『中庸』の書き下し文と現代語訳:9

儒教(儒学)の基本思想を示した経典に、『論語』『孟子』『大学』『中庸』の四書(ししょ)がありますが、ここでは極端な判断を避けてその状況における最適な判断を目指す中庸(ちゅうよう)の大切さ・有利さを説いた『中庸』の解説をしています。『中庸』も『大学』と同じく、元々は大著『礼記』の中にある一篇ですが、『史記』の作者である司馬遷(しばせん)は『中庸』の作者を子思(しし)としています。

中庸の徳とは『大きく偏らない考えや判断に宿っている徳』という意味であるが、必ずしも全体を足して割った平均値や過不足のない真ん中のことを指しているわけではない。中庸の“中”は『偏らないこと』、“庸”は『普通・凡庸であること』を意味するが、儒教の倫理規範の最高概念である中庸には『その場における最善の選択』という意味も込められている。『中庸』の白文・書き下し文・現代語訳を書いていきます。

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金谷治『大学・中庸』(岩波文庫),宇野哲人『中庸』(講談社学術文庫),伊與田覺『『中庸』に学ぶ』(致知出版社)

[白文]

右第六章

子曰、舜其大知也与。舜好問而好察爾言、隠悪而揚善、執其両端、用其中於民。其斯以為舜乎。

[書き下し文]

右第六章

子曰く、舜はそれ大知なるか。舜は問うことを好んで爾言(じげん)を察することを好み、悪を隠して善を揚げ、その両端を執って、その中を民に用ゆ。それこれもって舜と為すか。

[現代語訳]

先生がおっしゃった、舜は偉大な知者だったのか。舜は質問することを好み、卑近な意見から本質を察することを好んだ。人民の意見の悪を隠して善を賞賛し、善悪の両端から、その中間にある中庸を選んで人民に適用した。これらの事例を持って、聖人である舜は舜であると言えるのだろう。

[補足]

古代中国の伝説的な聖人(五帝)に『尭・舜・禹(ぎょう・しゅん・う)』がいるが、その中でも舜は特に『中庸・孝行(親への忠節)』の徳に抜きん出ていたとされる。舜には『明確で最適な見識』があったが、舜は自らの見識を誇ったり表に出して強いたりすることがなく、他人の意見や提言に率直に耳を傾けて質問することを好んでいたという。舜は人民の取りとめもない卑近な話を聞きながら、『善の極端』と『悪の極端』の中間領域にあるほど良い『中庸』を選び取って、人民でも守ることができて実践することのできる中庸を実際の政治にも適用したのである。それをもって、舜は聖人としての名声を後世に残したとされる。

[白文]

右第七章

子曰、人皆曰予知。驅而納諸古獲陥穽之中、而莫之知辟也。人皆曰予知。択乎中庸、而不能期月守也。

[書き下し文]

右第七章

子曰く、人皆(ひとみな)予(われ)知ありと曰う(いう)。駆って諸(これ)を古獲陥穽(こかかんせい)の中に納れてこれを辟くる(さくる)ことを知る莫きなり。人皆予知ありと曰う。中庸を択んで(えらんで)期月(きげつ)を守ること能わざるなり。

[現代語訳]

先生がおっしゃった。人々はみんな自分には知恵があるという。しかし、獣を追いかけてこれを網や仕掛け(罠)、落とし穴のうちに追い詰めていっても、獣はこれを避ける方法を知らないように、人々の多くも危難・災厄の避け方を知らない。人々はみんな自分には知恵があるという。しかし、中庸の道を選んだとしてもそれをわずか一月でさえ守ることができない。(これでは、人々に本当に知恵があるなどとはとても言えないだろう。)

[補足]

孔子が想定している『知恵』について説明した章である。人々はみんな自分では『自分に知恵がある』と思い込んでいるのだが、実際には『自分に迫っている災厄の避け方も知らない』という意味では本当に知恵があるなどとはとても言えない。また、極端な判断や生き方を避けるべきとする『中庸』について知っていてその道を選んだとしても、実際には『中庸の実践・行動』をたった1ヶ月さえ固守することができない。人民の多くはその意志薄弱な流されやすさ故に、本当の知者であるとは言えない。

[白文]

右第八章

子曰、回之為人也、択乎中庸、得一善、則拳拳服膺、而弗失之矣。

[書き下し文]

右第八章

子曰く、回の人と為りや、中庸を択び、一善を得れば則ち拳拳服膺(けんけんふくよう)してこれを失わず。

[現代語訳]

孔子がおっしゃった。顔回の人となり(性格と生き方)は、最適な中庸の道を選んで、もし一善を得ることができれば、それを大切に捧げ持って胸につけ、決して善を失わないようにできるといった人物である。

[補足]

孔子が最も寵愛してその才覚と人品を認めていたとされる顔回(顔淵)の人となりについての章である。顔回は中庸の道を選ぶだけではなく、その道を明らかにして、大切に守り続けることのできる優れた人物であったという。『拳拳服膺』というのは、大切に捧げ持って身に付けるといった意味であり、しっかり自覚して『忘れないようにする・失わないようにする』といった意味の慣用句として現代でも用いられることがある。

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