状況)から逃げ出す事』で、解離性遁走とは、通常の自分としての同一性を失って、突然、今までの生活の場から姿をくらまして失踪する事態のことです。

解離性遁走は、全く予期しない時に、今まで生活していた『家庭・職場・学校』から姿を消して蒸発(失踪)し、本人はそれまでの個人情報に関する生活の記憶を全て失ってしまい、自己同一性が混乱している事が殆どです。混乱した自己同一性を回復する為に、今までとは違う新たな自己の同一性を装おうとする行動もしばしば見られます。

但し、自分の名前や住所は思い出せなくても、一般的な日常会話に必要な記憶や公共交通機関の利用方法などに関する知識は残っているので、解離性遁走で失踪中の人に他の人が話し掛けても異常に気付く事はなかなか難しいのです。『何となくぼんやりとした表情で話す変わった感じの人だな』といった印象を持たれる事はあるかもしれませんが、基本的に意味不明の言葉を発したり、奇妙で奇矯な言動をする訳でもないので、一見すると普通の人と変わりなく見えます。

時には、失踪して辿り着いた新たな場所で、今までとは違う自己同一性を形成して、仕事に就いたり、家庭を持ったりして新たな生活を始めてしまう可能性もあります。しかし、失踪以前の自分の記憶を取り戻して、本来の自己同一性を回復すると、解離性遁走で失踪していた期間に起きた事柄の記憶を失って思い出せなくなる事が多いのです。

解離性遁走に似た症状が、側頭葉てんかんなどの器質性の脳疾患でも起こる場合がありますので、症状の識別の為には内科的・神経科的な身体検査を受けたほうがいいでしょう。

3.解離性同一性障害(DID:Dissociative Identity Disorder)・多重人格障害(Multiple Personality Disorder)

以前は、多重人格障害という名称が使用されていましたが、アメリカ精神医学会の診断マニュアルであるDSM-Ⅳでは、1994年から『解離性同一性障害:DID』という名称が統一的に使用されています。

解離性同一性障害は、俗に言う多重人格の事で、『一人の人間の内面に明確に区別できる二つ以上の人格状態あるいは同一性が存在』する解離性障害です。

何故、一人の人間の中に複数の『人格状態あるいは同一性が存在』するという表現をして、一人の人間の中に『複数の人格が存在』するという表現をしなかったのかというと、解離性同一性障害で現れる複数の別人格は『人格』と呼べるほどに独立した統合的な存在ではないからです。

複数の別人格状態は、元々の不安定な人格から分離した『人格の断片や側面』といった性質を持つものが多く、統合的な独立した人格が持つ『思考・感情・意欲・意識・記憶・行動・知覚といった諸機能』の全てを持っている別人格は殆どいないからです。よって、ここでは『別の人格』という表現を用いずに、『別の人格状態あるいは同一性』という表現を用いたいと思いますし、その表現を用いる理由としては上記のような事があるわけです。

解離性同一性障害をより良く理解する為には、『自我同一性(アイデンティティ)』という概念の意味をしっかりと把握している事が必要です。自我同一性(アイデンティティ)とは、『自分が自分である事を、連続した記憶の中で一貫して認識している事』です。

自我同一性は、自我(私)の精神機能である記憶・思考・感情・行動・意欲といった諸機能の統合によって成り立っています。自我同一性があるからこそ、『昨日の私』と『今日の私』と『明日の私』が連続して同じ人格を持った個人として自己認識でき、他人からもいつでも『同じ私』として会話をしたり、触れ合ったりして貰えるのです。

しかし、『昨日の私』の記憶が失われていたり、自分の名前や家族の名前が思い出せなかったりする場合や所属する学校や企業を完全に忘れてしまったり、怒っている時と喜んでいる時の私がまるで違う人であると感じる状態、向き合う相手によって態度が変わるのではなく人格状態が変わったりするという事があれば、自我同一性が確立されていないか、自我が解離して同一性が障害されている解離性障害の状態であるという事になります。

通常の自我同一性が確立されている場合には、自分自身を時間的・空間的・社会的な『一貫性のある存在』として認識する事ができ、過去から現在に至るまでの連続的な記憶を持っていて、それまでに構築してきた他者と自分の関係性を自覚していて、それに適応した対人関係を持つ事が出来ます。

解離性同一性障害では、明らかに自我同一性が障害されていて、『同一性の混乱』が見られ『私が何者であり、何処にいて、何をしたのか』という事柄に対する一貫性や記憶の連続性がありません。そういった通常は一つの人格に統合されるべき同一性が複数の人格状態(同一性)によって分割され、分有されている状態という事が出来ます。

一つの肉体と脳の中に複数の人格状態があるのですから、解離性同一性障害の患者の内面はいつも混沌とした不安定な状態で、交代人格状態同士の対立や闘争があり、絶えず心理的な葛藤や苦悩があります。意識に上がってきて、精神活動の中心となり、実際に活動する人格状態は一人に限定されますから、ある場面でどの人格が出てくるべきなのかといった内面的な葛藤がある事が推察されます。

この複数の交代人格状態の中に、本人の性別と異なる異性の別人格状態が存在する場合には、性同一性に関する葛藤や混乱が生じてくる事になり、表面に出てきた人格が本来の性とは反対の性(男であれば女)である事もよくあります。その結果、自分の性別が男であるのか女であるのか判然としないという性同一性障害に似た苦悩が生じる場合もあります。

解離性同一性障害の人は、内的世界に、複数の人格が相互的に作用して支えあう一つのシステムを構築していて、それを『人格システム』と呼びます。

人格システムの主要な構成要素は、長時間にわたって身体を支配している『主人格(ホスト人格)』と複数の別人格状態である『交代人格』、更に出生して最初に獲得した同一性である、その人の名前を持つ『基本人格(オリジナル人格)』とに分けられますが、主人格は、もっとも表面に出てきている時間が長いというだけで、必ずしも交代人格に対して優位であったり、監督下に置いて命令や指示ができるわけではない点に注意が必要です。

それぞれの人格状態の間での力関係は人それぞれであり、実際に各人格状態とコンタクトをとってみて話を詳しく聞いてみないと、人格状態相互の力関係や役割分担を把握する事はできません。また、主人格と基本人格が同一の人格である場合もありますが、本人と同じ名前を持っていてもその人格状態の趣味嗜好や性格、価値観などが異なっている場合もあるので慎重に見極めていかなければなりません。

二つ以上の人格の中には、『類型的なパターン化された人格像』がよく見られます。受動的で消極的、控えめで思慮深いといったイメージを受ける人格類型とそれとは対照的な攻撃的で能動的、支配欲求が強く衝動的なイメージを受ける人格類型の組み合わせがよく見られ、それらは相互にそれぞれの短所や弱点を補い合って支えあっていると解釈することができます。

他によく見られる人格類型として、幼児的な退行を示す未熟な依存性の強い『幼児的人格類型』や客観的に全ての人格の関係や言動を観察して、全体の批評や調整をしながらバランスを取っている『客観的分析的な人格類型』、本来の性別とは違う『異性型人格類型』がよく現れてきます。

また、全ての人格状態と接触してみて、それぞれの人格状態がその人に対してどのような役割を果たしているのか、どのようなつらくて悲惨な体験の中でその人格状態が生まれてきたのか、人格状態同士の力関係や対人認知はどのようなものであるのかなどを聞き取って、共感的な理解を示す事は、解離性同一性障害の治療上で最も大きな意義があると言えるでしょう。

主人格と交代人格の間、交代人格同士の間には、『記憶の共有』が基本的にはなく、人格状態Aがとった行動や発言を人格状態Bは覚えていない場合が多い(解離性健忘の状態)のですが、時に、複数の人格状態の間で記憶が共有され連続している事もあります。記憶が共有されている場合には、人格状態Aがどのような行動をして、何を言ったのかの全部あるいはその一部を他の人格状態も知っていて、それについて話をする事が出来るという事になります。

解離性同一性障害の人の複数の人格状態の間で、共通記憶や共通意識があるか無いかは個人差がありますが、完全に記憶が共有されて、ある期間だけの記憶に空白が生まれている場合には、解離性同一性障害ではなく、一過性の解離性健忘である可能性もあります。

人格交代がどのように行われるのかについても、突然、話し口調や表情、態度が急激に変わり、明らかに誰が見ても人格状態が変わったと分かる『顕著な人格交代』もあれば、外見上は殆ど変化がなく、記憶内容や意識状態だけが静かに交代している『静的な人格交代』もあります。

人格交代は、普段は自然発生的に起こったり、自分が強いストレスを感じて不快な感情が生まれるストレス場面で起こったりしますが、催眠療法中の被暗示性が亢進した状態や強い睡魔に襲われている時や疲労感の強い時など意識水準が低下した状態では、人格交代が通常の場合よりも誘発されやすくなります。

『解離性同一性障害は、主として幼児期の虐待やいじめなどの強いトラウマが原因となって発症するトラウマ性精神障害』で、統計的研究の結果から見ても児童虐待と非常に有意な因果関係があります。

解離性同一性障害を引き起こす原因として、最も大きいのは両親・兄弟姉妹・近親者などから受けた幼少期の性的虐待(性行為・性器接触・口腔的性行為・肛門的性行為・浣腸など)であるとされています。性的虐待に限らず、殴ったり蹴ったり、刃物で傷つけたり、熱湯をかけたりするような身体的虐待も解離性障害の原因となります。多重人格を生じやすい虐待として、狭くて暗い部屋や押入れ、物置などに閉じ込めて監禁したり、柱や木に縛り付けて身動きが取れなくして放置するといった虐待が指摘されています。

直接、暴力を振るったり身体に触れたりせず、拘束や監禁をしなくても、言葉の暴力で侮辱して馬鹿にしたり、大声で脅迫して恐怖心を抱かせたり、存在を否定するような言葉をかける精神的な虐待も解離性同一性障害の遠因となる可能性があります。

こういった幼い子どもの精神力では耐え難い恐怖や苦痛を虐待によって与えられ続けると、自分の心を恐怖から防衛する為に複数の人格を創造して、それぞれが異なった役割と生活時間を分担して受け持つ事で心の安定を何とか保とうとするところに解離性同一性障害の症状形成過程があります。

苛酷な厳しい虐待を受けた子ども達に共通してみられる特徴として抑うつ的な自己否定的な性格や自罰的で自己嫌悪の強い性格が見られ、時に虐待されていた時の光景が目に浮かんでくる恐怖感を伴ったフラッシュバックを経験する事もあります。

解離性同一性障害は、男性よりも女性に圧倒的に多い精神障害で、多くは思春期前後に発症します。情緒不安定で衝動的な行動を取り、他者に対する評価が極端で自己破壊的な自傷行為が頻繁に見られる『境界性人格障害(ボーダーライン)』との重複や診断の間違いもよく指摘されているようです。

解離性同一性障害のDSM-Ⅳによる定義

1.2つ以上の明確な自我同一性または人格状態の存在がある(その各々は、環境および自己について知覚し、思考し、関係を持つ比較的持続する独自の人格様式を持つ)

2.これらの同一性または人格状態の少なくとも2つが反復的に患者の行動を統制する。

3.重要な個人的情報の想起が不可能であり、普通の物忘れで説明できない程に強い。

4.この障害は、アルコール・薬物などの物質嗜癖による混乱やブラックアウトではなく、他の身体疾患の直接的な生理的作用によるものではない。

5.子どもの場合には、その障害が、想像上の遊び仲間または他の空想的遊びを原因とするものではない。

4.離人症(Depersonalization Disorder)

離人症とは、『生き生きとした現実感(リアリティ)を自分や外界に感じられない症状』の事を意味します。

『ぼんやりとした現実感の喪失』は、頭がぼんやりとして、自分が自分ではないような意識レベルになる『解離状態』によって起こると考えられている為、離人症(離人症性障害)は、DSMの分類では、人格障害ではなく解離性障害の下位分類とされています。

現実感が感じられなくなる対象としては、喜怒哀楽の感情を中心とした『自分の精神状態』、自分の身体が自分のものではない感じがする『自分の身体』、周囲の他者や環境などの『外部世界』があります。

意識は上述したように、『外界への意識』『自己身体への意識』『人格の意識』に分類する事ができ、離人症状とは外界・自己身体・自己精神に対する現実感の弱化であり、喪失です。

また、厳密には、外界に対する現実感が喪失する事を『現実感喪失症』と呼び、自己身体及び自己精神に対する現実感が喪失する症状を『離人症』と言います。

自己に対する離人感、外部世界や他者に対する非現実感を主症状とする離人症は、それほど珍しい精神疾患ではなく、精神症状の中では不安、抑うつに次いで多い症状が離人症です。解離性同一性障害や解離性遁走、解離性健忘といった解離性の諸症状で、離人症はほとんどの場合に付随して出現してきます。

離人症の極端な場合には、自分の意識が自分の身体から抜け出して、自分を外部から客観的に観察しているといった『体外離脱のような体験』をする事もあります。

離人症では、このような『自分を客観的に知覚して観察している感じ』を中心として『自分が自分ではない感じ。現実の世界で生きているという実感が湧かない感じ。自分が無機的なロボットになって無感情になった感じ。映画やテレビに出てくる登場人物になって演技を演じている感じ』といった感覚で表現される『自分自身(身体及び精神)への違和感や現実感(リアリティ)の弱化喪失』を経験する事が多いのです。

更に、世界全体が水の中にあるように見えたり、靄や霧がかかっていて白く霞んで見えたりする『知覚の異常や歪曲』が離人症に伴って現れる事があります。

そのような離人症の状態では、『行動する自我』『観察する自我』の分離が体験されます。

離人症は、解離性障害だけではなく、統合失調症、うつ病、パニック障害、境界性人格障害、強迫性障害、物質乱用(薬物・アルコール)などによって引き起こされる事もあります。しかし、統合失調症の場合と違って、解離性障害に伴って起きる離人症では、現実検討能力は障害されないという特徴があります。

離人症の人は、傍から見ると感情表現が乏しく、淡々と冷静に行動しているように見えますが、内面では生きているという実感や外部世界の現実感がない事に不安や苦悩、恐怖を感じていて、激しい葛藤があります。宗教的な神秘体験や解脱体験、深い瞑想状態や身体を痛めつけるような苛酷な修行の中で、離人症と同じような心理状態を体験する事がありますが、そういった宗教的超越体験は基本的に歓喜・感動や平安に満ちているのに対して精神障害である離人症は苦痛と違和感に満ちているという意味で全く異なるものです。

離人症は他の解離性障害と同じように、過去の重篤な心的外傷(トラウマ)体験を原因にして発症する事が多いので、その症状は非常につらくて苦痛なもので、時に自殺念慮が芽生え自殺企図をしたり、自傷行為に及んだりして、中には本当に自殺をしてしまう人もいます。当然、離人症によって日常生活に大きな支障が出てきて、社会的・職業的な不適応・不利益につながり主観的な強い苦悩の原因となります。

離人症の最もつらい点は、『周囲の家族や知人に、離人症特有の現実感喪失による虚無的な絶望や苦衷を理解して貰えない事』にありますので、周囲の人たちは出来るだけ積極的に話を聞いて、何とかその『リアリティのない殺伐とした生活の苦しみ』を理解しようという姿勢を持つ事が大切と言えるでしょう。

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