トラウマと解離性障害

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幼少期に負ったトラウマ(心的外傷)が、解離症状の原因となるという病因論は、精神医学者のジャネが特に強調したものです。精神科医ジャネ(Pierre Janet, 1859-1947)は、20世紀前半にフランスで活躍した精神病理学と臨床心理学の権威で、科学的な医学の見地からフロイト(S.Freud, 1856-1939)の精神分析学を強く批判した人物としても知られています。

ジャネは、独自の体系的な精神病理学を構築した研究者ですが、初期の研究では、ヒステリーと精神衰弱の病理機序(メカニズム)を研究して、共通する特徴として『過去の心的活動の強迫的反復』を挙げました。この反復する精神現象の内容の多くが、苦痛や恐怖を伴う過去の強烈なトラウマなのですが、トラウマが強迫的に繰り返される時に解離現象が発生するのです。

トラウマと解離(自我意識の覚醒水準の低下)は非常に密接な関係があり、人間は虐待や災害などの生存の危機や強烈な恐怖に直面すると、解離現象を起こしやすくなります。何故なら、解離(dissociation)は、病的な心理状態であると同時に、自分の心を外界の刺激や脅威から守る自我防衛機制としての働きも持っているからです。

解離症状(解離現象)とは、『意識(自己同一性)・記憶・感情・知覚・思考といった自我機能の統合性』が障害されて、まとまりを失っている心理状態を意味します。

解離そのものは、おそらく誰もが経験した事がある心理状態で、分かり易く言うと『頭がぼんやりとして、靄(もや)がかかったような感じ。今にも眠ってしまいそうな意識が遠のいている感じ。周囲の他者や世界のリアリティが弱くなって、自分と世界が切り離されているような夢見心地』といった『ぼんやりとした現実感の薄らいだ感覚』の事です。

私たちは、自分がどうしても認めることが出来ない苦痛な経験や思い出したくないショッキングな出来事に遭遇した時には、ほぼ無意識的に、解離の防衛機制を発動するのです。つまり、日常の覚醒水準を引き下げたり、過去の記憶を思い出しにくくすることによって苦痛や不安を和らげようとします。

しかし、トラウマが原因となっている解離現象が過度に強くなってしまうと、病的な解離症状が発症します。解離性健忘や解離性同一性障害(多重人格障害)などの精神疾患へ経過が進行した時には、解離の防衛機制を弱めて現実検討能力を強めていく形の心理療法が必要となってきます。

つまり、それまで回避し抑圧し続けてきたトラウマの記憶や感情と向き合って、その過去の苦痛な出来事を自分の歴史の一部として受容する事が、カウンセリングの主要な目標となります。しかし、過去のトラウマ体験が余りに強烈過ぎて、その過去の出来事を思い出すだけで、症状の急激な悪化が予測されることもあります。その場合には、無理して曝露療法的な記憶の再現を行うことは得策ではありませんから、心理状態が安定するまで本人が話せる範囲内の話を共感的に傾聴するようにします。

クライアントの感情や考えを無条件に受容していく支持的療法を継続する期間は、将来の認知行動療法や曝露療法に向けたレディネス(準備期間)の段階に相当します。

支持的療法(クライアント中心療法)を行いながら、トラウマを克服する為のカウンセリングの安全性と必要性を分かりやすく説明していきます。更に、現在の生活で悩んでいる事柄について話し合い、家庭や職場の対人関係でうまくいかない部分の解決も促進していきます。それらの支持的な会話や適応改善のアプローチは、トラウマで傷ついたクライアントの心を癒し、人間への信頼を回復するために行うもので、根本的原因であるトラウマそのものを克服するものではありません。

しかし、トラウマを解決する為には、トラウマを克服するカウンセリングをやり遂げられるだけの安定した心理状態をある程度作り上げる必要があるのです。そして、トラウマの苦痛の緩和と人間への信頼回復が、『将来の本格的なカウンセリング(一定の苦しみや困惑を伴う心理療法)』に耐えられる心理状態と人格構造を準備することにつながっていくこととなります。

DSM-ⅣのPTSDと解離性障害
トラウマと関連した解離症状の持つ意味

DSM-ⅣのPTSDと解離性障害

厳密には、全ての精神障害や心理的苦悩にトラウマは何らかの形で影響を与えているはずですが、現代の精神医学領域のデファクト・スタンダード(事実上の標準)とされるDSM-Ⅳ(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders, 4th Edition)では、トラウマと精神疾患の因果関係については触れていません。トラウマとの関連を明示的に記しているのはPTSD(心的外傷後ストレス障害)のみで、解離性障害とトラウマの関連については明記されていません。

アメリカ精神医学会が定義するDSM-Ⅳは、病因論を扱わず『観察可能な症状』の現象学的記述のみを行い、症状の組み合わせで精神障害を網羅的に定義したものです。ですから、ある病態の原因が何なのかをDSM-Ⅳの文面から知ることは出来ないのは当然のことになります。

その事から、DSM-Ⅳでトラウマという概念が疾患名に入っているのはPTSDだけなのですが、その他の精神障害についてもその病因にトラウマ体験を推測することは出来ます。ここで問題となってくるのは、トラウマの影響の基本的な特性が『解離』にある事がほぼ疑いないにも関わらず、DSM-ⅣではPTSDと解離性障害を全く共通性のない別個の精神障害として定義している点です。

そもそも、PTSD(Post Traumatic Stress Disorder)という精神障害は、DSM-Ⅲにおいて初めて分類定義された新しい疾病概念で、その歴史はそれほど長いものではありません。DSMでは、PTSDは、解離性障害とは別のカテゴリーである不安障害の下位分類に位置づけられています。

PTSDで発現する強度の恐怖・不安を伴うフラッシュバックやぼんやりとした現実感覚の鈍麻は、解離性の症状なのですが、DSMではPTSDの症状の中核を『過去のトラウマ体験の後遺症である不安』だと定義しています。アメリカ精神医学会でも、PTSDの診断分類には各種の議論があったものの、結果としてPTSDは不安障害の下位分類となったのです。

精神医学的な診断基準として国際的な主流となっているDSM-Ⅳでは、PTSDの診断基準を以下のように定めています。公的な証明能力や客観的な正確性のある診断は、医師などの専門家でないと行えませんので、PTSDに類似した症状で悩んでいる方などは、参考程度に目を通して下さい。

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DSM-ⅣによるPTSDの分類定義と診断基準

A.その人は、以下の二つの要素が共に認められるトラウマティック(外傷的)な出来事を体験している。
1.自分あるいは他人が、実際の死や死の脅威を感じるような出来事、または、深刻な重傷を負うような出来事を、一度または数度にわたって、体験したり、目撃したり、もしくはそのような事態に直面した。

2.その人の脅威的な事態に対する反応は、極度の恐怖、圧倒的な無力感、絶望・戦慄などを含むものである。
注記:子供の場合、こうした感情は、混乱した行動や強い興奮を伴った振る舞いで表現される事がある。

B.トラウマとなった出来事は、以下のうち少なくとも一つ以上の様式で再体験される。
1.その出来事の反復的、侵入的で苦痛を伴った想起がある。その想起は、イメージ(表象)、思考、ないしは知覚の形をとる。
注記:幼少の子供の場合には、遊びの中でトラウマとなったテーマ(主題)や出来事の一部が反復的に表現されることがある。

2.その出来事に関係した、苦痛を伴った悪夢の反復。
注記:子供の場合は、その悪夢の内容をはっきりと把握できない場合がある。

3.トラウマとなった出来事が、あたかも今、現実として目の前で繰り返されているかのような行動や感情が生じる。
ここでは、トラウマとなった出来事を再体験するという感情、錯覚、幻覚、そして解離性フラッシュバックのエピソードを含む。この現象は、覚醒時でも、もしくは薬物やアルコールなどに影響を受けた場合にも生じうる。

4.トラウマとなった出来事のある局面に類似していたり、その出来事を象徴するような内的、外的なきっかけに曝露されたときに生じる強烈な精神的苦痛。

5.トラウマとなった出来事のある局面に類似していたり、その出来事を象徴するような内的、外的なきっかけに直面したときに生じる顕著な生理的反応。

C.トラウマに関連した刺激の恒常的な回避、及び、反応性の全般的な麻痺(これらは、その体験以前には存在していないものである)が、以下のうち少なくとも三つ以上みられる。

(1)トラウマに関連した思考や感情や会話を避けようとする努力。

(2)トラウマを思い出させるような行動や場所や人を避けようとする努力。

(3)トラウマの重要な場面や体験の想起不能。

(4)重要な活動に対する関心の低下、参加意欲の著しい減退。

(5)他人との疎遠感もしくは隔絶感。他人から孤立している感覚。

(6)感情の範囲の縮小・情動機能の制限(例えば、他人への愛情や信頼感を持てないなど)

(7)将来が短縮した感覚・未来に対する悲観的な閉塞感(例えば、仕事を持ったり、結婚をして子供を持ったり、といった一般的な人生過程を期待しなくなる。平均寿命まで平和に生きられるなどとは思えないなど)

D.(トラウマ体験以前には見られなかった)継続的な覚醒亢進状態が見られ、以下のうち少なくとも二つ以上があてはまる。

(1)入眠もしくは睡眠持続の困難。

(2)イライラや怒りの爆発。

(3)注意集中の困難。

(4)過剰警戒。

(5)極端な驚愕反応。

E.障害(上記のB、C、D、の症状)が、一ヶ月以上継続していること。

F.障害のために、臨床的に顕著な苦痛が生じていたり、社会的・職業的もしくはその他の重要な領域で、機能的な障害あるいは生活上の困難が生じていること。

解離症状を測定評価する心理検査であるDES(Dissociative Experience Scale)などを用いた統計学的調査によると、幼少期に、各種虐待や家庭内暴力、性犯罪の被害などのトラウマ体験を持つ人たちは、解離症状を発現しやすくその強度も強いことが分かっています。

幼少期のトラウマは、当然、PTSDの原因になるのですが、同時に、解離性障害の症状を形成する要因ともなっている点には十分注意する必要があります。児童虐待の体験者やアダルト・チルドレンの人たちの中で性的虐待のトラウマが強い人は、特に解離を発現しやすくなります。

特に、性的虐待を受けた人たちは、自分の心を虐待体験の恐怖や屈辱から守る為に『解離性同一性障害』を発症するリスクが高くなるという研究結果がアメリカでは多く発表されています。解離性同一性障害や解離性健忘、解離性遁走については、『解離性障害』のページを参考にして下さい。

広義の解離症状には、離人症性障害も含まれますが、解離によって生まれる苦悩や虚無感は、離人症的な『現実感覚と他者のリアリティの喪失・自己の心身の自己帰属感の消失』にあると考えられます。つまり、意識がぼんやり遠のくような解離状態にあるときには、現実世界に確かに生きているのだという実感や生き生きとした新鮮な現実の知覚が失われ、友達や家族の存在にも現実味がなくなってしまうということなのです。

更に、自分の身体が何だか自分の身体でないような感じがしたり、自分の感情体験に真実味や深刻さが感じられなくなって、白昼夢を見ているような非現実感に捉われてしまうこともあります。解離性障害や離人症の苦しみの中心にあるものは、『自己・世界・他者からの疎外感や孤立感』だということが出来るでしょう。

トラウマと関連した解離症状の持つ意味

幼少期やそれ以後の発達段階で受けたトラウマは、往々にして解離性障害に行き着かないまでもある種の解離現象をその人にもたらします。ここでは、そのトラウマと関連した解離症状が、その人の精神構造や生活適応にとってどのような意味を持つのかを簡潔にまとめようと思います。

自我防衛機制としての解離

解離は、苦痛で耐えがたい過去の出来事の記憶を自分の記憶から排除して想起し難くする働きを持ちます。同時に、人格や意識、記憶、認知といった精神機能の統合性を障害する解離は、不快な怒りと悲しみに満ちたマイナスの感情を抑圧し、不快な屈辱と無力感に覆われた感覚を忘却させます。

親から最も愛され保護されるべき子どもが、身体的・精神的・性的虐待やネグレクト(育児放棄)を受けた場合には、認め難いトラウマ体験を否認する自我防衛機制が働きます。その結果、虐待を受けている間、自分の身体や感情が自分のものではないような解離現象が起きたり、今、起きている虐待が現実のものではないかのような離人症のような錯覚が生まれたりします。強力な解離状態を自分自身で作りだすことが出来る子どもの場合には、激しい暴力を受けても全く痛みや恐怖を感じなくなります。

この防衛機制によって、感覚鈍麻や無感覚状態に至ることさえあります。しかし、この状態が長く続くと、離人症状態に陥ると同時に、重篤な抑うつ感や深刻な虚無感が生起してきます。その結果、人生を生きる楽しさや充実感を全く感じることが出来なくなってしまう恐れさえあります。トラウマによる解離現象には、早い段階で、カウンセリングや心理療法など適切で十分なケアを行う必要があります。

トラウマが余りに強烈なものになると、トラウマ体験をした期間の記憶だけがすっぽり抜け落ちて空白になっていたりもします。これは、解離性障害の一つ『解離性健忘』に非常に良く似た状態であり、過去のトラウマにまつわる記憶を意識領域から排除して、自分の人生の歴史から末梢することでトラウマの苦悩や絶望を抑止しようとする防衛機制だと考えられます。

しかし、これらの現実否定的あるいは現実逃避的な自我防衛機制は万全なものではありませんから、本人がトラウマに関する感情や記憶を全く意識することが出来なくても、様々な形で心身の不快な症状が出てきます。

否認や抑圧の防衛機制が強くて、自分自身が、過去のトラウマ体験を完全に忘れ去ってしまっている場合には、その不快な症状の原因が何なのかを即座に特定して理解することは通常できません。原因不明のフラッシュバックやパニック症状、強迫的な恐怖感などに対するカウンセリングがきっかけとなって、少しずつ過去のトラウマ体験の存在が明らかになってくることが多くなります。

その場合には、『自分の負ってしまったトラウマが、現実のものなのか連想的なものなのか』をまずしっかりとカウンセリングの過程で解明していくことが必要となります。もちろん、症状の原因を探求して特定する技法だけが唯一の方法ではありませんから、クライアントの症状や問題の性質に合わせた技法を適用して、クライアントの希望や心理状態にも配慮しながらカウンセリングを実施することが重要です。

とはいえ、フラッシュバックのイメージや記憶、感情だけで直ちにトラウマが現実にあった出来事なのだと断定し切ってしまうことは危険ですから、私たちは、まず、そのトラウマに関する出来事を『心的現実性』として前提するところから実践的なカウンセリングをスタートさせます。
心的現実性が、客観的な現実なのか精神的な現実なのかを徹底的に究明することには治療上の意義は余りありませんから、トラウマに対処するカウンセリングを進めていく際には、如何にしてそのトラウマの悪影響や症状を緩和するのか、どのようにして自分の過去の苦悩を受容していくのかがポイントとなってきます。

体外離脱体験としての解離

二つ目の解離症状の意味は、『自我意識(記憶・認知・感情・思考・人格)の統合性をバラバラにすることで、自分の体験・身体・意識から離れる』という作用に基づくものです。その結果、まるで体外離脱体験(幽体離脱体験)のように、『自分の体から意識が離れて、客観的に外部からトラウマ体験をしている自分を見ている』といった解離現象が生じることがあります。

この『体外離脱体験(out-of-body experience)』を引き起こす解離の機能は、実際は統合されているはずの意識を二つに分離させます。つまり、『経験する自己(experiencing self)』『観察する自己(observing self)』の二つに意識を分離させることによって、今、正に受け容れ難い暴力や虐待を受けている自分の苦痛から意識や感情を引き離すことができるのです。

その結果、暴力・虐待・事件事故・犯罪などの体験によってトラウマを負っている自分を自分とは別の存在だと錯誤することができ、トラウマとなった出来事をまるで自分とは無関係の出来事のように思い込むことができるのです。結局、解離によって生まれる体外離脱体験も、自我防衛機制的な位置づけをもっていると考えることができます。

解離には、このように、『自分の意識』を『自分の身体・感情・経験』から切り離して、客観的に自分や自分の置かれている状況を観察できるようにするという作用もあるのです。この作用が発揮されているときには、虐待されている自分をまるで別人のように感じて、『あの子はあんな風に残酷な虐待を受けて、何てかわいそうな子なんだろう』というように認知していることもあります。

別人格を構成する解離

『経験する自己』と『観察する自己』に意識を分離するような解離の場合には、まだ『自分は一人の統合された人格』であるという自我アイデンティティの一貫性が保たれています。しかし、こういった自己の意識を自己の身体や体験から切り離そうとする解離の防衛機制が過度になって強まっていくと、解離性同一性障害(多重人格障害)に見られるように、自分の意識とは別個の人格を無意識的に作り上げてしまうことがあります。

解離症状によって現在の自我意識から排除され隔離された『記憶・感情・経験・認知・思考』は通常、断片的なバラバラなものなので別人格を構成することはありませんが、そのバラバラの再分化された記憶や感情がまとまりを持って人格構造を作り上げたときに別人格が生まれると推測することが出来ます。

今、現在ある人格(ホスト・パーソナリティ)とは独立した複数の別人格(サブ・パーソナリティ)を作り上げることの意味は、『一人では背負いきれない過去のトラウマ体験の苦痛や恐怖や屈辱を複数の人格で分有して支えあう』というところにあります。

それ以外にも、トラウマとは無関係に『自分の受容し難い性格特性を否定した理想自我に近い人格』『自己否定的な感情を否定するような今の自分とは正反対の行動傾向を持つ人格』『満たされなかった両親からの愛情欲求を再度満たそうとする幼稚で未熟な人格』『現実世界を生き抜くために作られた過度に適応的で理性的な人格』『普段抑圧している攻撃性や積極性を前面に押し出した人格』『日常見せない性的欲求を全く隠さない解放的な人格』『様々な年代の別人格を生み出して、現在の年代で背負うべき苦悩や葛藤から逃れようとする人格』などを生み出して、『自己の無意識的願望の充足』『過去の劣等感の補償』を行うといった意味もあると考えられます。

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