アンソニー・ギデンズの脱埋め込みメカニズムと空間を超えた相互行為の再編成

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『機械の時間(時計の時間)』による時間認識の近代化:時間と空間が分離した近代社会

アンソニー・ギデンズの脱埋め込みメカニズムとメディア・科学技術


『機械の時間(時計の時間)』による時間認識の近代化:時間と空間が分離した近代社会

イギリスの社会学者アンソニー・ギデンズ(Anthony Giddens,1938~)は、近代社会を多種多様なメディアが媒介する相互行為の重層と認識して、伝統社会が近代社会に移行すると『時間と空間の分離』が進むと考えた。前近代的な伝統社会では『時間と空間の一致』が見られるが、これは『どこかという場所』に連動する形で『いつなのかという時間』が必然的に決まるという意味であり、人々がローカルな生活を営む伝統社会では、地域・場所ごとに時間が異なる『不定時法』が採用された。

『不定時法』というのは簡単に言えば、日本の江戸時代以前の時間感覚と同じで、各地で太陽が昇る時間を『明け六つ』と呼び、太陽が沈む時間を『暮れ六つ』と呼ぶものであり、太陽の動きや見え方を基準にした『自然の時間』である。

近代社会では、各国で標準時を定めて時計で時間を確認するので、北海道にいても福岡県にいても『午前5時』は同じ『午前5時』であり、福岡県で太陽がまだ昇っていなくても午前5時という時間は変わることはない。しかし、不定時法の時代・時間の捉え方では、夜明けが早い東方にある北海道のほうが『明け六つ』が来る時間は早くなることになり(太陽が見え始めるか否かが基準なのだから当然であるが)、当時の北海道の明け六つと九州の明け六つは同じ時間帯ではないのである。

時間と空間(場所)が一致していた前近代社会では、それぞれの場所ごとに時間が異なっている『不定時法』によって生活が営まれていたが、それは生活領域の狭さ(土地に縛られた労働)や移動手段の非効率、権力による移動の自由の制限などがあって、人々の相互行為がローカルな空間(場所)に限定されていたからである。生まれてから死ぬまでの生活領域(相互行為が生じる場)が、一つの村落や城下町の中に制限されていた人が大半であったため、各地域ごとのローカルな時間(自然の時間)である『不定時法』でも特段の不足がなかったのである。

人々の相互行為や生活領域の範囲が広くなればなるほど、『時間と空間の分離』が進む近代化が促進されることになるが、そのためには離れている地域にいる人たちが『共通の同じ時間』を認識する必要が高まる。『不定時法』から『定時法』への時間制度の転換が起こることで、国内のどこにいても同じ時間(時計で計測する客観的な時間)を即座に認識できるという近代社会の時間認識の基盤が整えられるのである。

近代化によって『自然の時間』から『機械の時間(時計の時間)』への転換が起こるわけだが、自然の時間はその空間(場所)から見える太陽の動きと切り離すことができないのに対して、機械の時間(時計の時間)は太陽の動きを確認しなくてもただ手元にある時計の針・数字を見るだけで時間を確認することができる。不定時法では、太陽の日の出を視認することによって『明け六つ』の時間が認識されるのだが、定時法では時計を見てから『日の出 午前5時10分』というように時間が認識されるのであり、基準になっているのは太陽(自然)ではなくて正確な時計(標準時)なのである。

定時法の時代・社会では、時間は空間(場所)と一致していて切り離すことができず、東京には東京の明け六つがあり、大阪には大阪の明け六つがあるというように各地域で時間がバラバラになるのだが、人間の活動領域や相互行為が広くなればなるほどこういった『ローカルな時間』では不都合や損失が大きくなり過ぎるのである。日本は明治維新によって近代化が進められ、明治政府は1872年(明治5年)11月9日に『太陽暦』を改暦詔書で採用して、旧暦における同年12月3日を新暦の1873年1月1日に改めることで『近代的な定時法』を導入したが、これは定時法の『ナショナルな時間』としての性格を表している。

太陽暦が採用された当初は、旧江戸城本丸の号砲が日本の標準時とされていたが、1879年(明治12年)に東京地方平均太陽時が正式に『日本の標準時』と定義され、制度化された『ナショナルな時間』が時を刻み始めたのである。前近代のローカルな時間から近代のナショナルな時間に移行して、更に1888年(明治21年)にはイギリスのグリニッジ天文台(経度0度の世界標準時)との9時間の時差を考慮して、東経135度の子午線が通る兵庫県明石市の地方平均太陽時を『日本の全国標準時』と決めることになった。兵庫県明石市を基準とした日本の全国標準時は、イギリスのグリニッジの世界標準時の基準と連動しており、世界的な規格の一部にはめ込まれたという意味で『グローバルな時間』としての性格も持つようになった。

アンソニー・ギデンズの脱埋め込みメカニズムとメディア・科学技術

アンソニー・ギデンズは時間と空間(場所)が一致していた伝統社会が近代化すると、人々の相互行為も特定のローカルな空間(場所)から切り離されやすくなり、『同じ空間・場所にいない人々の間での相互行為』が可能になると考えた。A.ギデンズは人々の相互行為のローカルな場所(空間)からの引き剥がしを『脱埋め込み』と呼んだ。この脱埋め込みによって、『空間に拘束されない相互作用』が生み出す社会関係が、時空間の無限の拡大の中で再構築されるとした。

近代社会とは『ローカルな場所・空間』に人々の相互作用が束縛されない社会であり、『同じ空間・場所にいない人々の間での相互行為』が可能になる社会である。その空間に束縛されない『脱埋め込み』の典型的な行為として、電話やテレビ中継を通した異なる場所での会話、あるいはインターネットを介した異文化コミュニケーション(外国人とのコミュニケーション)、インターネットによるリアルタイムの株式投資・金融取引などがある。

『ローカルな場所・空間』から切り離された人々の相互行為を、新たな時空間の中で意味のあるものとして再編成するための媒体や仕組みのことを、A.ギデンズは『脱埋め込みメカニズム』と定義した。アンソニー・ギデンズによって、代表的な脱埋め込みメカニズムとして上げられているのは、相互的な交換を媒介するメディアとしての『象徴的通標』と功利主義的な科学技術・文明の道具を発展させていく『専門家システム』である。時間と空間を分離させる近代社会は、『象徴的通標の機能としてのメディア』と『専門家システムの帰結としての科学技術』を、絶え間なく発展させ拡張していく社会としての特徴を持っているとも言えるだろう。

“鉄道・郵便・電信・電話・新聞・ラジオ・テレビ”などの『メディア(象徴的通標)』の多様な発展は、『時間と空間を分離する近代化』をよりいっそう進展させていったのだが、その近代化の傾向を更に後押ししたのが科学技術(テクノロジー)・商品経済を進歩発展させた『専門家システム』であった。人類の近代以降の歴史は、『メディア・科学技術の発展』『時間と空間の分離』の相互作用が繰り返された歴史でもあり、メディアと科学技術(文明の道具)によって媒介される人々の相互行為が重層的・漸進的に積み重ねられていくプロセスとしても捉えることができる。

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