DSMの歴史的変化とDSM-5の多元的診断(dimension diagnosis)
DSM-5の診断基準(多軸診断システムの廃止)とDSM-Ⅳからの変更点
アメリカ精神医学会(APA)が作成しているDSM(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders:精神障害の統計・診断マニュアル)の歴史は、1952年にDSM-Ⅰが作成され、1968年にDSM-Ⅱが開発されたことに始まる。アメリカの精神医学会で作成されたDSMが、世界共通の精神障害(精神疾患)の診断基準として広まり始めたのは、『カテゴリー診断学』を導入したDSM-Ⅲ(1980年)とDSM-Ⅲ-R(1987年)からである。
カテゴリー診断学というのは、簡単にいえば『各精神障害の症状や特徴を列挙した一覧表』を作成して、その症状や特徴のうち○個以上が当てはまっていればその精神障害だと診断することができるという誰もが使えるように工夫された『マニュアル診断』のことである。DSM-Ⅲにつながる精神医学のエビデンス・ベースドな診断基準の確立に大きな貢献をした人物が、アメリカのコロンビア大学医学部教授を務めていたロバート・スピッツァーであり、DSM-Ⅲの編纂作業ではタスク・フォース委員長として活躍している。
精神分析(力動的精神医学)のように、『精神疾患の病因原因・内面』を問わずに『精神疾患の客観的な症状(他者からも観察したり聴取したりすることが可能な症状)』だけに注目するという、当時としては画期的なDSMの診断学が『カテゴリー診断学』であった。
カテゴリー診断学の学術的アイデアの淵源は、20世紀のドイツ精神医学会で網羅的かつ客観的な精神医学の教科書を編纂したエミール・クレペリン(Emil Kraepelin, 1856-1926)にあると考えられており、クレペリン診断法の基本的な方法論はカテゴリー診断学につながっているのである。精神病者の症状・行動・異常を客観的に観察して正確に記述していく精神医学の学派を、『記述精神医学(記述精神病理学)』と呼んでいるが、エミール・クレペリンの精神医学も記述精神医学に分類される。
DSM-Ⅳ(1994年)やDSM-Ⅳ-TR(2000年)の時代になると、APAの開発したDSMは精神医学の統計学的根拠のある網羅的かつ実用的な診断基準となり、“グローバル・スタンダード(病名診断する精神科医の共通言語)”として機能するようになっていった。2013年5月には、DSM-Ⅳから約20年ぶりに最新版の“DSM-5(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders 5th edition)”が出版されたが、なぜか5の表記は従来のギリシア数字の“Ⅴ”ではなくアラビア数字の“5”とされている。
DSM-5の大きな特徴の一つとして、DSM-ⅢやDSM-Ⅳで採用されていた網羅的な『多軸診断システム』を廃止したことがあり、様々な精神疾患のオーバーラップ(重複)や経過の変化(病態の変遷)、重症度のレベルについてより直接的な判断をすることが求められている。多軸診断システムというのは、以下のように第Ⅰ軸から第Ⅴ軸までの多様な軸(診断する側面)を準備して、5つの異なった側面から患者を網羅的かつ総合的に診断していこうとするシステムである。
第Ⅰ軸……精神疾患
第Ⅱ軸……精神遅滞(知的障害)とパーソナリティ障害(人格障害)
第Ⅲ軸……身体疾患
第Ⅳ軸……環境的問題(心理社会的問題)
第Ⅴ軸……機能の全体的な適応評価(GAF:Global Assessment of Functioning)
DSM-5では多軸診断システムは廃止されたがカテゴリー診断は維持されており、DSM-Ⅳとの大きな違いとして、精神疾患・パーソナリティ障害・発達障害の重症度を判定するための『多元的診断(ディメンション診断)』が導入されたということがある。
多元的診断(ディメンション診断)とは、自閉症スペクトラムに代表される各疾患単位や各パーソナリティ障害のスペクトラム(連続体)を想定して、各種の精神疾患・パーソナリティ障害・発達障害の重症度(レベル)を『パーセント表示(%表示)』で表そうというものである。この症状や不適応の重症度のレベルをパーセントで表現しようとするアイデアは、古くから認知療法や論理療法の『自己評価方法(気分が最高の時を100%、最悪の時を0%にするなど)』として採用されていたものでもある。
DSM-5の日本語訳では従来の『障害』という漢字の表記が、倫理的問題があり誤解・偏見を生む恐れもあるとして、“disorder,disordersの訳語”を『障害以外の表記』に変えることが検討されている。現在では、“disorder”をただ『~症』というように表記し、“disorders”を『~症群(症候群)』と表記する案が出されている。
DSM-5は全3部の構成でありそれに付録(Appendix)が付けられているが、『第Ⅰ部 導入・使用方法・注意点』『第Ⅱ部 診断基準』『第三部 発展的な評価尺度+将来の診断基準』という内容になっている。『第Ⅰ部 導入・使用方法・注意点』では、DSM-5の開発に至るまでの歴史的プロセスや改善点・反省点などが記述されており、フィールドワークやエキスパート(専門家)の検証、公的医療機関での利用などによる科学的実証性の高さが主張されている。
また、均一・同質な精神症状を持つ患者集団やリスク要因を同定することの困難についての反省が語られ、網羅的かつ統合的に精神障害を診断できるとされていた『多軸診断システム』は廃止されることになった。多軸診断システムは形式的には廃止されるが、第Ⅰ軸~第Ⅲ軸はまとめて表記されることになり、第Ⅳ軸はICD-CMコードに変わり、第Ⅴ軸は世界保健機構(WHO)のWHODASに変わるという変更なので、Ⅰ~Ⅲの軸が融合したものの、実質的な軸の区分までもが完全消滅したというわけではない。
第Ⅰ軸の『精神疾患』と第Ⅱ軸の『知的障害・パーソナリティ障害』は一緒にまとめて記載されることになり、第Ⅲ軸の『身体疾患』も第Ⅰ軸や第Ⅱ軸と一緒に各疾患の中に併記されることになった。
第Ⅳ軸の『環境的問題・心理社会的問題』は、DSMで独自の分類コードの作成をすることをやめて、“ICD-9-CM Ⅴコード(2014年9月30日まで)”か“ICD-10-CM Zコード(2014年10月1日から)”を用いることにした。第Ⅴ軸の『機能の全体的な適応評価(GAF)』についても、GAFの定量的な測定や論理的な定義が困難であるという理由から、“WHODAS2.0(世界保健機構障害評価尺度第二版)”が代わりに暫定的に採用されることになった。WHODAS2.0とは、“World Health Organization Disability Assessment Schedule version2.0”の略称である。
第Ⅳ軸の代わりとなる“ICD-9-CM”や“ICD-10-CM”というのは、WHO(世界保健機構)が作成しているICD(国際疾病分類:International Classification of Disease)に、説明書きのCM(Clinical Modification)を加えたものである。第Ⅴ軸の代わりとなるWHOの“WHODAS2.0”は、精神疾患(精神障害)ではない全般的な機能不全を分類した“ICF(International Classification of Functioning Disability and Health)”から作成されたものであり、『精神障害・精神疾患』と『社会経済的あるいは職業的な機能不全』を区別するという基本思想に根ざしている。
WHODAS2.0の機能不全の評価尺度は、以下の7領域について5段階評価を行ってその総合点で『機能不全の重症度』を評価しようとするものである。
1.理解力・コミュニケーション能力
2.日常生活の自立度
3.セルフケア
4.対人関係の能力・スキル
5.日常生活・家族との活動
6.日常生活・学校や職場での活動
7.社会参加
DSM-5では、『精神障害・精神疾患』と『社会経済的あるいは職業的な機能不全』との違いについて、精神障害(精神疾患)は『一般的なストレス反応・文化的に許容される反応』ではない特異的な病的反応をするものと定義されている。DSM-5は『正常と異常の区別』について、診断基準の適応のみによって判断することはできないとしており、専門家(医師)による『臨床的・経験的な判断』も重要視している。
専門医による臨床的な判断について、DSM-5では“other specified(他で特定される)”という表現を用いているが、これは診断基準以外の他の専門家の臨床的判断や経験知によるという意味合いである。特異的な病的反応としての精神障害の特徴は、『認知の障害・感情制御の障害・逸脱行動(不適応行動)』であり、それらの特徴によって身体的・心理的な苦痛が生じたり著しい能力の低下が起こったりしている。
DSM-5の第三部に収録されている『発展的な評価尺度』には、以下の13項目の精神症状について“0~4点”のディメンション診断(多元的診断)をする『横断的症状尺度(CCSM:Cross-Cutting Symptom Measures)』などが掲載されている。
Ⅰ 抑うつ状態
Ⅱ 怒り
Ⅲ 躁状態
Ⅳ 不安
Ⅴ 身体症状
Ⅵ 希死念慮
Ⅶ 精神病症状の閾値
Ⅷ 睡眠障害
Ⅸ 記憶
Ⅹ 強迫性障害
ⅩⅠ 解離性障害
ⅩⅡ 人格機能
ⅩⅢ 物質嗜癖
『将来において想定される診断基準・精神障害』には、インターネットゲーム障害(Internet Gaming Disorder)、自殺行動障害(Suicidal Behavior Disorder)、非自殺性自傷行為(Nonsuicidal Self-Injury)、短期の軽躁病を伴ううつ病エピソード(Depressive Episodes with Short-Duration Hypomania)などが掲載されている。