発達心理学の発達観と研究対象の変化

発達心理学の発達観・研究対象と進化論

研究モデルとしてのDSA(ダイナミック・システムズ・アプローチ)

発達心理学の発達観・研究対象と進化論

発達心理学(developmental psychology)という応用心理学の分野は比較的新しい分野であり、その前身は児童心理学(childhood psychology)でした。児童心理学の始まりは19世紀の『子どもの発見の歴史』とも関係していますが、歴史学者のフィリップ・アリエス(Philippe Aries, 1914-1984)は労働・戦争・性の役割を担う“小さな大人”として扱われた19世紀以前の子どもの歴史を掘り下げています。大人とは異なる心身の状態や発達課題を持つ『子ども』が発見されたことで、未熟で能力が低い子どもを手厚く保護したり教育したりする『近代的な児童福祉・義務教育』が発達し、児童の心身状態の発達的変化を記述する児童心理学が誕生しました。

現代の発達心理学は人間の誕生から死までの発達的変化(ライフイベント)や発達課題(発達臨床上の問題)、心身の状態を取り扱う『生涯発達心理学』として定義されていますが、それでも今までの調査研究が対象としている発達時期の大部分は『乳幼児期~思春期』であり、青年期以降の発達研究は少なくなっています。児童心理学が生涯発達心理学になっても、『乳幼児から児童・学生の子ども』を研究対象にした成果や論文が多いのは、これまでの発達観が『青年期まで成長してから中年期以降には衰退するというモデル』によって規定されていたからですが、この直線的な単純過ぎる発達観は急速に見直しが進められています。

1980年代頃までは、発達過程による変化・成長の結果に視点が置かれており、乳幼児期から思春期・青年期までの『直線的な量の増大(成長・進歩し続けるシグモイド曲線)』を発達の中心と考えていました。『発達(development)』とはそれまでできなかったことができるようになることであり、生得的あるいは遺伝的に潜在している能力(可能性)が時間の経過と共に開発されることだと定義されていたので、『青年期・成人期までの発達課題』を達成していったん自己アイデンティティが確立されると、それ以上の意味ある発達的変化はもう起こらないと考えられていたのでした。

そのため、青年期・中年期以降は『身体的あるいは精神的な衰退の始まり(能力的なピークからの低下傾向)』と受け取られやすくて、研究調査も少なかったのですが、1980年代の乳児研究の進展や1990年代の中年期・老年期研究の隆盛を経て、現在では生涯発達心理学として各発達段階の特徴や課題、心理メカニズムが精力的に研究されています。20世紀後半までの発達心理学の発達観は、チャールズ・ダーウィンの進化論(科学的進歩主義・前進主義)の影響を受けていて、無力・未熟な子どもが有能で成熟した大人になっていく『成長・進歩・上昇のプロセス(直線的な上昇傾向+青年期の到達点からの衰退)』として発達が考えられていました。

C.ダーウィンの進化論(進化生物学)における『進化の概念』も、エルンスト・ヘッケルの系統発生やサルからヒトへ進化したなどの誤解によって、“劣等・単純な生物(弱い動物)”から“優等・複雑な生物(強い動物)”へと直線的に上昇していったような間違った捉え方をされていることが多くあります。しかし、進化論でいう『進化(evolution)』とは、強い動物が弱い動物を弱肉強食(優勝劣敗)で淘汰していくようなプロセスではなく、それぞれの生物種が環境により良く適応していくための『変化のプロセス』なのです。劣っている生物が優れた生物へと直線的に成長・発展していくようなものではなく、それぞれの生物種がそれぞれの特徴や能力、繁殖戦略によって、環境に上手く適応していこうとした結果として『進化=変化』があるのです。

ダーウィンの進化論にまつわる誤解(進化=前進的な進歩)の影響を受けた発達心理学でも、『無力・未熟な子ども』『有能・成熟した大人』へと直線的に発達していく短絡的なイメージが持たれていましたが、この発達観も『発達=前進的・直線的な進歩』という固定観念を前提にしていました。現在の生涯発達心理学では、人間は死の瞬間までそれぞれの発達段階に応じた発達(変化)をし続けるという考え方が採用されており、『乳幼児心理学・児童心理学・思春期心理学・青年期心理学・中年期心理学・老年期心理学』など各分野で、それぞれの年齢段階に応じた特徴や発達課題、精神病理、アイデンティティ、社会状況の研究が進められています。

研究モデルとしてのDSA(ダイナミック・システムズ・アプローチ)

生涯発達心理学の発達観は『個人の発達の多様性・柔軟性(持続性)』『直線的発達ではない非線形性(複雑系のスキーマ)』に根ざしており、その非線形性を持つ予測困難な発達プロセスを研究する方法として『DSA(ダイナミック・システムズ・アプローチ)』が用いられています。DSAの科学的方法論はテーレンとスミスが1990年代に開発したもの(Smith & Thelen, 1993,1994)であり、非線形性を持つ発達を研究するために『複雑系・自己組織化の科学理論』を参照しています。

DSAでは、発達が遺伝子や中枢神経系(脳)によって一義的に規定されるという『要素還元主義・生物学主義』を否定して、複数の多様性を持つ要因(コントロール・パラメーター)の相互作用によって発達が起こるという考え方をします。DSA(ダイナミック・システムズ・アプローチ)とは、下位要因である複数のコントロール・パラメータが相互作用することによって、上位システムの発達・行動が集合変数として決定されてくるという『ボトムアップ型の創発性(エマージェンシー)』をモデル化したものなのです。複雑系の非線形的な概念として用いられることが多い『創発性(emergency)』とは、部分の性質の単純な総和を越えた特殊な性質が全体として出現することであり、DSAのモデルに基づく発達観では、複数のコントロール・パラメーターの要因が相互作用することで、それぞれのパラメーターだけでは予測困難な全体としての結果(アウトプット)が現れることになります。

創発的な発達観であるDSAを前提にすると、下位要因であるコントロール・パラメーターの相互作用の組み合わせによって、さまざまな発達上の変化・問題・成長が起こってくることになりますが、これは『特定の一つのコントロール・パラメーター』が増減することによって、全体として非常に大きな変化(成長・退行)が起こり得ることを意味します。小さな子どもにとって母親の愛情や優しさを実感できる『テレビを見ながらの雑談』というコントロール・パラメーターが無くなると、精神発達が停滞(退行)したり学校環境への適応が悪くなったりすることがあるというように、何か一つの要因が増えたり減ったりすることによって『発達上のステータス(問題状況)』が大きく変わることがあるのです。

この発達上のステータス・問題状況の急速な変化は、それぞれの下位要因であるコントロール・パラメーターをいくら分析しても理解したり予測することはできず、その非線形的かつ創発的な発達プロセスを研究するモデル(方法論)として、『ボトムアップ型のDSA(ダイナミック・システムズ・アプローチ)』があります。DSAのモデルを前提にした発達心理学の研究方法として最も効果的なのは、研究対象としたシステム(個人)の発達プロセスを時間を追って追跡していく『個別的な縦断研究』ですが、この縦断研究には長い時間と多額のコストがかかるという問題もあります。発達心理学の研究対象は『個人』であることもあれば『ユニット単位(クラス・地域・年齢集団・特定集団)』であることもありますが、時間的な変化を含む発達プロセスを調査研究するためには、数年~数十年単位に及ぶ『縦断的研究法(longitudinal method)』が必要になってくる事も少なくありません。

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