『中庸』の書き下し文と現代語訳:14

儒教(儒学)の基本思想を示した経典に、『論語』『孟子』『大学』『中庸』の四書(ししょ)がありますが、ここでは極端な判断を避けてその状況における最適な判断を目指す中庸(ちゅうよう)の大切さ・有利さを説いた『中庸』の解説をしています。『中庸』も『大学』と同じく、元々は大著『礼記』の中にある一篇ですが、『史記』の作者である司馬遷(しばせん)は『中庸』の作者を子思(しし)としています。

中庸の徳とは『大きく偏らない考えや判断に宿っている徳』という意味であるが、必ずしも全体を足して割った平均値や過不足のない真ん中のことを指しているわけではない。中庸の“中”は『偏らないこと』、“庸”は『普通・凡庸であること』を意味するが、儒教の倫理規範の最高概念である中庸には『その場における最善の選択』という意味も込められている。『中庸』の白文・書き下し文・現代語訳を書いていきます。

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金谷治『大学・中庸』(岩波文庫),宇野哲人『中庸』(講談社学術文庫),伊與田覺『『中庸』に学ぶ』(致知出版社)

[白文]

右第十八章

子曰、無憂者、其惟文王乎。以王季為父、以武王為子、父作之、子述之。武王継大王王季文王之緒、壱戎衣而有天下、身不失天下之顕名、尊為天子、富有四海之内、宗廟饗之、子孫保之。

[書き下し文]

右第十八章

子曰く、憂いなき者はそれ惟(ただ)文王か。王季(おうき)をもって父となし、武王をもって子と為し、父これを作し(なし)、子これを述ぶ(のぶ)。武王は大王(たいおう)王季文王の緒を継ぎ、壱たび戎衣(じゅうい)して天下を有ち(たもち)、身天下の顕名(けんめい)を失わず、尊は天子なり、富は四海の内を有ち、宗廟これを饗け(うけ)、子孫これを保つ。

[現代語訳]

先生がおっしゃった。憂いや悩みがない君主は文王だけだろう。偉大な王季を父に持ち、勇敢な武王を子に持ち、父の王季は王朝を創始して、子の武王はこの王朝(王権)を拡大したのだから。武王は大王・王季・文王の建設した王朝を引き継いで、一度だけ武装して鎧をまとい、殷の暴君・紂王を討伐することで天下を治めた。武王は天下の盛名を失うことがなく、その尊敬すべきところは天子であり、その富は四海の内を保つほどに豊かであり、祖先崇拝の宗廟を祀って祭祀を行い、子孫がその王権と宗廟を見事に保ったのである。

[補足]

儒教の創始者である孔子は、殷の紂王を滅ぼして建国された『周王朝』を、有徳の天子(君主)によって統治されている理想の王朝だと考えていた。ここでは、親の王季、子の武王に恵まれた文王が、いかに幸運で有徳な人物だったのかということが説かれている。儒教では、『王位・王朝が君主の子孫(血統)へと安定的に継承されること=下位者が上位者を実力で脅かしてその権力を奪取しないこと(君主への絶対忠誠と下剋上の禁止)』が高く評価されていた。

[白文]

右第十八章

武王末受命。周公成文武之徳、追王大王王季、上祀先公、以天子之体。斯礼也、達乎諸侯大夫、及士庶人。父為大夫、子為士、葬以大夫、祭以士。父為士、子為大夫、葬以士、祭以大夫。期之喪、達乎大夫。三年之喪、達乎天子。父母之喪、無貴賎一也。

[書き下し文]

右第十八章

武王末いて(おいて)命を受く。周公、文武の徳を成し、大王(たいおう)王季(おうき)を追王(ついおう)し、上(かみ)先公(せんこう)を祀るに天子の礼をもってす。この礼や諸侯大夫(しょこうたいふ)及び士庶人(ししょじん)に達す。父大夫(たいふ)たり子士(し)たれば、葬るに大夫をもってし、祭るに士をもってす。父士たり子大夫たれば、葬るに士をもってし、祭るに大夫をもってす。期(き)の喪(も)は大夫に達す。三年の喪は天子に達す。父母の喪は貴賎なく一なり。

[現代語訳]

武王は年老いてから、天子となる天命を受けた(そのため、王位継承後わずか七年で崩御して礼制を整えられなかった)。周公は文王・武王の徳を成し遂げて、大王・王季に王号を追贈して、その先祖たちを祀るのにも天子の礼を尽くして行った。この手厚い礼制(孝の徳の実践)は、諸侯大夫から一般庶民にまで及んでいった。父が大夫であって子が士であれば、その葬儀を大夫の資格を適用して行い、祭るのは士の資格を適用する。反対に、父が士であって子が大夫であれば、その葬儀は士の資格を適用し、祭るのには大夫の資格を適用するのである。一年以下の喪である『期』は、天子には及ばないが大夫にまでは及ぶ。三年の喪にまでなると、天子にまで及び天子もこれに服さなければならない。特に最も重要な『父母(親)の喪』は、身分の貴賎に関わらずみんながこれに服さなければならない。

[補足]

『祖先崇拝・忠孝の徳』を原理とする儒教では、葬儀と祭祀が非常に大切にされているが、この章では『葬儀・祭祀にまつわる礼制』を整えた周公の功績について解説されている。父と子の身分が異なっている時でも、葬儀は必ず『父親の身分』に合わせるようにして、祭祀のほうを『子の身分』に合わせるのだという。天子・諸侯は一年以下の服喪が定められている『期』には従わなくても良いが、三年以上の服喪が定められている近親者の死の場合には天子・諸侯と雖も従わなくてはならず、特に『父母の死』に際しては身分の区別なく、すべての人が長期間(三年以上)の喪に服さなければならない。

[白文]

右第十九章

子曰、武王周公、其達孝矣乎。夫孝者、善継人之志、善述人之事者也。

春秋修其祖廟、陳其宗器、設其裳衣、薦其時食。宗廟之体、所以序昭穆也。序爵、所以弁貴賎也。序事、所以弁賢也。旅酬下為上、所以逮賎也。燕毛、所以序歯也。

[書き下し文]

右第十九章

子曰く、武王周公はそれ達孝(たつこう)なるか。それ孝は、善く人の志を継ぎ、善く人の事を述ぶる者なり。

春秋にその祖廟(そびょう)を修め、その宗器(そうき)を陳ね(つらね)、その裳衣(しょうい)を設け、その時食(じしょく)を薦む。宗廟の礼は昭穆(しょうぼく)を序する所以(ゆえん)なり。爵を序するは貴賎を弁ずる所以なり。事を序するは賢を弁ずる所以なり。旅酬(りょしゅう)下上(しもかみ)の為にするは、賎に逮ぶ(およぶ)所以なり。燕毛(えんもう)は歯(よわい)を序する所以なり。

[現代語訳]

先生はおっしゃった。武王・周公は、礼制を整えて親に対する孝を尽くした『達孝』の人というべき君主だろう。孝というものは、父祖が成し得なかった志を継ぐこと、父祖が成し得た功績をより押し広げていくことなのである。

春秋(四季)に祖先の廟を清浄に保ち、祭祀に用いる器具を陳列し、先祖の衣裳を取り出して調え、季節の旬の食べ物を祖先に勧める。宗廟の礼は親子の序列を定めるものでもあり、左を親を祭る上位の『昭(しょう)』、右を子を祭る下位の『穆(ぼく)』に分けている。祭祀の時に諸侯・大夫の爵位によって分けるのは、身分の貴賎を分けるためである。祭祀の事務処理の難易度を分けるのは、賢者と愚者を分けるためである。祭祀の際の『旅酬の礼』では、下の者が上の者に酒を勧めるので、その恩恵は下位の賎者にまで及ぶことになるのである。頭の毛の色で『長幼の序』に応じた座席を割り当てる燕毛の礼というのも、年長者を敬うための序列をつけるためである。

[補足]

儒教は『封建主義的な身分差別』を擁護する思想として批判されることもあるが、儒教が生まれて広まった時代は『春秋戦国時代の乱世』であり、上位者と下位者の身分・立場の区別をはっきりさせないと、『戦乱・謀略・暗殺』が終わりなく続くような混乱状態であった。儒教は『孝行・忠義・礼』などの徳を賞賛して、上位者や年長者に下位者(年少者)が逆らわないような社会秩序を形成することで、世の中に争いや戦乱、謀略が起こらないようにした宗教としての一面を持つ。この章では、『儒教がなぜ序列・差別・年齢の上下関係を重視するのかの理由』について簡潔に説明されている。

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