『大学』の書き下し文と現代語訳:2

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儒教(儒学)の基本思想を示した経典に、『論語』『孟子』『大学』『中庸』の四書(ししょ)がありますが、ここでは儒者の自己修養と政治思想を説いた『大学』の解説をしています。『大学』は元々は大著の『礼記』(四書五経の一つ)の一篇を編纂したものであり、曾子や秦漢の儒家によってその原型が作られたと考えられています。南宋時代以降に、『四書五経』という基本経典の括り方が完成しました。

『大学』は『修身・斉家・治国・平天下』の段階的に発展する政治思想の要諦を述べた書物であり、身近な自分の事柄から遠大な国家の理想まで、長い思想の射程を持っている。しかし、その原文はわずかに“1753文字”であり、非常に簡潔にまとめられている。『大学』の白文・書き下し文・現代語訳を書いていく。

参考文献(ページ末尾のAmazonアソシエイトからご購入頂けます)
金谷治『大学・中庸』(岩波文庫),宇野哲人『大学』(講談社学術文庫),伊與田覺『『大学』を素読する』(致知出版社)

[白文]

大学章句序

此伏義・神農・黄帝・堯・舜所以継天立極、而司徒之職、典楽之官、所由設也。

[書き下し文]

これ伏義・神農・黄帝・堯・舜の天に継ぎ極を立つる所以にして、而して(しかして)司徒(しと)の職、典楽の官、由て(よって)設くる所なり。

[現代語訳]

これは伏義・神農・黄帝・堯・舜といった上古の帝王たちが天意を継承して万民を統治して教育した由縁であって、政治・教育を司る司徒の職務、音楽を司る典楽の官職を設けた由縁でもある。

[補足]

中国上古の帝王の事例を示して、天命を受けた天子が天意を継いで万民を教化・先導していくという儒教の政治の理想型を説明している。ここでいう『極』は、『至高(至極)の模範・お手本』という意味である。

[白文]

三代之隆、其法寝備。然後王宮国都、以及閭巷、莫不有学。人生八歳、則自王公以下、至於庶人之子弟、皆入小学、而教之以洒掃応対進退之節、礼楽射御書数之文。及其十有五年、則自天子之元子衆子、以至公卿大夫元士之適子、与凡民之俊秀、皆入大学、而教之以窮理正心修己治人之道。此又学校之教、小大之節、所以分也。

[書き下し文]

三代の隆ん(さかん)なるその法寝く(ようやく)備わる。然して後王宮国都よりもって閭巷(りょこう)に及ぶまで学あらざる莫し。人生まれて八歳なれば則ち王公より以下、庶人の子弟に至るまで皆小学に入り、而してこれに教うるに洒掃(さいそう)応対進退の節、礼楽射御書数(れい・がく・しゃ・ぎょ・しょ・すう)の文をもってす。その十有五年に及べば則ち天子の元子(げんし)・衆子(しゅうし)より、もって公卿(こうけい)大夫(たいふ)元士の適子(てきし)と凡民(はんみん)の俊秀(しゅんしゅう)とに至るまで皆大学に入り、而してこれに教うるに窮理(きゅうり)正心(せいしん)修己治人(しゅうこちじん)の道をもってす。これ又学校の教え、小大(しょうだい)の節分るる(わかるる)所以なり。

[現代語訳]

夏・殷・周の三代の王朝が隆盛した時には、国を治める教育制度が備わっていたという。そのため、天子の都・諸侯の都はもちろん、一般の市井に至るまで教養を学ぶ学校が行き渡っていた。人は生まれて八歳になれば、上は王公から下は庶民の子弟に至るまで、みんな小学に入学して、洒掃応対進退の基本的な生活態度や礼楽射御書数の士大夫の教養を教えられた。子弟が15歳に達すると、天子の太子やその他の王子、公卿・大夫・元士の嫡男、庶民の優秀な子に至るまで、みんな大学に入った。これらの有能な子弟には、理知を窮めた教育を施して、心を正しくして自己を修め、人を治めるための道理を教えたのである。これは、学校の教えにも、(子弟の身分・能力・学習意欲に応じて)大学・小学の区別が設けられている由縁である。

[補足]

伝説的な中国の古代王朝である『夏・殷・周』の教育体制・学校制度を理想化して書いている部分で、これらの王朝時代には学校が隅々にまで行き渡っていて、無学・無教養の無頼漢がほとんどいなかったという。古代中国における基本知識や基礎教養について仄めかされているが、ここにある“小学は8歳・大学は15歳の就学年齢”に対しては『尚書大伝』に異論(小学は13歳・大学は20歳)もある。

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[白文]

夫以学校之設、其広如此、教之之術、其次第節目之詳又如此、而其所以為教、則又皆本之人君躬行心得之余、不待求之民生日用彝倫之外。

[書き下し文]

それ学校の設け、その広きことかくの如く、これを教うるの術、その次第節目(せつもく)の詳らか(つまびらか)なること又かくの如きをもってして、而してその教えを為す所以は、則ち又皆これを人君(じんくん)躬行(きゅうこう)心得(しんとく)の余に本づけ、これを民生(みんせい)日用(にちよう)彝倫(いりん)の外に求むるを待たず。

[現代語訳]

それ学校の設備が広く行き渡っていることはこのようであり、子弟を教える方法、その次第・順序の詳しい内容はこのようなものである。そしてその教育を実施する由縁は、みんな君子が自発的に自ら実行したこと、心に会得した道理に基づいている。この教えは、一般庶民が日常生活で守って生きている不易・普遍の人倫から外れるものではないのだ。

[補足]

儒教における教育内容や倫理規範の普遍性を示しており、『君子の実践』と『民間の生活』の双方に通用する倫理的な思想があるという前提に立っている。君子が自分から進んで実行して感じたことが、儒教における教育内容になっているのだが、その内容は一般庶民が日常生活で感じている普遍的な人倫(道徳)に反するものではない。

[白文]

是以当世之人無不学、其学焉者、無不有以知其性分之所固有、職分之所当為、而各俛焉以尽其力。此古昔盛時、所以治隆於上、俗美於下、而非後世之所能及也。

[書き下し文]

是(ここ)をもって当世の人学ばざるなく、その学ぶ者はもってその性分の固有する所、職分の当為とすべき所を知って、而して各々俛焉(べんえん)としてもってその力を尽くす有らざる無し。これ古昔(こせき)盛時(せいじ)、治上(ちかみ)に隆んにし俗下(ぞくした)に美に、後世の能く及ぶ所に非ざる所以なり。

[現代語訳]

学校が整っていることによって、夏・殷・周の人々には学ばない人間がいない。その学ぶ者たちは仁・義・礼・智といった固有の本分、自分の職分としての義務を知っている。そして、それぞれ自分のやるべきことを勤勉に行っており、自分の全力を尽くさないという人(学ばず働かないといった怠けている人)がいないのである。これは古代の王朝の盛んな時期には、上の政治がきちんと機能していて、下の庶民の風俗も乱れていなかったこと(風俗・生活が美しかったこと)を示しており、後世がその昔の時代に及ばない由縁である。

[補足]

古代の三代(夏・殷・周)の時代を理想化しており、この伝説的な昔の時代には、すべての人間が勤勉に勉強をして、真面目に働いて義務(職分)を果たしていたという。古代王朝の学校制度(本当に実在していたか否かは不明なのだが)を手放しで賛美している。

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