J.F.マスターソン(James F.Masterson, 1926-2010)

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J.F.マスターソンの青年期精神医学

アメリカの精神科医であるJ.F.マスターソン(James F.Masterson, 1926-2010)は、青年期精神医学の実証的な臨床研究を行って『青年期危機説』を検証したり、『青年期境界例(borderline adolescent)』の理論を構築したことで知られる。1950年代までは、エルンスト・クレッチマーの唱えた『青年期危機説』が主流であり、10代半ば~20代前半の青年期には誰もが精神的に不安定になり(第二次反抗期を示しやすくなり)、自己アイデンティティが一時的に拡散しやすくなると考えられていた。

J.F.マスターソンは、正常な青年でも誰もが精神的に情緒不安定になるというクレッチマーの『青年期危機説』を疑問に思って、78人の青年期患者を5年間にわたってフォローアップする追跡調査を実施した。その結果、『青年期危機』と呼ばれている精神の不安定や自己アイデンティティの拡散は誰にでも起こるものではなく、その後に、パーソナリティ障害や不安障害・うつ病などの精神疾患に発展する恐れが強いものであることが明らかにされた。青年期に精神的危機に陥る青年は、初めから健全なパーソナリティ構造や精神状態を持っておらず、成人後にも何らかの臨床的援助や心理療法(精神分析)のメンタルケアを必要とする者が殆どだったのである。

マスターソンの青年期患者を対象にしたこの実証研究の成果は、『青年期の精神医学的ジレンマ(1968年)』としてまとめられ、マスターソンは特に青年期において気分・情緒・人間関係の不安定さや空虚感・無意味感を呈する『境界例(borderline case)』の臨床研究に集中的に取り組むようになる。マスターソンが精神分析的療法を実践的に模索した症例の多くは、現在のクラスターBのパーソナリティ障害に分類される『境界性パーソナリティ障害』『自己愛性パーソナリティ障害』であり、いずれも自己愛の過剰によって集団適応や人間関係が上手くいかなくなり自分の存在価値を実感しづらくなる人格構造の病理であった。

マスターソンは精神科で青年期患者の治療を担当する青年期病棟の主任に就任して、青年期の精神的危機や自己アイデンティティの拡散を引き起こす『青年期境界例(borderline adolescent)』のインテンシブで効果的な治療法を探求し始めた。マスターソンが青年期境界例の人格構造の病理を理解するために用いたモデルは、S.フロイトから始まる自我防衛機制を重要視する『正統派の自我心理学』と自己と他者との内的な関係性から精神の発達プロセスを考えていくメラニー・クラインを創始者とする『対象関係論』であった。

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J.F.マスターソンの青年期境界例の理論と治療

J.F.マスターソンは対象関係論的な早期発達論を考案したマーガレット・マーラーの『分離‐個体化期』を参照して、子供時代の母子分離不安が適切に解消されていないこと、精神的な自律性を獲得するまでに母親の精神的支持を受けられなかったことが『青年期境界例』の初期の原因になっていると考えた。特に、母子間の分離‐個体化のプロセスにおける『(精神的自律のための)練習期』の後の『再接近期』に、母親が自律して行動しようとする子供に適切な愛情・関心といった情緒的備給を行わないと境界例のリスクが高まるという。

子供が自分のことを自分でして母親から距離を置いて活動できるようになる『自律』には、母親の情緒的備給による精神的支援が必要になるのだが、この2~3歳の再接近期に『言うことを聞かないとお前を見捨てるぞという脅し』『あなたには興味がないという愛情・関心の撤去』があると、子供の精神発達過程(人格形成プロセス)に深刻な障害が起こってしまうことがある。この深刻な障害を示す概念が『見捨てられ不安・見捨てられ抑うつ』というものであり、愛情・保護を母親に求めているのにそれらが適切に得られない時に、子供は自分が母親に見捨てられてしまって助けてもらうことができないという『見捨てられ不安(見捨てられ抑うつ)』を生じてしまうのである。

マスターソンは青年期もまた『第二の分離‐個体化期』であると定義して、青年期に『両親・家庭からの精神的自立』を促進していくためには、『幼少期からの良好な親子関係』『青年期における見捨てられ不安(見捨てられ抑うつ)の解消』が必要であると主張した。見捨てられ不安の情緒障害が強くなると、青年期境界例の症状である『憂鬱感・恐怖・無力感・空虚感(無意味感)・憤怒・罪悪感・自暴自棄・自己嫌悪』などの強烈でネガティブな感情体験(感情制御の困難・気分の不安定さ)が起こってしまうのである。

J.F.マスターソンの青年期境界例の病理学は、オットー・カーンバーグの境界例研究と同じように『欠損モデル』ではなく『葛藤モデル』を採用しているが、カーンバーグの『体質的・気質的な攻撃性』に対してマスターソンは『環境要因(幼少期の親子関係)の影響の大きさ』を訴えている。

フェアバーンの理論モデルも参考にしており、“愛情を与える良い母親・主体性の弱い素直な子供・肯定的な情緒”からなる『報酬型部分対象関係単位(RORU:Rewarding Object-Relation's part Unit)』“愛情を与えない悪い母親・自己嫌悪の強い子供・否定的な情緒”からなる『撤去型部分対象関係単位(WORU:Withdrawing Object-Relation's part Unit)』とが統合されずに葛藤を続けることが境界例の原因になるとした。

青年期境界例の治療論では、両親と物理的に距離を置く『入院治療』が基本であり、患者の衝動的・破滅的な行動化をコントロールすることに重点が置かれた。境界例の子供の両親も境界例としての人格構造や生育歴を持っていることが多いので、両親にも『潜在的な見捨てられ不安・情緒不安定』を改善するためのカウンセラーやケースワーカーによるカウンセリング面接が実施されることになった。青年期境界例の治療の目的は、ストレス・不安感によって出現する『原始的防衛機制・精神的な幼児退行』に直面化させることでコントロールすることにあるが、この直面化の効果を引き出すためには医師や治療スタッフの『一貫性・信頼性』が必要になる。

行動療法のエクスポージャー(暴露療法)のように『見捨てられ不安(見捨てられ抑うつ)』を主観的に再体験することで、『原始的防衛機制(分裂・投影同一視・一体化など)』に直面化できるチャンスが生まれる。この原始的防衛機制の非機能性(現時点における無意味さ)をクライエントが認識することができれば、『(幼少期の親子関係の影響で停滞していた)個体化・自律化のプロセス』が再び進み始めるので、カウンセラーはこの個体化の進展について支持と保証(安心感)を与えていかなければならない。

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