『論語 学而篇』の書き下し文と現代語訳:2

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孔子と孔子の高弟たちの言行・思想を集積して編纂した『論語』の学而篇の漢文(白文)と書き下し文を掲載して、簡単な解説(意訳や時代背景)を付け加えていきます。学校の国語の授業で漢文の勉強をしている人や孔子が創始した儒学(儒教)の思想的エッセンスを学びたいという人は、この『論語』の項目を参考にしながら儒学への理解と興味を深めていって下さい。『論語』の学而篇は、以下の2つのページによって解説されています。

[白文]9.曾子曰、慎終追遠、民徳帰厚矣。

[書き下し文]曾子曰く、終わりを慎み遠きを追えば、民の徳厚きに帰せん。

[口語訳]曾先生がこうおっしゃった。『(為政者が)亡くなった人の葬式を厳かに行い、遠い祖先の祭儀も決して忘れることがない。(このようであれば)人民の徳(思いやり)も自然に厚くなっていくものだ』

[解説]「終」とは古代中国の春秋時代には、身分のある貴族の死去であり、「終わりを慎む」とは、亡くなった人の葬式を形式(礼制)にのっとって正しく行い、悲哀の感情を捧げて喪に服すことである。孔子の時代には、宗教国家として神権政治を行った商(殷)以来の祭儀葬式の名残が残っており、宗教的な祭儀を厳格にしめやかに執り行うことが社会秩序の安定につながると考えられていた。為政者が、既にこの世に存在しない祖先の遺徳を丁重に取り扱うことで、現在生きている人民の徳や功績を大切にすることを天下に知らしめる効果があり、祖先(自分より上の世代)を敬う社会秩序の基盤にもなったのである。

[白文]10.子禽問於子貢曰、夫子至於是邦也、必聞其政、求之与、抑与之与、子貢曰、夫子温良恭倹譲以得之、夫子之求也、其諸異乎人之求之与。

[書き下し文]子禽、子貢に問いて曰く、『夫子の是の邦に至るや必ずその政を聞けり。これを求めたるか、抑も(そもそも)これを与えたるか。』
子貢曰く、『夫子(ふうし)は温良恭倹譲(おんりょうきょうけんじょう)以ってこれを得たり。夫子の求むるや、其諸(それ)人の求むるに異なるか。』

[口語訳]子禽が、子貢に尋ねて言った。『我らの先生(孔子)は何処の国に行かれても、きっと政治について意見を聞かれるだろう。これは、先生がもちかけたのだろうか、それとも、君主の側から頼まれたのだろうか』
子貢が答えた。『我らの先生(孔子)は、穏やかで素直で、恭しく慎ましい謙譲の精神を持っている。先生のほうから持ちかけたとしても、それは、他の人とは違っているのではないだろうか(学識を誇る他の人のように、自慢気にして強引に持ちかけるのとは違う)。』

[解説]子貢(しこう)は、子路や顔回、ゼン求、仲弓と並ぶ孔子の高弟として有名な人物である。子貢とは「字(あざな)」であり、姓は端木(たんぼく)、名は賜(し)という。この文章は、孔子の温厚誠実で従順素直な人柄を述べた問答の部分であり、特に、孔子の慎ましくへりくだる謙譲の美徳を強調したものである。儒教道徳では、自己顕示欲を戒めて傲慢不遜を抑制する「謙譲の精神」が高く評価されている。しかし、この自分を低く見せる謙譲の精神は、西欧の価値観では「卑屈・柔弱・自信の無さ・リーダーシップの欠如・自己嫌悪・へつらい」というように悪い方向で解釈されることが多く異文化交流の障壁ともなっている。

[白文]11.子曰、父在観其志、父没観其行、三年無改於父之道、可謂孝矣。

[書き下し文]子曰く、『父在らばその志を観(み)、父没すればその行いを観る。三年父の道を改むるなきを、孝と謂うべし。』

[口語訳]先生(孔子)がこうおっしゃった。『父が生きていればその意志を観察し、父が亡くなればその行動を観察する。そして、父の死後三年間、亡父のやり方を改めないのであれば、これは確かに孝行といえる。』

[解説]祖先崇拝と忠孝の徳を絶対とする儒教道徳では、子は親を無条件に尊敬してその命令や教えには従わなければならない。これは、孔子が弟子に「親孝行というのはどういうものですか?」と問われ、それに分かりやすく簡潔に答えたものと考えられる。「三年間、亡父のやり方を変えない」というのは、古代の服喪の期間が三年間であったからである。

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[白文]12.有子曰、礼之用和為貴、先王之道斯為美、小大由之、有所不行、知和而和、不以礼節之、亦不可行也。

[書き下し文]有子曰く、『礼はこれ和を用うるを貴しと為す。先王の道も斯を美し(よし)と為すも、小大これに由れば、行われざる所あり。和を知りて和せんとするも、礼を以ってこれを節せざれば亦行われざればなり。』

[口語訳]有先生がこうおっしゃった。『礼の実現には、調和を用いることが大切である。昔の聖王(尭・舜・禹)の道も、礼の実践が素晴らしかった。しかし、小事も大事も礼式ばかりに依拠しているとうまくいかないことがある。調和が大切だということを知って調和を図ろうとしても、礼の本質をもって節制を加えないと(礼の本質である身分秩序を守らないと)、(悪平等となって)物事がうまくいかなくなる。』

[解説]全体として難解な文章であるが、有子は儒教において仁義と並んで最も重要な徳目とされる「礼楽」について哲学的に述べている。礼を成立させている原理的な本質とは「身分を隔てる秩序感覚」であり、この「身分秩序」を逸脱して自由に振る舞うことを許せば、悪平等が蔓延して社会は乱れる。こういった封建主義的な身分秩序を明確にすることで、戦乱に喘ぐ社会を安定させようとしたのが儒教である。良くも悪くも、儒教は戦国時代の諸子百家の思想であり、「身分制度で守られる社会秩序」を否定する現代の人権思想や民主主義(自由主義)と相容れない部分がある。有子は、礼の本質である「秩序感覚」と礼の実践に必要な「調和感覚」を合わせて説いているが、儒教では国家統治の枢要は為政者の「仁・義」と伝統的に継承される「礼・楽」にあるとされている。

[白文]13.有子曰、信近於義、言可復也、恭近於礼、遠恥辱也、因不失其親、亦可宗也。

[書き下し文]有子曰く、『信、義に近づけば、言復む(ことふむ)べし。恭、礼に近づけば、恥辱に遠ざかる。因ることその親を失わざれば、亦宗とすべし。』

[口語訳]有先生がこうおっしゃった。『約束を守るという信の徳は、正義(道理)に近づけば、言葉どおりに履行できる。うやうやしく振る舞う恭の徳は、礼の形式に近づけば、人から受ける恥辱から遠ざかる。姻戚との関係は、その親密さが度を越えなければ(父系親族との親密さを越えなければ)、本家(宗族)の信頼を維持できる。』

[解説]この文章の最後の部分は非常に難解であるが、「因」は「姻」と解釈することができ、妻の一族(母系親族)との関係と夫の一族(父系親族=本家)との関係のバランスを説いたものと考えられている。これは、「信・恭・因」という実現が困難な徳の根本が何であるのかを有子が論理的に述べたものであり、「信と義の関係」の深さのみならず、「恭と礼の関係」や「因と宗の関係」の重要性に言及している点が目を引くところである。

[白文]14.子曰、君子食無求飽、居無求安、敏於事而慎於言、就有道而正焉、可謂好学也已矣。

[書き下し文]子曰く、『君子は食飽かんことを求むることなく、居安からんことを求むるなく、事に敏にして言に慎み、有道に就きて正す、学を好むと謂うべきなり。』

[口語訳]先生(孔子)がこうおっしゃった。『君子は腹いっぱいに食べることを求めず、安楽な住居に住むことを求めない。行動は敏活、発言は慎重であり、道理(道義)を修得した人について自分の言動の是非を正すようであれば(自分に対する批判を進んで仰ぐようであれば)、学問を好むといえるだろう。』

[解説]この文章は、次の章との絡みで理解を進めると分かりやすいが、必ずしも「清貧に甘んじて刻苦勉励せよ」と孔子が説いているわけではない。あくまでも、当時の統治階級である貴族(富裕な君主・士大夫)の理想像を謳っているのであり、豪勢な食事や華美な住居にばかり執着するのではなく、貴族の本務である国の政治に全身全霊を注げと述べているのである。つまり、贅沢な食事や綺麗な衣服、快適な住居を楽しむのもなるほど結構だが、国家を治める君子である貴族にはそれよりも重要な政治と祭儀(まつりごと)があるということである。贅沢な美食や娯楽ばかりにかまけている暇はないと孔子は戒めているのであって、貴族階級につきものの贅沢や安楽そのものが悪徳であるとは説いていないとされる。

[白文]15.子貢曰、貧而無諂、富而無驕、何如、子曰、可也、未若貧時楽道、富而好礼者也、子貢曰、詩云、如切如磋、如琢如磨、其斯之謂与、子曰、賜也、始可与言詩已矣、告諸往而知来者也。

[書き下し文]子貢曰く、『貧しくして諂う(へつらう)ことなく、富みて驕ることなきは何如。』
子曰く、『可なり。未だ貧しくして道を楽しみ、富みて礼を好むものには若かざるなり。』
子貢曰く、『詩に「切するが如く、磋するが如く、琢するが如く、磨するが如し」と云えるは、それ斯れを謂うか。』
子曰く、『賜や始めて与に(ともに)詩を言うべきなり。諸(これ)に往(おう)を告げて来を知るものなり。』

[口語訳]子貢が孔子に尋ねた。『貧乏で卑屈にならず、金持ちで驕慢にならないというのはいかがでしょうか?』
先生が答えられた。『それも良いだろう。しかし、貧乏であっても道義(学問)を楽しみ、金持ちであっても礼を好むものには及ばない。』
子貢がいった。「詩経に『切るが如く、磋するが如く、琢するが如く、磨するが如し』と[妥協せずに更に立派な価値のあるものにすること]謳っているのは、ちょうどこのことを表しているのですね。」
先生が答えられた。『子貢よ、これで初めて共に詩を語ることができる。お前は、往き道を教えれば、自然に帰り道を知る者であるな(一を聞いて十を知る者であるな)』

[解説]前の章の解説に書いたように、この章において孔子は「貧乏で卑屈にならないよりも、貧乏であっても学問を楽しむものが優れている」と語り、「金持ちで慢心しないよりも、金持ちであって礼を尊ぶものが優れている」と語っている。経済的な貧富の格差そのものに徳性の優劣があるのではなく、好学の精神を高めて、礼容を尊重し整える気構えに「人徳」が宿るのである。詩に「切するが如く、磋するが如く、琢するが如く、磨するが如し」と云えるというのは、四書五経の「詩経」の一句を引いており、切磋琢磨の四字熟語として残るこの故事は、衛の名君・武公の人格の練磨に基づくものであるという。

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[白文]16.子曰、不患人之不己知、患己不知人也。

[書き下し文]子曰く、『人の己れを知らざるを患えず(うれえず)、人を知らざるを患う。』

[口語訳]先生(孔子)がこうおっしゃった。『他人が自分を認めないことは心配いらない、自分が他人を認めないことのほうを心配しなさい。』

[解説]孔子の控えめで慎み深い謙譲の精神の結実として知られる最も有名な論語の章である。学問に励んでその成果を他人に認めて貰いたい、人徳を高めてその業績を社会に認めてもらい、輝かしい立身出世を果たしたいという気持ちは分かるが、孔子は、自分の価値や能力を認めて貰いたいのであれば、まずは自分の周囲にいる優れた人物の価値を認めなさいと説いたのである。また、この章は、能力と意欲があるのになかなか立身出世(高位の役職への仕官)を果たせない弟子たちの焦りと不安を収めるための孔子の気遣いであったとも言われる。

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