ドナルド・ウッド・ウィニコット(Donald Woods Winnicott, 1896-1971)

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D.W.ウィニコット(Donald Woods Winnicott, 1896-1971)は、1896年にイギリスのメソジスト教会の伝統が根強いプリマスという町で、三人兄弟の末っ子として経済的に裕福なプリマスの有力者を父に持つ家庭に生まれました。D.W.ウィニコットの父は、二度もプリマスの市長に選抜された人物で、エリザベス女王からナイトの称号も賜与されています。父親は、経済的に成功した商売人であっただけでなく、プリマスの民衆からの信望を集める政治的な有力者でもありましたが、国政の議会で活躍するという希望を実現することは出来ませんでした。

ウィニコット自身は、社会的に大きな実力を持っていた父親よりも、家庭的な包容力のあった母親や先に産まれた姉2人の影響を強く受けたと言われていて、キリスト教信仰の上でもメソジスト派に属する父親とは異なるイギリス国教会(イングランド国教会, アングリカン・チャーチ)に改宗しています。

ウィニコットが信仰したイギリス国教会(英国国教会)は、ローマ教皇(ローマ法王)を頂点とするローマ・カトリックから離脱したイングランド独自のキリスト教宗派であり、イングランドの王が同時にキリスト教会の霊的な首長を兼務するという宗教形態を取ります。イングランドのヘンリー8世とローマ教皇のクレメンス7世が離婚問題を巡って対立した当初の英国国教会(1531)は、ヘンリー8世が敬虔なカトリックであったこともありローマ・カトリックに倣った教会主導の教義体系を持っていました。

しかし、息子のエドワード6世の代になると急速に英国国教会のプロテスタント化が進行し、その後、ブラッディ・メアリと呼ばれたメアリ1世によるカトリックへの復古運動などがあったものの、メアリ1世の後を次いだエリザベス1世以降(1558年以降)は英国国教会は聖書中心主義のプロテスタントに属するようになります。ウィニコットの父親が属したメソジスト派というのは、キリスト教の信仰覚醒運動を主導したジョン・ウェスレーが創建したプロテスタントの教派で、ルター派の信仰に近い禁欲的生活を重視する教義を持ち悔い改めによる救済を得ようとする敬虔な信仰に特徴があります。

D.W.ウィニコットは、庶民階級の信徒が多いストイックなメソジスト派ではなく、上層階級の信徒が多い寛容な伝統を持つ英国国教会へ結婚を機にして改宗したのですが、この改宗には英国国教会に帰属していた母親への心理的同一化の欲求が働いていたとも言われます。ウィニコット自身のパーソナリティ類型も、どちらかというと寛容で保護的な母性的パーソナリティであったと言われ、S.フロイトのような厳格で規範的な父性的パーソナリティの要素は余り持っていなかったようです。

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精神的な健康性や安定性の維持について『母性的・擁護的な関係性』を重視するウィニコットは、小児精神科医としての豊富な臨床経験を元に『乳幼児の母子関係を軸にした発達理論』を考えました。ウィニコットは、フロイトの個人の欲求充足の成否を基礎とするリビドー発達論に対して批判的であり、『母親と子どもの関係性の発達』を抜きにして発達早期の精神発達を考える事は出来ないと考えていました。

つまり、独立学派のウィニコットは、クライン学派のメラニー・クラインや対象関係論(独立学派)の祖であるW.R.D.フェアバーンと同じく、正統派精神分析(自我心理学)が乳児の心理特性として仮定する、対象関係の存在しない『一次的自己愛(一次ナルシシズム)』を完全に否定する立場に立っているということです。

ウィニコットは14歳の時にケンブリッジにある全寮制のレイズ・スクールへ進学したので、家庭環境で実際に母親との共同生活を体験した期間は非常に短かったようです。ウィニコットは思春期の早い段階から両親からの精神的・経済的自立を考えていたようです。ケンブリッジのジーザス・カレッジで自然科学的思考法を習得しながら医師の道を志した理由の一つも、精力的な向学心と結びついた旺盛な自立心にありました。ウィニコットは第一次世界大戦に海軍所属の外科医見習いとして従軍したようですが、戦後は、セント・バーソロミュー病院で小児内科学を専攻することになります。

D.W.ウィニコットは、『乳幼児の分離・個体化理論』で有名なマーガレット.S.マーラー(M.S.Mahler, 1897-1985)と同じく、身体医学の小児科医として十分な臨床経験を積んでから児童分析家・精神分析医へと転向した人物です。1923年にパディントン・グリーン小児科病院で内科医として勤務し神経症的傾向を見せることのあった妻アリス・テーラーと結婚をします。翌年の1924年にはハレー通りで個人開業医として小児を対象とした臨床活動を行うようになりました。ウィニコットは、情緒不安定でヒステリー的性格を示していたアリス・テーラーとの折り合いが悪くなり結局離婚してしまいますが、1951年には精神科でソーシャルワークをしていたクレア・ブリットンと再婚することになります。

精神分析家としてのウィニコットの特異性は、小児科医であると同時に精神分析医でもあったという事であり、乳幼児と母親を合わせて6万人以上の患者を臨床的に診察した経験が彼の精神分析理論の基盤にあるという事です。

ウィニコットと精神分析との出会いは、英国精神分析協会の中心人物であったアーネスト・ジョーンズ(E.Jones)と親交を得たことに始まり、転換ヒステリー的な咽頭の身体症状のあったウィニコットはジョーンズの勧めで『フロイト全集の標準版(The Standard Edition of the Complete Works of Sigmund Freud;S.E.)』を英訳した功績のあるジェームズ・ストレイチー(J.Strachey)から教育分析を受けることになります。

ストレイチーの教育分析を受けて以降も、クライン派のジョアン・リビエールやメラニー・クライン自身から教育分析(スーパーヴィジョン)を長期間にわたって受けています。特に、メラニー・クラインから教育分析を受けた期間は長く、ウィニコットの対象関係論の発達理論や臨床技法はクライン派の影響を強く受けていると考えられます。しかし、ウィニコットは、英国分析協会におけるメラニー・クライン派とアンナ・フロイト派の間に起きた児童分析を巡る激しい論争には与さなかったので、ウィニコット自身はクライン派ではなく独立学派(対象関係論学派ともいう)に分類されます。ウィニコットはニューヨーク滞在時に罹患したインフルエンザによる肺浮腫が原因で、1971年に74歳でこの世を去りました。

D.W.ウィニコットの対象関係論の理論と概念

ウィニコットは、難解な説明概念や複雑な理論構成を好まず、誰にでも分かりやすい日常的な用語で自分の対象関係論の基本的な考え方や理念を説明しようとしました。

錯覚(illusion)・脱錯覚(disillusion)と移行対象(transitional object)

発達早期の乳児は、『自分が欲求すれば、欲求が即座に満たされる』という幼児的万能感(幼児的全能感)魔術的思考を持っています。乳児が空腹を感じた時にタイミングよく母親が乳房でミルクを与えると、母親という対象を認識できない乳児は、その乳房(ミルク)を自分の魔術的思考で創造したと『錯覚(illusion)』します。

乳児の精神内界は、母親の適切な世話や保護が行き届いている限り安定していますが、乳児はミルク(食事)を与えてくれたり排泄の世話をしてくれる他者(母親・父親)の存在を自己の魔術的思考から切り離して認識することが出来ません。その為、完全に乳児の欲求が満たされている状況では、乳児は外的世界と内的世界を錯覚(illusion)の心理機制で接続して、幼児的全能感による統制感を維持しています。産まれたばかりの赤ちゃん(乳児)が体験する錯覚(illusion)は『あらゆる対象関係の基礎』となる重要な体験であり、抱え込む母親(holding mother)との余裕(遊び感覚)のある良好な関係を示唆するものでもあります。

乳児の現実検討能力が発達して母親を対象として認識できるようになり、母親の原初的没頭(出産後数週間)の時期が終わりに近づくと、乳児は段階的に錯覚の心理機制から離脱し始め『脱錯覚(disillusion)』が起きてきます。現実適応のための脱錯覚が進むにつれて、『外部環境(他者の振る舞い)を自己の一部として自由に操作・創造できる』という乳児の魔術的思考は弱まり、幼児的全能感は次第に挫折していくようになります。乳児期における錯覚と脱錯覚の心理体験を十分に体験することで、乳児は精神的安定感と現実適応力の基盤を獲得することが出来ます。

ウィニコットは発達早期の母子関係を規定する基本概念を『依存性(dependency)』に求めましたが、『移行対象(transitional object)』というのは、乳児の母親への強烈な依存性が弱まっていく『移行期(6ヶ月~1歳頃)』に見られる物理的な愛着の対象のことです。具体的な移行対象(transitional object)としては、生まれて間もない頃から遊んでいたぬいぐるみや人形、玩具などが挙げられます。それ以外にも、いつも肌に触れていたり口に含んでいたりする毛布やシーツ、ハンカチ、おしゃぶりなども乳児の不安感や孤独感を和らげる移行対象となります。

『母親との分離不安(separative anxiety)』を和らげる魔術的効果のある移行対象は、絶対的依存期から相対的依存期の過渡期である『移行期(6ヶ月~1歳頃)』に現れてきますが、それは単なるモノではなく、乳児にとって非常に大きな心理的価値(母親や乳房の代替となる愛着・信頼感・安定感)を持つものなのです。

ウィニコットは、ぬいぐるみや玩具といった物理的な対象以外にも、喃語(赤ちゃん言葉)、慣れ親しんだ単語、独り言、子守唄、指しゃぶりなど習癖が移行対象(transitional object)としての価値を持つと述べています。それらは、物理的な対象ではないので、移行対象ではなく移行現象(transitional phenomenon)と呼ばれることもあります。移行対象の持つ効果とは、『母子分離不安の緩和と母親の愛情や優しさの代理的満足感の提供』にあります。3歳頃の幼児の遊び道具となる玩具やぬいぐるみなどを二次的移行対象といい、それ以前の乳児の肌に触れているシーツや毛布、おしゃぶりなどを一次的移行対象ということがあります。

移行対象は、心的現実性と外的現実性の中間領域にあり、『強烈な愛情・激しい憎悪・破壊的な攻撃性』から生き残ることで、成長後の乳児の対象恒常性の形成を助ける作用をもたらします。ウィニコットの移行対象の概念は、クライン派と対立していたアンナ・フロイト派(自我心理学派)にも受け容れられました。

ほど良い母親(good enough mother)

D.W.ウィニコットは、産まれたばかりの新生児期から3歳頃の幼児期までの良好な母子関係が、正常な人格構造の形成や健康な精神発達の達成に非常に重要であると考えましたが、その母子関係における理想的な母親像を『ほど良い母親(good enough mother)』という概念で表現しました。

『ほど良い母親(good enough mother)』とは、特別に優秀な育児能力や育児への強い熱意を持っている母親のことではなく、何処にでもいるような子どもに自然な愛情と優しさを注ぎ一緒に過ごす時間を楽しむことが出来る母親のことです。子どもの発達段階や要求水準、身体的・精神的能力に合わせて、密着した手厚い保護や世話を少しずつ減らしていくことで、ほど良い母親は子どもの心理社会的自立を実現しくことになります。

ほど良い母親は、子どもの基本的信頼感を形成する適度なスキンシップとホールディング(holding, 抱え込む事)を行い、子どもの創造性や積極性を発達させる遊びを巧みに生活に取り込んでいきます。子どもとの適切な関わり合いの中で、子どもの依存心(愛情欲求)を満たしてあげながら、心理的自立を少しずつ促進していける母親が、『子どもの依存性と自立性のバランスを取る事ができるほどよい母親』だといえるでしょう。

ウィニコットは、日常的に繰り返される育児の時間的連続性を大切なものだと考え、抱え込むことであるホールディング(holding)や遊ぶことであるプレイイング(playing)は一時的な行為ではなく、日常的に継続して行われるべきものだと強調しました。ウィニコットの児童精神臨床における精神療法の基盤も『遊び(playing)』にあり、分析家の遊びの喜びとクライエントの遊びの楽しさが交錯する時に最大の治療効果が生まれるというような考えを持っていました。

また、ウィニコットの遊び概念を基盤に置く精神療法(精神分析)の文脈では、クライエントが心の底から『遊び(playing)』の時間・空間を満喫し、他者と遊ぶ行為を楽しく感じることが出来るならば、精神的問題や対人関係の困難の解決が早まると予測できます。遊びを重視する精神療法では、『遊ぶ事ができないクライエント』を『遊ぶ事ができるクライエント』に導く事が分析家の重要な仕事になってくるのです。

同じ対象関係論に属するメラニー・クラインとウィニコットの最大の違いは、ウィニコットはフロイトが定義した本能二元論の『死の本能(タナトス)』の存在を認めず、乳幼児の攻撃性や破壊性を死の本能から生み出される無意識的幻想とは考えないということです。ウィニコットは、乳幼児の対象に対する攻撃性は死の本能(タナトス)によって生起するのではなく、対象恒常性を築き上げようとする生の本能(エロス)の活動性によって生起すると考えたのでした。

つまり、乳幼児が主観的に内面世界で対象を破壊しようとしても、客観的な対象は生き残り続けますから、その攻撃性は死の本能に基づくものではないとウィニコットは解釈したわけです。乳幼児が魔術的思考で創造した対象が、内的世界で攻撃的に破壊されても外的世界では存在し続けます。心の内部で大切な対象を破壊しても消滅しないという体験によって、乳幼児の内面世界に『対象恒常性(対象喪失の不安や恐怖を和らげる心の中の持続的な表象)』が形成され、精神的な安心感を得ることが出来ます。

依存概念と母子関係の発達理論

ウィニコットは発達早期の母子関係の発達を、『依存性(dependency)』の強弱の程度によって理論化しようとしました。産まれたばかりの新生児は完全に無防備であるだけでなく、生命を維持する為の自律的能力を持っていませんから、母親(養育者)の全面的な保護や世話を必要としており母親に絶対的に依存せざるを得ません。子どもが誕生して間もない時期の母親は、精神的な過敏性が見られ子どもと自他未分離な状態にあることが多く、盲目的に育児行動に没頭する傾向が見られますが、ウィニコットは絶対的依存期における母親の心理状態を『原初的没頭(primary maternal preoccupation)』と呼びました。

産まれて間もない絶対的依存期では完全に無力で自分では何も出来なかった乳児も、時間が経過して心身機能が発達してくると、自分で食事をしたり移動したりすることが出来るようになってきます。自分で自分の身の回りの世話が出来る自律性や母親がいない時間の不安感を耐える対象恒常性が確立してくると、段階的に母親への依存性の度合いが弱くなっていき一人で遊ぶ時間を楽しむ様子が見られるようになってきます。母親への依存性が弱まって相対的依存期の発達段階に達すると、外的世界への興味や関心が増してきて近い将来に訪れる『分離・個体化期』の不安や恐怖を克服する心理的準備が進んでいきます。

ウィニコットの母子関係の発達理論は、“絶対的依存期(0歳~6ヶ月頃)→移行期(6ヶ月~1歳頃)→相対的依存期(1歳頃~3歳頃)→独立準備期(3歳以降~)”の4つの発達段階によって構成されていますが、発達段階が進むにつれて母親(養育者)への依存性と密着度が弱くなっていき、外部世界の対象や出来事へと注意・関心が移行していきます。

スクイグル・ゲーム(殴り書きゲーム)

D.W.ウィニコットの心理臨床活動は実に臨機応変なものであり、正統派の精神分析の自由連想法や夢分析といった技法への教条的なこだわりはなく、個別の患者や症例に合わせて治療技法を工夫していました。子どもや大人に精神分析を実施する場合の条件は、『精神分析療法の適応疾患・適用事例であり、精神分析の治療効果が十分に望める患者だと判断できる場合』でした。

ウィニコットの自由性と創造性を尊重する児童臨床の面接場面では、多くのユニークで実用的な技法が発明されましたが、クライエントと交互に殴り書きをして投影法的な共同作業をする『スクイグル・ゲーム(殴り書きゲーム)』は現在の心理臨床でも用いられることのある技法です。分析家かが初めに殴り書きをしてその無秩序な線の絡まりが何に見えるかをクライエントに聴き、その見える対象を完成させるように教示してクライエントに殴り書きをして貰います。それを交互に何度も繰り返すことで、クライエントと分析家の心理状態や無意識の力動などが殴り書きの図形や絵画に投影されるというのがスクイグル・ゲームの臨床的意義です。

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