M.L.オルソンのフリーライダー問題と自己決定権の有効範囲

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このウェブページでは、『M.L.オルソンのフリーライダー問題と自己決定権の有効範囲』の用語解説をしています。

M.L.オルソンが指摘するフリーライダーと個人主義・功利主義による秩序の不安定さ
自己決定権の有効範囲:自己決定の社会的・倫理的な妥当性


M.L.オルソンが指摘するフリーライダーと個人主義・功利主義による秩序の不安定さ

『社会秩序形成を説明する社会理論では、権力や利害の一致(功利主義)、価値観の共有、コミュニケーションによる合意といった『社会秩序の形成要因』を取り上げたが、近代市民社会の秩序の基本要素になっているのは『自由な個人(市民)による自己決定と相互の合意の尊重』である。近代市民社会の社会秩序は、個人の思想・行動の自由、個人の自発的な社会参加・協力行動、個人の自己決定と対話(交渉)による合意によって形成されるとするが、それに対してコスト(費用)の負担を避けたがる『人間のエゴイズムの本性』を理由にして批判したのが社会学者のM.L.オルソン(M.L.Olson)である。

M.L.オルソンは『個人主義(個人単位で物事を判断する)・自由主義(他者の権利侵害をしなければ良い)・功利主義(結果としての利益)』によって形成される近代市民社会の秩序を壊してしまうリスク要因として、『フリーライダー問題』を取り上げた。フリーライダー(freerider)とは『経済的・時間的・労力的なコスト(費用)』を支払わずに、『社会政治システムの恩恵』だけを受け取ろうとする“制度・インフラへのタダ乗り”を目論む人たちのことである。オルソンは近代市民社会の秩序は、こういった利己的で貢献意識の弱いフリーライダーが増加することによって崩れやすくなるという警鐘を鳴らしたのである。

個人が自己の利益を追求することを最優先する『功利主義』だけで価値を判断するのであれば、投票行動や環境保護(ゴミ問題)、ボランティア活動(社会福祉活動)、正直な納税などの社会貢献につながるパブリックな問題において、『コストを伴う協力行動』よりも『コストを負担しない非協力行動』を取りやすくなってしまう。必要な情報提供や教育活動、宣伝広報、体験学習、意識改革などの啓蒙によって、協力行動を選択する個人は若干増やすことはできるが、個人主義(自由主義)と功利主義だけを前提にすれば『社会の共同性・協力の必要性』を認識していてもフリーライダーはどうしても増加傾向を示してしまう。

オルソンは功利主義的な個人の判断基準では、『快適な周辺環境・安全な治安状況・安定した政治運営』などの『非排除的な公共財(道路・橋・治安・政策の結果など自分がコストを負担しなくてもその恩恵だけを受け取りやすい財)』に対して、人々の協力行動を引き出すのは相当に困難だと主張した。自分自身が経済的・時間的・労力的なコストを支払わなくても、社会全体の活動や政治から生まれる恩恵だけを受け取りやすいのが『非排除的な公共財・集合財』の特徴だからであり、自分がコストを支払わないことによるデメリットがなければ、大半の人は進んでコストを支払いたがらないものである。

こういった公共財を維持管理する社会秩序を生み出すために、オルソンは以下のような条件が必要だという。

1.フリーライダーの特定と監視が可能な『コミュニティの規模(構成人数)』の小ささ。

2.権力や法律(罰則)の威圧を前提にした強制。

3.社会貢献度(協力行動のレベル)に応じた選択的誘因。

しかし、近代市民社会は巨大な国民国家と重なり合う形となっているため、先進国では特に『コミュニティの規模』をお互いの顔が分かるほどに小さくすることは現実的に不可能である。また近代市民社会の基本原理である『個人の尊厳・人権の尊重』は覆すことが原則的にできないため、『権力・法律による無理矢理の強制』というのも殆どの社会秩序形成の問題には応用することができない。公共的な社会問題に無関心なフリーライダーを減らすために残る最後の方策は、社会全体の目的・利益への貢献度や協力行動に応じた『精神的価値』を報酬として与えることで、人々の自発的な参加意欲・貢献意識を引き出していくということである。

市場経済のメカニズムと直接的にリンクすることがない『市民社会の公共空間』では、貢献度や協力行動に対して『経済的価値(金銭)』を報酬として付与することはできないため、以下の2つに大別される『精神的価値(動機づけ・満足感)』を報酬として活用する必要性が高まるという。

1.目的的価値の誘因(インセンティブ)……社会全体に貢献する協力行動そのものに使命感・達成感・必要性の価値を感じ取るというインセンティブ。

2.連帯的価値の誘因(インセンティブ)……社会全体に貢献する協力行動によって生まれる『他者とのつながり・連帯感・帰属感』のようなものに価値を感じ取るというインセンティブ。

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自己決定権の有効範囲:自己決定の社会的・倫理的な妥当性

近代社会の中心的な運営原理である自由主義は、『他者に直接の危害を加えない限りは何をしても良い』という他者危害原則を基準としているが、現代では『自由主義と社会全体の秩序・利益(公共倫理)の衝突』が問題になることも少なくない。自由主義は『他者の権利・自由』を直接に侵害しない限りは、『自己決定した行動選択』を妥当(他者に干渉・否定されるべきではない正しい選択)であると見なす傾向がある。しかし、『一切制限なしの表現の自由・マリファナ(大麻)の解禁論・売買春(性の商品化)の自由』に対しては、現在の自由民主主義国でも『保守的な反対論(今までそれらは規制されてきており、多数派の感情・倫理観を害するものだから規制したままのほうが良いという意見)』のほうが優勢なようである。

歴史的には、『社会的価値観・伝統的規範(社会常識)・マジョリティの強制力(多数派の暴力)・男性中心社会』などによって不当にその権利を抑圧されていたマイノリティ(少数派勢力)や女性の権利を回復するために『自己決定権・自己決定性』の重要性が説かれるようになった。例えば、アメリカの公民権運動では黒人の政治的な自己決定権が求められ、フェミニズムでは女性の人生全体や男女関係(婚姻・出産の有無)に対する自己決定権が要請された。更に、植民地・少数民族・小国の大国(宗主国)からの分離独立運動においても、民族自決の自己決定権が普遍的な権利として主張されたのである。

その一方で、『自己決定権の有効範囲』があらゆる領域に拡大するに従って既存の社会秩序が揺らがされるようになり、『選択の自由・他者の権利侵害がないこと(被害者の不在)・当事者間の合意・自己責任(結果責任)への納得』の要件を満たせば何をやっても良いではないかという『自己決定の絶対的自由』を訴える思想・立場も生まれ始めた。

女性の自己決定権としての『堕胎(人工妊娠中絶)』は、現在でもアメリカで保守派とリベラル派が対立する主要な政策上の争点になることがあるし、『売買春の自由化・合法化(非処罰化と職業としての公認)』を求めるような運動もある。他人に危害を加えなければ向精神作用の弱い麻薬(大麻など)を合法化しても良いとする『麻薬合法化論』も幾つかの国で政策的な対立を生み、本人が生存の苦痛に耐え切れないのであれば『安楽死・尊厳死の自由』を認めるべきだという意見(オランダでは条件つきの安楽死・尊厳死が認められている)も出ている。

20世紀後半くらいまでは、社会全体の共通利益(公益性)や善良な風俗(公序良俗)の維持という抽象的な概念に同意する国民が多かったため、『自己決定権の有効範囲』はかなり狭く抑えられていたが、21世紀の自由主義国に生きる個人主義的な人々は『自己決定権を制限できる根拠』『社会秩序を維持するための最低限の自己決定権の抑制』を見失いつつある。社会構造や活動領域の細分化・断片化が進んだだけではなく、『島宇宙化』と呼ばれるような個人の社会観や生きがい、価値観の細分化・個別化が起こった。そのため、『社会的利益・公益性』という抽象的な概念に積極的にコミットできなくなり、『秩序のための不自由(自己決定による行動範囲の制限)』を受け入れても良いという個人が大幅に少なくなったからである。

もちろん、現在でも独裁国家やイスラム主義国家(宗教国家)のように、『個人の自己決定権・選択の自由』を客観的・合理的な根拠がなくても、『伝統的な慣習・宗教的な規範・残酷な罰則による威嚇』だけで大きく制限している国・民族は多くある。しかし、少なくとも日欧米の先進諸国においては、『自分も自由に行動したいから、あなたが自由に行動することも認める(お互いに必要以上の干渉や規制はしないように配慮しよう)』という個人主義・自由主義・功利主義のハイブリッドな社会秩序観が支配的となっており、『自己決定権の有効範囲』は非常に広くなる傾向が顕著である。

自己決定した行動選択は『社会的・倫理的な妥当性』が保障されているわけではないが、『他者の権利侵害以外の理由』で、個人の自己決定権の有効範囲を制限することは現代ではかなり難しくなっている。現代のエゴイスティックで自己決定権を尊重する人々に、『自己決定権の制限』に納得してもらうためには、上記した『目的的価値のインセンティブ』『連帯的価値のインセンティブ』かのいずれかが必要になってくると思われる。

自由民主主義の現代社会において、個人の自己決定権をある程度制限するための社会学的な思想・理論としては、個人と社会共同体が対立せずに相互に支え合って強化し合うことの必要を説くR.N.ベラー『倫理的個人主義』、社会的ネットワークの衰退が個人の孤立感・無力感を強めておりかつての共同体的な役割を果たすような『社会関係資本(ソーシャル・キャピタル)』の構築が必要だというR.パトナムのコミュニタリアン的な思想などがある。過剰な個人主義・自由主義は『社会的ネットワーク・対人的な連帯感(一体感)・社会参加意欲』を脆弱化させて個人を孤立感と無力感に追い込んでしまうリスクがあるため、現在の社会学では『近代市民社会の連帯感・参加意識・協力行動の再構築』を促進するような実践的な理論モデルが求められていると言えるだろう。

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