『荘子(内篇)・逍遥遊篇』の5

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荘子(生没年不詳,一説に紀元前369年~紀元前286年)は、名前を荘周(そうしゅう)といい、字(あざな)は子休(しきゅう)であったとされる。荘子は古代中国の戦国時代に活躍した『無為自然・一切斉同』を重んじる超俗的な思想家であり、老子と共に『老荘思想』と呼ばれる一派の原型となる思想を形成した。孔子の説いた『儒教』は、聖人君子の徳治主義を理想とした世俗的な政治思想の側面を持つが、荘子の『老荘思想』は、何ものにも束縛されない絶対的な自由を求める思想である。

『荘子』は世俗的な政治・名誉から遠ざかって隠遁・諧謔するような傾向が濃厚であり、荘子は絶対的に自由無碍な境地に到達した人を『神人(しんじん)・至人(しじん)』と呼んだ。荘子は『権力・財力・名誉』などを求めて、自己の本質を見失ってまで奔走・執着する世俗の人間を、超越的視座から諧謔・哄笑する脱俗の思想家である。荘子が唱えた『無為自然・自由・道』の思想は、その後の『道教・道家』の生成発展にも大きな影響を与え、老子・荘子は道教の始祖とも呼ばれている。荘子は『内篇七篇・外篇十五篇・雑篇十一篇』の合計三十三篇の著述を残したとされる。

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金谷治『荘子 全4冊』(岩波文庫),福永光司・興膳宏『荘子 内篇』(ちくま学芸文庫),森三樹三郎『荘子』(中公文庫・中公クラシックス)

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[書き下し文]

逍遥遊篇 第一(つづき)

宋人(そうひと)、章甫(しょうほ)を資れて(しいれて)諸越(しょえつ)に適けり(ゆけり)。越人(えつひと)は髪を断ち身に文(いれずみ)ありて、之を用うる所なし。尭、天下の民を治め、海内(かいだい)の政(まつりごと)を平らかにして、往きて四人の子を藐か(はるか)なる姑射の山に見しが、汾水(ふんすい)の陽(きた)にて目然(ようぜん)して其の天下を喪れたり(わすれたり)。

恵子(けいし)、荘子に謂いて曰く、「魏王、我に大瓠(おおひさご)の種を貽れたり(くれたり)。我之(これ)を樹えて(うえて)成りしに、その大きさ五石(ごこく)を実る。これに水漿(のみもの)を盛れば、其の堅きこと(おもきこと)自ら挙げる能わず(あたわず)。之を剖いて(さいて)以て瓢(ひしゃく)と為せば、瓠落(ひらたく)して容るる所がない。号然として大きからずには非ざれども、吾その無用であるがために之を剖り(わり)ぬ。

荘子曰く、「夫子(そなた)は固(まこと)に大なるものを用うるに拙し。宋人に手に亀れ(あかぎれ)せざる薬を為る(つくる)に善(たくみ)なるものあり。世世(よよ)絖(わた)をさらすことを以て事(しごと)と為せり。客の之を聞いて、其の方(つくりかた)を百金にて買わんと請める(たのめる)ものあり。かれは族(しんせき)を聚めて(あつめて)謀りて曰く、我世世絖(わた)をさらすことを為すも、数金に過ぎず。今、一朝(たちまち)にして技をうりて百金となる、請う之を与らん(うらん)と。

客之を得て以て呉王に説けり。越に難(いくさ)ありて呉王之の(この)おとこを将とならしむ。冬に越人と水戦して大いに越人を敗れり。地を裂きて之を封ず。能く手に亀れ(あかぎれ)せざるは一(おなじ)なるが、或は以て封ぜられ、或はわたさらしとして終わるを免れざるは則ち用い所の異(ちがい)なり。今、子(そなた)に五石の瓠あり。何ぞこれ以て大樽(おおたる)を為りて(つくりて)江(かわ)や湖に浮かぶことを慮えず(かんがえず)して、其の瓠落(ひらたく)して容るる所なきを憂うるや。すなわち夫子には猶ほ蓬れたる(とらわれたる)心有り」と。

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[現代語訳]

宋の人は、殷の時代から使われている礼冠の『章甫』を仕入れて、越の国に行商に出かけた。越の人は髪を短く切って身体に刺青をしている野蛮な人たちだったので、章甫の冠などを用いることは無かった。尭は天下の民を治めて、中国の政治を礼楽の思想で安定させて、姑射の山で伝説的な四人の神人にも会ったというが、汾水の北の土地では既に尭の礼楽による統治などは忘れ去られてしまっているのである。

梁の恵王に仕えていた恵施(恵子)が荘子に言った。「魏王が私に大きな瓢(ひさご)の種をくれた。私はこの種を植えて瓢が実を結んだのだが、その大きさは五石の穀物が入るほどである。しかし、これに飲み物を入れると、余りに重たすぎて持ち上げることができない。これを割ってひしゃくにしてみても、平ぺったい形なので水を入れることができない。確かに無茶苦茶大きな瓢ではあるのだが、何の役にも立たない無用の長物だったので叩き割ってしまった」と。

荘子が言った。「あなたは本当に偉大なものを使うのが下手なだけである。宋の人に手のあかぎれを治す薬を作るのが上手な人がいた。先祖代々、綿をさらす仕事をしていた者である。旅をしている男がこの話を聞いて、その綿の造り方を百金で売ってくれないかと言ってきた。綿をさらしていた男は親戚を集めて話し合いをしてから言った。私は代々綿をさらす仕事をしていたが、その利益はたったの数金に過ぎなかった。それがわずか一夜にして、このあかぎれしない薬を作る技術を売って百金にもなるのだという。分かりました、この薬の技術をぜひお売りしましょうと。旅の男はこのあかぎれを防ぐ薬づくりの技術を買い取ってかた呉王に話した。

越と戦争があっており、呉王はこの旅の男を将軍に任命した。冬に越と水戦をした呉は、旅の男が持ってきたあかぎれを防ぐ薬を使って、越を大いに打ち破って戦果を上げた。呉王は土地を分かちて、旅の男を諸侯として封じることにした。手にあかぎれを作らない薬を持っているという意味では、旅の男も代々わたさらしをしている男も同じである。だが、一方は諸侯として封じられ、もう一方は代々わたさらしのままで終わってしまうというのは、『用い方・使い方の違い』なのである。今、あなたには五石の大きさの瓢がある。どうしてこれを加工して大樽を造り、河や海に浮かべて船にするようなことを考えず、ただその瓢が浅くて平ぺったいことばかりを心配するのか。つまり、あなたの心はまだ世間の常識(俗世の価値観)に囚われ過ぎているのだよ」と。

[解説]

荘子と恵子の問答を通して、『大きなひさご』を有効活用できない恵子の固定観念を批判し、『無用の用』に通じる発想と価値観の自由さを説いている。恵子は魏王から与えられた巨大な瓢を何にも使えない役立たずな物だと嘆いているのだが、荘子は『同じ物』を持っていても、『その用い方・使い方』によっては価値が生まれたり価値が無くなったりするのだと教えている。

『同じあかぎれの治療薬』を持っていても、旅の男は呉王から諸侯に取り上げられるほどの成功・出世をしたが、その男に薬の使い方を売った田舎の男は、ずっとわたさらしの仕事をするだけで一生を終えてしまうという例え話が提示されているが、これも『無用の用』を分かりやすく伝えるために挿入された逸話である。

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[書き下し文]

逍遥遊篇 第一(つづき)

恵子、荘子に謂いて曰く、「吾(われ)に大いなる樹あり。人は之を樗(おうち)と謂う。其の大本は擁腫ちて(ふしくれだちて)縄墨(すみなわ)に中らず(あたらず)、その小枝は巻き曲がりて規(ぶんまわし)と矩(さしがね)に中らず、之を塗ばたに立ておくも匠者(だいく)の顧みるものなし。今、子(きみ)の言(ことば)も大きくはあれど用うるすべ無し。衆の同じく去る所なり」と。

荘子曰く、「子(きみ)は独りいたちを見ざるか。身を卑めて(かがめて)伏せ、以て敖ぶ(あそぶ)者を候い(つけねらい)、東西に跳梁し、高きところも下きところも避けず、ついに機辟(わな)に中り(はまり)、罔罟(あみ)にかかりて死す。今、かのくろ牛は其の大いなること天に垂れる雲の若し(ごとし)。此れ能(まこと)に大いなれども鼠を執うる(とらうる)ことは能くせず。今、子に大いなる樹ありて、其の用うるすべ無きを患うる(うれうる)も、何ゆえに之を何も無き郷(むらざと)、広漠な野に樹えて(うえて)、彷徨乎(ほうこうこ)として其の側ら(かたわら)に無為い(いこい)、逍遥乎(しょうようこ)として其の下に寝臥らざるや(ねそべらざるや)。

斤斧(きんぷ)に夭られ(きられ)もせず、物の害するもなし。用うるべき所なきも、安ぞ(なんぞ)困り苦しむ所のあらんや」と。

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[現代語訳]

恵子が荘子に言った。「私には大きな木がある。人はこの木を樗(おうち)と呼んでいる。その幹は節くれだっていて墨縄で線を引いて材木にすることができない、その小枝も曲がりくねっているので定規や差し金にならない、これを道端に置いておいても大工は誰も拾おうとはしないのだ。今、あなたがおっしゃっていることも、壮大な話ではあるが実際に用いる所がない。一般の大衆は、同じようにあなたの言説を捨て去ってしまうことだろう」と。

荘子が言った。「あなたはイタチを見たことがないのか。イタチはその身をかがめて隠れ、動くものを付けねらってあちこちに飛び跳ねる、高いところでも低いところでも構わずに動くことができる。だが、最後には罠にかかったり網で捕まえられて殺されてしまうのだ。今、あの黒牛は天を満たす雲のように堂々として大きい。本当に大きくて立派な黒牛だが、鼠を捕まえることすらできないのだ。今、あなたは大きな木を持っていてその用い方がないことを憂えているが、どうしてこれを誰もいない村里や広大な野原に植樹して育て、囚われない穏やかな心でその木の下で憩おうとしないのか、どうしてのんびりと散策をしてその木の下で寝そべって休もうとしないのか。そうすれば、斧や鉞(まさかり)で伐られることもなく、何かを傷つけることもない。役立つことがない、使いようがないといっても、どうしてそれを悩んで苦しむ必要などあるのだろうか」と。

[解説]

荘子は『逍遥遊篇』において、世俗の常識や固定観念に囚われた世界を離脱して、『有用性・利便性(使えるもの・役立つ人間)』といった判断のものさしを敢えて捨てることによって、無限大に自由でのびやかな境地に到達しようとしている。あらゆる物や人に内在する自由・自然な価値、真の有用性というものを荘子は認識しており、それが恵子の『無用の長物の嘆き(役に立たない巨樹の樗の否定)』を反駁する態度となって現れ、『無用の用』という超越的な真理にまで至っているのである。

損得や利便にこだわる世俗の人間たちに対峙する荘子は、『無用(役立たず)とされて捨てられていく者・人』の中にこそ、真の有用性と脱俗的な自由の価値を見出しているのである。世俗の固定観念や評価の目線を抜け出して、『終わりのない彷徨』と『果てしない逍遥』の中で自由に遊ぼうとする荘子は、この章の最後で『世の中のみんな(世俗の社会の基準)』から役に立たないといわれても、それで悩んだり苦しんだりすることは無いではないか(そのもの本来の自然な可能性や価値とは何の関係も無い他人の意見ではないか)と訴えている。

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