『論語 雍也篇』の書き下し文と現代語訳:2

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孔子と孔子の高弟たちの言行・思想を集積して編纂した『論語』の雍也篇の漢文(白文)と書き下し文を掲載して、簡単な解説(意訳や時代背景)を付け加えていきます。学校の国語の授業で漢文の勉強をしている人や孔子が創始した儒学(儒教)の思想的エッセンスを学びたいという人は、この『論語』の項目を参考にしながら儒学への理解と興味を深めていって下さい。『論語』の雍也篇は、以下の3つのページによって解説されています。

[白文]11.子曰、賢哉回也、一箪食、一瓢飲、在陋巷、人不堪其憂、回也不改其楽、賢哉回也。

[書き下し文]子曰く、賢なるかな回や、一箪(いったん)の食(し)、一瓢(いっぴょう)の飲(いん)、陋巷(ろうこう)に在り。人はその憂いに堪えず、回はその楽しみを改めず。賢なるかな回や。

[口語訳]先生が言われた。『顔回は何と賢明な人物であろうか。竹作りの弁当箱一杯の食事と瓢(ひさご)の水筒一杯の水で、寂れた路地の奥に住んでいる。普通の人はその憂鬱に耐えられないだろうが、顔回は質素な生活の楽しみを忘れることがない。回は、何と立派な人物であろうか』。

[解説]孔子が、最愛の弟子であった顔回の質素なライフスタイルと有徳な振る舞いを絶賛した章句である。顔回は、一般の人であれば退屈や憂鬱に押しつぶされてしまうであろうような状況でも、学問と徳行の日々を十分に楽しむことが出来たのであり、顔回ほどに賢明で清廉な人物はそうそういるものではないという孔子の述懐である。

[白文]12.冉求曰、非不説子之道、力不足也、子曰、力不足者、中道而廃、今女画。

[書き下し文]冉求(ぜんきゅう)曰く、子の道を説ばざる(よろこばざる)には非ず(あらず)。力足らざるなり。子曰く、力足らざる者は中道にして廃む(やむ)、今汝(なんじ)は画れり(かぎれり)。

[口語訳]冉求が言った。『先生の道徳の道が好きではないのではありません。私の力が足りないだけです』。先生がおっしゃった。『力が足りない者は途中で投げ出すものだが、今のお前は、初めから自分自身の力を制限しているだけだ』。

[解説]弟子の冉求が『先生の教えられる道徳の学説は素晴らしいものだが、私には実力がないのでそれを実践できない』と嘆いたところ、孔子はあっさりと『それは実力が不足しているのではなく、自分で自分の力に限界を見出しているに過ぎない』と指摘した。生涯を通して実践と決断の人であった孔子は、『自分の力を信じて行動する重要性』を冉求に説いたのであり、これは現代を生きる私達にとっても有意義な言葉である。

[白文]13.子謂子夏曰、女為君子儒、無為小人儒。

[書き下し文]子、子夏に謂いて曰く、女(なんじ)、君子の儒と為れ、小人の儒と為る無かれ。

[口語訳]先生が子夏におっしゃられた。『お前は君子のような器量と礼節のある学者になりなさい。小人のような偏狭で落ち着きのない学者になってはいけない。』

[解説]『儒』とは儒学者、儒教の徒のことであり、ここでは子夏に対して孔子が理想とする儒学者の姿が述べられている。孔子は、有徳の士大夫となるための儒学教育に心血を注いだ人物であり、貴族的な鷹揚さと礼儀作法を身に付けた儒者になることを弟子に勧めている。反対に、枝葉末節に過度にこだわるような小人の学者を非難しており、孔子が目指す儒者というのが『大局を見通すビジョンを見た学者(為政者)』であることが分かる部分である。現代の専門家のように特定分野を深く追究していくような学問体系は孔子の時代にはなかったので、孔子の想定している儒学者は、細部を丹念に分析する科学者ではなく実践的な学者のことだと考えることができる。

[白文]14.子游為武城宰、子曰、女得人焉爾乎、曰、有澹台滅明者、行不由径、非公事、未嘗至於偃之室也。

[書き下し文]子游、武城の宰と為る。子曰く、汝、人を得たるか。曰く、澹台滅明(たんだいめつめい)という者あり。行くに径(こみち)に由らず(よらず)、公事に非ざれば、未だ嘗て(かつて)偃の室に至らざるなり。

[口語訳]子游が武城の領主(城主)に任命された。先生が言われた。『お前は、誰か有為な人物を見つけたのか?』。子游はお答えして言った。『澹台滅明(たんだいめつめい)という者を見つけました。道を行く時は近道をせず、公事がなければ今まで私の城の部屋に来たことがありません。』

[解説]孔子が武城の領主となった子游に、『誰か有能な人物を見つけたのか?』と問うたところ、子游は澹台滅明(たんだいめつめい)という面白い人物がいると答えた。この澹台滅明の並外れた学識と才知を孔子は事前に見抜くことが出来なかったというが、その理由は澹台滅明の外貌が醜悪であったからだという。容姿が醜いということで魯国で余り重用されなかったというエピソードを持つ澹台滅明だが、後に儒教の南方布教に大きな功績を残しており、呉国で多くの弟子を育成することに成功している。

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[白文]15.子曰、孟之反不伐、奔而殿、将入門、策其馬曰、非敢後也、馬不進也。

[書き下し文]子曰く、孟之反(もうしはん)は伐らず(ほこらず)。奔って(はしって)殿(でん)たり。将に門に入らんとして、その馬に策ちて(むちうちて)曰う、敢えて後れたる(おくれたる)には非ず、馬進まざるなりと。

[口語訳]先生がおっしゃった。『孟之反は、自分の功績を自慢をしない。軍が敗北した時に、殿(しんがり)を務めた。遅れて城門に入ろうとする時に、馬を鞭打ちながら言った。「わざとみんなのために殿を守って遅れたわけではない、ただ馬が前に進まなかっただけだ」と。』

[解説]魯の猛勇な勇士として知られていたのが孟之反であるが、彼は自分の手柄や功績を顕示して自慢することがまるでなかった。孔子はその孟之反の謙譲の徳に敬意を覚えており、斉との戦争で一番苦しい殿軍を勤めて勇戦した孟之反の功績を讃えているのである。

[白文]16.子曰、不有祝它之佞、而有宋朝之美、難乎免於今之世矣。

[書き下し文]子曰く、祝它(しゅくだ)の佞(ねい)あらずして、宋朝(そうちょう)の美あるは難いかな、今の世に免れんことは。

[口語訳]先生が言われた。『祝它のように滑らかな演説の才能がなくて、宋朝のような美貌を持っているだけだと、今の世を乗り切る事は難しいことであるな。』

[解説]祝它(しゅくだ)は衛の霊公の時代の名家臣であり、相手を議論で打ち負かす『雄弁術の才能』に優れていたと言われる。祝它は、当時の覇権国・晋と会合したB.C.506年の『召陵の会』で舌鋒鋭い演説を振るって衛のために活躍した。一方、宋朝という人物は、同じ衛の霊公の時代に寵愛された美男子であるが、霊公の夫人の南子(なんし)を喜ばせるために宋から招かれたという。孔子は、弁舌の才能のみに優れた『巧言の徒』を好まなかったが、それ以上に美しい容姿だけで君主や夫人に取り入ろうとする『令色の徒』を好まなかったと考えられる。小手先の演説や容貌が優れていなければ上手く世渡りできない現実の社会を、孔子が嘆いた部分とも解釈できる。

[白文]17.子曰、誰能出不由戸、何莫由斯道也。

[書き下し文]子曰く、誰か能く(よく)出ずるに戸(こ)に由らざらん(よらざらん)、何ぞ斯の(この)道に由る莫き(なき)。

[口語訳]先生がいわれた。『出る時に、誰が戸口を通らないでいられようか。どうしてこの道を通る者がいないのだろう。』

[解説]家の中に出入りする時には、必ず戸口を通らなければならないが、人間であることの価値を高める『真の道(仁徳の道)』を通る人は非常に少ない。人間を人間たらしめる『仁・義・礼・智・信』などを軽視する人が多いことを孔子が慨嘆した部分である。

[白文]18.子曰、質勝文則野、文勝質則史、文質彬彬、然後君子。

[書き下し文]子曰く、質、文に勝るときは則ち野(や)、文、質に勝るときは則ち史(し)、文質彬彬(ひんぴん)として然して(しかして)後(のち)君子なり。

[口語訳]先生が言われた。『内容の質が文章表現を上回ると(文盲の)野人となる、文章表現が内容の質を上回ると文士になる。表現と内容が渾然一体となったところで初めて君子となるのである。』

[解説]古代中国では識字率が非常に低かったこともあり、文字表現のリテラシー能力(読み書き能力)があることは貴人や官吏(士大夫)、君子であることを意味する部分があった。ここでは『文』を『文章表現』というように単純に直訳したが、質には『質朴』の意味があり、文には『装飾』の意味が込められている。その為、文はもっと本質的には『礼の表現』を意味しており、具体的な行動や儀礼によって礼を形にして表現するといったことを含意している。孔子は儒教的な礼制として『質』と『文』の二つを考えており、周王朝は文(装飾)の礼制を洗練させたというように解釈していた。『質(実質)』と『文(表現)』のどちらに偏っても、完全な礼の実践は覚束ないのであり、孔子は君子たるものは質と文の双方を適切に調和させなければならないとした。

[白文]19.子曰、人之生也直、罔之生也、幸而免。

[書き下し文]子曰く、人の生くるや直し、これ罔くして(なくして)生くるや幸いにして免る(まぬがる)。

[口語訳]先生が言われた。『人間はまっすぐに生きていくものだ。正直さがなければ、ぎりぎりの人生を生きているというだけだ。』

[解説]孔子は信義や誠実の徳を重視しており、人間の生の本質は『まっすぐさ・純粋さ(直情)』にあると考えていた部分がある。この部分は、人間の本性である正直さに従って、自分を偽ったり曲げたりせずに堂々と力強く生きていくことの重要さ、君子としての生のあり方を述べているのである。

[白文]20.子曰、知之者、不如好之者、好之者、不如楽之者。

[書き下し文]子曰く、これを知る者はこれを好む者に如かず、これを好む者はこれを楽しむ者に如かず。

[口語訳]先生が言われた。『物事を理解する者は、物事を好んでいる人に及ばない。物事を好んでいる者は、物事を心から楽しんでいる人にはかなわない。』

[解説]孔子の人生や学問に対する根本的な態度が述べられている章句であり、『理解→愛好→楽しみ』の順番により高次の物事に対する姿勢を身に付けることが出来る。春秋戦国時代における学問的営為も、古代ギリシアのソクラテス以来の哲学と同じように『知を愛する行為="philosophy"』であり、嫌々ながら義務として学問をしてもその知識や技術を自らの血肉とすることは出来ないのである。物事を知的に理解することも大切だが、物事を好きになって積極的に楽しもうとする姿勢を持つことが、『真の叡智』へと人間を接近させるということである。

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