『論語 泰伯篇』の書き下し文と現代語訳:3

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孔子と孔子の高弟たちの言行・思想を集積して編纂した『論語』の泰伯篇の漢文(白文)と書き下し文を掲載して、簡単な解説(意訳や時代背景)を付け加えていきます。学校の国語の授業で漢文の勉強をしている人や孔子が創始した儒学(儒教)の思想的エッセンスを学びたいという人は、この『論語』の項目を参考にしながら儒学への理解と興味を深めていって下さい。『論語』の泰伯篇は、以下の3つのページによって解説されています。

[白文]15.子曰、師摯之始、関雎之乱、洋洋乎盈耳哉。

[書き下し文]子曰く、師摯(しし)の始めより関雎(かんしょ)の乱わり(おわり)まで、洋洋乎(ようようこ)として耳に盈つる(みつる)かな。

[口語訳]先生がおっしゃった。『楽師長の摯(し)の、はじまりの朗唱から、関雎(かんしょ)の楽章の終わりまで、その音楽はひろびろとした落ち着きがあって、耳に心地よく満ちてくるな。』

[解説]礼節と音楽によって徳治主義が完成されると考えていた孔子は、音楽の美しさや壮大さ、秩序などを感じ取りながら熱心な音楽鑑賞を行っていたようである。

[白文]16.子曰、狂而不直、同而不愿、空空而不信、吾不知之矣。

[書き下し文]子曰く、狂にして直からず、同(とう, 本当の漢字は「にんべん」がつく)にして愿(げん)ならず、空空(こうこう, 本当の漢字は「りっしんべん」がつく)にして信ならずんば、吾これを知らざるなり。

[口語訳]先生が言われた。『熱狂していても一本調子ではなく、子どもっぽくても真面目ではなく、馬鹿正直であっても誠実さはない。私は最近のこういった人たちが良く分からない。』

[解説]孔子の時代における自分の理解の範疇を超えた『新人類』に対する率直な感想を述べた部分である。

[白文]17.子曰、学如不及、猶恐失之。

[書き下し文]子曰く、学は及ばざるが如くするも、猶これを失わんことを恐る。

[口語訳]先生が言われた。『学問はいくら追いかけても追いつけないというようなものであり、それでもなお、知識や教養を覚え損なうことを恐れるのである。』

[解説]教養や知識、礼制を身に付けるための学問の重要性と緊張感を述べた章句である。だらだらといい加減に続けていても、学問研究の成果が自分の血肉となることはない。その為、いくら全力で頑張っても、学問分野のすべてを知り尽くすことは出来ないという緊張感や焦燥感のようなものも必要となるし、『今、ここで勉強できる幸せ(生活の必要に追い詰められない幸せ)』を噛み締めなければならないのである。

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[白文]18.子曰、巍巍乎、舜禹之有天下也、而不与焉

[書き下し文]子曰く、巍巍乎(ぎぎこ)たり、舜・禹の天下を有てる(たもてる)や、而して(しこうして)与らず(あずからず)。

[口語訳]先生が言われた。『堂々として立派なものだな、舜と禹の聖王が天下を統治されたことは。しかも、舜・禹は政治を独占しなかった(有能な臣下に権限を預ける器量があった)。』

[解説]聖人の帝王として賞賛される伝説の聖王・舜と禹について孔子が語った部分であるが、孔子自身は尭・舜・禹の聖王に余り言及しなかったという説もあり、その場合には後の戦国時代にこの章句が改めて導入されたとする。

[白文]19.子曰、大哉、堯之為君也、巍巍乎、唯天為大、唯堯則之、蕩蕩乎、民無能名焉、巍巍乎、其有成功也、煥乎、其有文章。

[書き下し文]子曰く、大なるかな、尭の君たるや。巍巍乎(ぎぎこ)として、唯(ただ)天を大なりと為す。唯尭これに則る。蕩蕩乎(とうとうこ)として、民能く名づくるなし。巍巍乎としてそれ成功あり、煥(かん)としてそれ文章あり。

[口語訳]先生が言われた。『偉大なものであるな、尭の君主は。堂々としており、天だけが偉大であった時代だが、ただ一人尭帝だけが天の道に従って行動した。その政治はひろびろと落ち着いており、人民もこれを上手く名づけることが出来なかった。堂々として毅然とした態度で成功を手にし、優雅な文物や文化を作られたのである。』

[解説]伝説の聖王である尭の事績の偉大さを賞賛した部分であり、孔子は政権を独占せずに『天命』にただ柔順に従い、人民をよく守ったところに尭の政治の類稀なる素晴らしさがあるとしている。徳治主義の理想とは、『政治権力の重圧がそこにあることを気づかせないこと』にあり、正に尭帝は、自己の権力を抑制して天命に従属することで徳治政治を実現したのである。

[白文]20.舜有臣五人而天下治、武王曰、予有乱臣十人、孔子曰、才難、不其然乎、唐虞之際、於斯為盛、有婦人焉、九人而已、三分天下有其二、以服事殷、周之徳、其可謂至徳也已矣。

[書き下し文]舜に臣五人ありて天下治まれり。武王曰く、予(われ)に乱臣十人ありと。孔子曰く、才難しと。それ然らずや。唐虞(とうぐ)の際、斯(ここ)に於いて盛んなりと為す。婦人あり、九人のみ。天下を三分してその二を有ち(たもち)、以て殷に服事す。周の徳はそれ至徳と謂うべきなり。

[口語訳]舜帝には優秀な臣下が五人いて、天下がよく統治されていた。周の武王は言われた。『私には政治に従事する有能な臣下が十人いる。』と。孔子がおっしゃった。『才能ある人材を得るのが困難というが、まったくそうではない。唐(舜)と虞(禹)が天下を治めていた時代が終わって、周の初めには勢威が盛んであった。しかし、武王のいう十人の有能な家臣は、夫人が一人いたので実際には九人であった。周の文王(武王の父)が西伯となって天下を三分割して、その二を領有された。しかし、残りの三分の一を統治する殷に、周は臣従していた。(実力で上回っていながら殷に謀反を起こさなかった)周の徳は、最高のものであると言えるだろう。』

[解説]尭・舜・禹の聖王の時代が終わって、古代中国の有史時代が始まるが、そこで覇権を握っていたのは宗教国家の殷(商)であった。孔子は、圧倒的な軍事力で中国の三分の二を支配していた周の文王を事例に上げて、その徳の至上の高さ(殷との封建秩序を裏切らない仁徳)を称賛しているのである。

[白文]21.子曰、禹吾無間然矣、菲飲食而政孝乎鬼神、悪衣服而致美乎黻冕、卑宮室而尽力乎溝洫、禹吾無間然矣。

[書き下し文]子曰く、禹は吾間然(かんぜん)すべきなし。飲食を菲くして(うすくして)孝を鬼神に致し、衣服を悪しくして美を黻冕(ふつべん)に致し、宮室を卑く(ひくく)して力を溝洫(こうきょく)に尽くす、禹は吾間然すべきなし。

[口語訳]先生が言われた。『禹の君主は批判すべきところがない。自分の飲食を少なくして、鬼神に供え物をし、自分の衣服を簡素にして、祭祀に必要な衣服をきちんと整え、自分の住居を質素にして、政治の全力を治水工事のために尽くした。禹の君主は本当に批判すべきところがないのである。』

[解説]孔子が、中国大陸の治水工事に抜群の功績を上げたとされる伝説の聖王・禹(う)について褒め称えている部分である。禹は、私的な贅沢や蓄財、娯楽にはまったく興味がなく、『自分の飲食・衣服・住居』を控え目に質素にして、質素倹約によって生まれた余力をすべて国家と人民のために用いたということである。

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