『荘子(内篇)・斉物論篇』の11

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[書き下し文]

斉物論篇 第二(続き)

それ道は、未だ始めより封じる(ほうじる)こと有らず。言は、未だ始めより常なること有らず。是れ(これ)が為にして畛らるる(くぎらるる)こと有り。請う其の畛りを言わん。左あり右あり、倫うこと(あげつらうこと)有り義ること(はかること)有り。分つこと有り辯ずる(べんずる)こと有り、競うこと有り争うこと有り。此を之れ(これ)八徳(はっとく)と謂う(いう)。

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[現代語訳]

そもそも道というのは、始めから境界(区切られた秩序)があったわけではない。言葉は、初めから定まった意味があったわけではない。言葉の認識によって区切られた秩序が生まれたのである。その区切られた境界・秩序について語ろう。左と右という対立的概念があり、議論して比較検討することがある。両者の弁別と価値づけがあり、競争と対立がある。これを八徳という。

[解説]

荘子の実在と言葉(認識)についての相対的な考え方を整理した部分である。世界の初めにはあるものと他のものを区別して認識する境界秩序(区切られた秩序)は存在しなかったが、『言語による認識』があるものと他のものを区別して意味づけることを可能にした。

荘子の『八徳』というのは相対的な認識・価値によって成り立つ世界の構成要素であり、具体的には『左右・論議・分辯・競争』の四組(八つ)を指している。八徳は人間の知性・言語が『道』を分別したものであり、人間が世界を概念的に理解するための『境界秩序(区切られた秩序)』を生み出すものでもある。

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[書き下し文]

斉物論篇 第二(つづき)

六合(りくごう=世界)の外なることは、聖人は存して論わず(あげつらわず)、六合の内なることは、聖人は論うも議らず(あげつらうもはからず)、春秋は世を経めし(おさめし)先(いにしえ)の王の志なるが、聖人は議る(はかる)も辯か(つまびらか)にせず。

故に分かつとは、分かたざること有るなり。辯かにすとは、辯かにせざること有るなり。曰く、何ぞや。聖人は之を懐き(いだき)、衆人は之を辯かにして以て相示すなり。故に曰く、「辯かにすとは、見さざること(しめさざること)有るなり」と。

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[現代語訳]

世界(宇宙)の外にある超越的なものについて、聖人はそれが存在するとしても論じない、世界(宇宙)の内にあることは、聖人は普遍的なことは論じるが細かな比較検討はしない、『春秋』の書物は世を治めた古代の王の記録であるが、聖人は事実について議論するが、事実の判断(主観的意味づけ)はしないのである。

だから、分別するとは分別しないことなのである。価値を判断する(明らかにする)とは判断しないことなのである。それはどういうことなのか。聖人は分別(差異と対立)をそのまま懐き、衆人はこれを区別・判断してそのさ差異を示すのである。だから、「価値を明らかにするとは、差異・対立を他者に示さないことである(聖人のごとく自分の中にそのまま懐くことである)」と言われているのだ。

[解説]

聖人の物事の認識の仕方や真の分別のあり方について論じた部分である。宇宙(世界)の外にあるかもしれない超越的な真理や神秘的な事象について聖人は敢えて論じずに、ウィトゲンシュタインのように『語り得ぬ事柄については沈黙する』といった態度を示す。宇宙(世界)の内にあることについては、聖人は普遍的なことについては論じるが、些末な差異や価値判断(優劣・上下の区別)については語らないというのである。

荘子の世界観は相対主義を通した普遍性に根差しているもので、荘子は『真の分別は分別しないこと』『真の判断とは判断しないこと』という矛盾した考え方を示すのだが、これは『差異による差別・対立の判断停止』を意味している。聖人は物事に差異があるとしても、その差別や対立の判断をすることはなく、その差異を『ありのままの事実・現象』としてそのまま自分の中に懐くということである。

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荘子(生没年不詳,一説に紀元前369年~紀元前286年)は、名前を荘周(そうしゅう)といい、字(あざな)は子休(しきゅう)であったとされる。荘子は古代中国の戦国時代に活躍した『無為自然・一切斉同』を重んじる超俗的な思想家であり、老子と共に『老荘思想』と呼ばれる一派の原型となる思想を形成した。孔子の説いた『儒教』は、聖人君子の徳治主義を理想とした世俗的な政治思想の側面を持つが、荘子の『老荘思想』は、何ものにも束縛されない絶対的な自由を求める思想である。

『荘子』は世俗的な政治・名誉から遠ざかって隠遁・諧謔するような傾向が濃厚であり、荘子は絶対的に自由無碍な境地に到達した人を『神人(しんじん)・至人(しじん)』と呼んだ。荘子は『権力・財力・名誉』などを求めて、自己の本質を見失ってまで奔走・執着する世俗の人間を、超越的視座から諧謔・哄笑する脱俗の思想家である。荘子が唱えた『無為自然・自由・道』の思想は、その後の『道教・道家』の生成発展にも大きな影響を与え、老子・荘子は道教の始祖とも呼ばれている。荘子は『内篇七篇・外篇十五篇・雑篇十一篇』の合計三十三篇の著述を残したとされる。

参考文献
金谷治『荘子 全4冊』(岩波文庫),福永光司・興膳宏『荘子 内篇』(ちくま学芸文庫),森三樹三郎『荘子』(中公文庫・中公クラシックス)

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