狼男(『狼男の症例』)

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“狼男”と呼ばれたロシアの20代の男性患者

精神分析の創始者であるジークムント・フロイトは、1918年に『ある幼児期神経症の病歴より』という臨床的な事例研究(ケースワーク)の論文を書いたが、その中で『狼男(Wolf man)』と名付けた患者の精神病理や問題状況の分析内容について触れている。“狼男”というのは当たり前だが、満月の光を浴びたら人間から不死身の狼男になり、銀製の銃弾で撃たれない限りは死なないという伝説上のモンスター(怪物)のことではない。“狼男”という名前の由来は、患者が3歳6ヶ月くらいの時に『白い狼』が登場する印象に残る象徴的な夢を見たということにある。

狼男はロシア人の23歳の男性患者であり、ロシアの裕福な地主階級の生まれだったため、働かなくても生活に困ることがないような裕福な暮らしをしていた。狼男は教養・知識のある善良なインテリであったが、『働かなくても良い・一生懸命に頑張らなくても良い・特別にやらなければならないことがない』などの経済的に恵まれた環境条件の影響で、自分が何をすれば良いのか(自分は何のために生きているのか)が分からなくなって『無気力・迷い・気分の落ち込み』などに悩まされるようになった。S.フロイトの元を訪れたロシア人の狼男は、自分の消極性や無気力、喜びの少なさなどを訴えて精神分析を受けたのだが、4年間の精神分析を受けても目覚しい前進が見られなかった。

経済的に富裕な階層の子弟が、自分のやりたい事を見つけられず何をすれば良いのか分からなくなって、『無力感・優柔不断(迷い)・抑うつ感・意欲減退・方向感覚の喪失』を感じることは当時の上流階級(貴族階級)では珍しいことではなく、狼男もE.H.エリクソンのいう『自己アイデンティティの拡散』のような精神状態に陥っていたようである。

一般大衆も豊かになって『中流階層』を形成し始めた20世紀半ば以降の先進国では、青年期における『モラトリアム(社会的職業的選択の迷い・猶予)』『自己アイデンティティ確立の課題』を大勢の人が経験するようになっていった。だが、中流階層など存在しない19世紀の時代には、『自分はどういった人間なのか・自分は何(どんな仕事)をすれば良いのか・自分の生きている意味は何なのか』といった自己アイデンティティにまつわる悩みは、裕福な上流階級に生まれた子弟の特権的な悩みであった。

4年間にわたる狼男の精神分析では何の効果も得られなかったことから、S.フロイトは精神分析の期間を事前に決めてしまう『期限設定法』を実施することにしたが、このいつまでも分析をだらだらと受けることができない環境(決断の必要性)が、『狼男の精神分析』を飛躍的に進める結果をもたらすことになった。

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“狼男”の原光景の目撃体験と精神症状

狼男の父親と母親も心身に虚弱で病気がちなところがあり、父親は若い頃からうつ病を発症してふさぎ込むことが多く、母親は身体的な体力がなくていつも病気がちの生活を送っていた。活発で才気に溢れた狼男の姉(2歳年上の姉)は、活動的な側面と意地悪な側面の二面性を持っていたが、物事に対してのめり込んで性急に判断したり焦燥感に駆られやすいところがあり、成人して間もなく服毒自殺をしてしまったという。両親が病弱であったため、狼男は幼少期から『乳母』によって養育されていたが、両親と姉が夏のバカンスで旅行に出かける時にも、まだ小さかった狼男は乳母と一緒に留守番をさせられていたようである。

狼男の精神状態や行動様式に初めての異常が見られたのは、4歳になる少し前の夏であり、両親が旅行から帰ってきた時だったという。それまで何でも素直に言うことを聞いて大人しかった幼児の狼男が、その時は突然、激しい癇癪を起こして『怒り・敵意の感情』むき出しにして丸で別の子供のような感じになってしまったという。その激しい癇癪を起こした後に、狼男は『摂食障害・強迫性障害(強迫神経症)・狼に対する恐怖症』などの各種の神経症の症状も見せるようになり、慢性的に情緒不安定になって物事に対する不安感・恐怖感が強くなっていった。

狼男の精神分析のプロセスが進むにつれて、3歳6ヶ月頃に見た記憶があるという『複数の白い狼が登場する不安夢』が話題に上がってきたのだが、S.フロイトはこの不安夢を夢分析して、狼男の無意識領域に抑圧されていた『原体験』を掘り起こしていった。

この不安夢の内容は、『6~7頭の白い狼がクルミの大木の枝に乗っていて、こちらをじっと鋭い目つきで見つめている』というものであった。狼男に様々な神経症症状をもたらす原点となった『トラウマ体験(心的外傷となる体験)』がこの原体験を示す不安夢の内容と重なっていたわけだが、S.フロイトは『原光景』として大きな影響を振るう『両親の性行為』を、1歳6ヶ月頃に目撃したことが『白い狼』に代理表象されるトラウマになったのだと解釈した。

父親が母親と性的関係を持とうとしている『原光景』は、『父親に対する恐怖感・嫌悪感(不潔感)』のような感情を呼び起こすことになったが、乳幼児期を通して狼男は『父親に愛されたいという同性愛的欲求』『父親に愛されれば男性性・自立性を失うという去勢不安の感情』との間で激しい葛藤(自己存在の揺らぎ)を経験することになってしまった。この乳幼児期に経験した原初的な葛藤が、狼男の『慢性的な不安と恐怖・自信の無さ・優柔不断・無気力』の原因であるとS.フロイトは解釈したわけだが、狼男はその後の精神分析の治療でも完全に不安や無気力の症状が完治することは無かった。

1917年に勃発した『ロシア革命』によって、狼男とその一族は共産主義を掲げるボルシェヴィキ政権から全財産を奪われてしまったが、S.フロイトはロシア革命後にも狼男に対して無料の精神分析を4ヶ月にわたって続けたという。狼男の自己アイデンティティの拡散や無気力感、心気症的な妄想、強迫観念などの精神症状の苦痛は、フロイトと別れてからも続いていたが、ルース・マック=ブランスウィック夫人の精神分析療法を受けたりしながら何とか晩年の精神状態を保った。

“狼男”の症例と治療について書かれた『ある幼児期神経症の病歴より』では、幼児期の原光景の目撃によるトラウマ、幼児期の性的誘惑の妄想、エディプス・コンプレックスと去勢不安などについて説明が為されているが、後年のフロイトは『幼児期トラウマ仮説(幼児期の性的誘惑の妄想)・原光景の目撃によるトラウマの形成』などについて、これらの仮説は客観的現実(科学的理論)としては認められない仮説であるとして撤回している。

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