『大学』の書き下し文と現代語訳:13

儒教(儒学)の基本思想を示した経典に、『論語』『孟子』『大学』『中庸』の四書(ししょ)がありますが、ここでは儒者の自己修養と政治思想を説いた『大学』の解説をしています。『大学』は元々は大著の『礼記』(四書五経の一つ)の一篇を編纂したものであり、曾子や秦漢の儒家によってその原型が作られたと考えられています。南宋時代以降に、『四書五経』という基本経典の括り方が完成しました。

『大学』は『修身・斉家・治国・平天下』の段階的に発展する政治思想の要諦を述べた書物であり、身近な自分の事柄から遠大な国家の理想まで、長い思想の射程を持っている。しかし、その原文はわずかに“1753文字”であり、非常に簡潔にまとめられている。『大学』の白文・書き下し文・現代語訳を書いていく。

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金谷治『大学・中庸』(岩波文庫),宇野哲人『大学』(講談社学術文庫),伊與田覺『『大学』を素読する』(致知出版社)

[白文]

詩云、桃之夭夭、其葉秦秦。之子于帰、宜其家人。宜其家人、而后可以教国人。詩云、宜兄宜弟。宜兄宜弟、而后可以教国人。詩云、其儀不違、正是四国。其為父子兄弟足法、而后民法之也。此謂治国在斉其家。

右伝之九章。釈斉家治国。

[書き下し文]

詩に云く、桃の夭々(ようよう)たる、その葉秦秦(しんしん)たり。この子于(ここ)に帰る、その家人(かじん)に宜しく(よろしく)と。その家人に宜しくして、而して后(のち)にもって国人(こくじん)を教うべし。詩に云く、兄(けい)に宜しく弟(てい)に宜しくと。兄に宜しく弟に宜しくして、而して后にもって国人を教うべし。詩に云く、その儀(のり)違わず、この四国(しこく)を正すと。その父子兄弟(ふしけいてい)たる法(のり)とるに足りて、而して后に民(たみ)これに法とる(のっとる)。これを国を治むるはその家を斉うる(ととのうる)に在りと謂う。

右伝の九章。家を斉え国を治むることを釈す。

[現代語訳]

詩(周南桃夭の詩)に言う、桃の花がかぐわしく咲き誇り、桃の葉が生い茂っている。桃の花のように美しい婦人がある家に嫁ぎ、その家人と仲良く暮らしている。この女性が家人に優しくするように、君子もその家人に優しく接することで、国人(国の有為な人材)を教えることができる。詩(小雅蓼蕭,しょうがりくしょうの詩)に謳われている、兄に優しく弟にも優しくと。君子は兄にも弟にも優しく接することで、国人を教えることができる。詩(曹風し鳩,そうふうしきゅうの詩)に謳われている、その儀礼に違わないことで四方の国を正すと。父に慈を、子に孝を、兄に友を、弟に恭を規範として守らせることで、君子は人民に斉家の意識を持たせることができる。これを国を治めるのは、その家をまず斉えることにあるというのだ。

右は伝の九章で、家を斉え国を治むることを解釈したものである。

[補足]

儒教では『治国』の基盤に『斉家』があると考えるが、ここでは家族(家人)のそれぞれが調和し協力して生活するための『役割・徳』についての分担を説明している。父は慈(慈愛)を持つべきであり、子は孝(忠孝)を持つべきだとし、兄弟においても兄は弟に対して友を持ち、弟は兄に対して恭(従順)を持たなければならないとする。

[白文]

所謂平天下在治其国者、上老老而民興孝、上長長而民興弟、上恤孤而民不倍。是以君子有給髞V道也。

[書き下し文]

所謂天下を平らかにするはその国を治むるに在りとは、上(かみ)老(ろう)を老として民(たみ)孝(こう)に興り、上(かみ)長(ちょう)を長として民弟(てい)に興り、上孤(こ)を恤みて(あわれみて)民倍かず(そむかず)。ここをもって君子給驕iけっく)の道あるなり。

[現代語訳]

いわゆる天下を平和にするのは、その国を安定して治めることにあるというが、それは君子が長老を長老として敬えば、人民にも自然に親に対する孝が起こるということである。君子が長者を長者として敬えば、人民にも自然に兄(年長者)に対する弟(従順)が起こる。君子が孤児を憐れんで慈悲を示せば、人民は自然に反乱をせず逆らわなくなる。これを、君子が人民の心情を推し量って模範を示す給驍フ道というのである。

[補足]

国を治めて天下を平穏にするためには、まず君子(統治者)がその模範的な生活・言動を『率先垂範』しなければ説得力がないということであり、君子が先に手本を行って人民がそれに倣っていくというのが儒教のいう『給驍フ道』なのである。年長者への敬意や困窮者への慈愛の大切さなどを説いた部分になっている。

[白文]

所悪於上、毋以使下。所悪於下、毋以事上。所悪於前、毋以先後。所悪於後、毋以従前。所悪於右、毋以交於左。所悪於左、毋以交於右。此之謂給髞V道。

[書き下し文]

上(かみ)に悪む(にくむ)所、もって下を使う毋れ(なかれ)。下に悪む所、もって上に事うる(つかうる)毋れ。前に悪む所、もって後ろに先だつ毋れ。後ろに悪む所、もって前に従う毋れ。右に悪む所、もって左に交わる毋れ。左に悪む所、もって右に交わる毋れ。これをこれ給驕iけっく)の道と謂う。

[現代語訳]

仕えている上の者を憎く思う時には、もって(下の者の心を推し量って)自分がそのような方法で下の者を使わないようにする。自分に仕えている下の者を憎く思う時には、もって(上の者の心を推し量って)自分がそのような方法で上の者に仕えないようにする。前任の人を憎く思う時には、もって(後任の者の心を推し量って)自分がそのようなやり方で後任に接さないようにする。後任の人を憎く思う時には、もって(前任の者の心を推し量って)自分はそのような方法で前任者に当たらないようにする。右の者の不善を憎めば、その不善を左の者にはしないようにする。左の者の不善を憎めば、もってその不善を右の者にはしないようにせよ。これを君子の行うべき給驍フ道というのである。

[補足]

儒教の理想的な君子像として、『己の欲せざる所、人に施すことなかれ』という共感能力の持ち主があるが、この章では『自分が相手の不善・不正・無礼を憎らしく思う時』には、まずわが身を振り返って自分自身が相手に同じような憎悪・不快を与えていないかを考慮すべきだとしている。自分がされた嫌なことを他人にもするような人間にはなるな、『後輩のしごき・後任への冷遇・古株の傲慢』のような悪しき伝統・慣習をいつまでも続けるなという事を言っているのである。

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