『論語 先進篇』の書き下し文と現代語訳:3

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孔子と孔子の高弟たちの言行・思想を集積して編纂した『論語』の先進篇の漢文(白文)と書き下し文を掲載して、簡単な解説(意訳や時代背景)を付け加えていきます。学校の国語の授業で漢文の勉強をしている人や孔子が創始した儒学(儒教)の思想的エッセンスを学びたいという人は、この『論語』の項目を参考にしながら儒学への理解と興味を深めていって下さい。『論語』の先進篇は、以下の3つのページによって解説されています。

[白文]18.柴也愚、参也魯、師也辟、由也彦、

[書き下し文]柴(さい)は愚、参(しん)は魯、師は辟り(かざり)、由は彦し(いやし)。(彦の漢字は正しくは、「くちへん」がつく)

[口語訳]子羔(しこう)は愚直、曾子は魯鈍、子張は誇大、子路は粗暴。

[解説]孔子には珍しく、門弟たちの改善すべき欠点・短所について厳しく指摘した章となっている。

[白文]19.子曰、回也其庶乎、屡空、賜不受命而貨殖焉、億則屡中、

[書き下し文]子曰く、回はそれ庶き(ちかき)か、屡(しばしば)空し。賜(し)は命を受けずして貨殖(かしょく)す。億(おく)すれば則ち屡中たる(あたる)。

[口語訳]先生が言われた。『顔淵の徳性と学問は完全に近いだろう、しかし、彼は常に貧乏であった。子貢は主君の命令を受けずに商売を営んだ。子貢が儲かると推測した時にはいつも的中した。』。

[解説]孔子の門弟の中で最も学問に秀でており、徳性にも優れていたのが顔淵と子貢である。しかし、顔淵のほうはいつも経済的に貧窮しており生活が苦しかったが、子貢のほうは商売の才覚があって、このビジネスをすれば儲けられるという読みが外れたことがなかった。孔子は前途洋洋たるはずの君子たる顔淵が、徳と学問に優れていながら金銭に困り続けている状態を強く憂えたのである。

[白文]20.子張問善人之道、子曰、不践迹、亦不入於室、

[書き下し文]子張、善人の道を問う。子曰く、迹(あと)を践まず(ふまず)。亦(また)室に入らざるなり。

[口語訳]子張が善人の道について質問した。先生がお答えになった。『先人の歩んだ道徳の教えを実践しなければ、本当の善人の域(部屋)には到達することはできない。』。

[解説]古礼にのっとり伝統を遵守することに『道徳性の本質』を見出していた復古主義的傾向のある孔子は、善人になる道として『先人の築いてくきた道徳規範』に従うことを説いたのである。

[白文]21.子曰、論篤是与、君子者乎、色荘者乎、

[書き下し文]子曰く、論の篤きにこれ与(くみ)すれば、君子者か、色荘者(しきそうしゃ)か。

[口語訳]先生がおっしゃった。『議論の誠実さだけを頼りにすると、その人が本物の君子なのか、表面的に君子を装っているだけの人なのか区別できない。』。

[解説]行動主義者であった孔子は、言葉だけで自分の徳性と実力を着飾る『巧言令色』を嫌って、その人が何を為そうとしているのか、何を成し遂げたのかの『実践内容』を重視したと言える。

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[白文]22.子路問、聞斯行諸、子曰、有父兄在、如之何其聞斯行之也、冉有問、聞斯行諸、子曰、聞斯行之、公西華曰、由也問、聞斯行諸、子曰、有父兄在、求也問、聞斯行諸、子曰、聞斯行之、赤也惑、敢問、子曰、求也退、故進之、由也兼人、故退之、

[書き下し文]子路問う、聞くままにこれ行わんか。子曰く、父兄在す(います)有り、如何ぞ(いかんぞ)、それ聞くままにこれ行わんや。冉有(ぜんゆう)問う、聞くままにこれ行わんか。子曰く、聞くままにこれ行え。公西華(こうせいか)曰く、由が聞くままにこれ行わんかと問えるとき、子は父兄在す有りと曰えり(のたまえり)。求が聞くままにこれ行わんかと問えるとき、子は聞くままにこれ行えと曰う。赤(せき)や惑う。敢えて問う。子曰く、求や退く、故にこれを進む。由や人を兼ねんとす、故にこれを退く。

[口語訳]子路が質問した。『(指示を)聞いたらすぐにその通りに実行しましょうか。』。先生がお答えになった。『父兄がまだ生きていて心配しておられるのだから、どうしてすぐに実行することができようか。』。冉求が質問した。『聞いたらすぐにその通りに実行しましょうか。』。先生がお答えになられた。『聞いたらすぐにそのまま実行しなさい。』。公西華がお尋ねした。『子路が「聞いたらすぐに実行しましょうか」と聞いた時には、先生は「父兄がまだ生きておられる」といって制止され、次に冉求が「聞いたらすぐに実行しましょうか」と聞いた時には、先生は「聞いたらすぐに実行せよ」とお答えになりました。私はこれを聞いて戸惑いました。どちらが正しい教えなのですか。』。先生はお答えになられた。『冉求は慎重で消極的だから、すぐに実行することを勧めた。子路のほうは他人の分まで仕事をしようとする積極性があるので、これを抑制したのである。』。

[解説]孔子は門弟たちの個性と長所を的確に把握しており、弟子から同じ内容の質問を受けても弟子のパーソナリティ(個性)に合った回答・アドバイスを臨機応変に与えたのである。

[白文]23.子畏於匡、顔淵後、子曰、吾以女為死矣、曰、子在、回何敢死、

[書き下し文]子、匡(きょう)に畏わる(おそわる)。顔淵後る(おくる)。子曰く、吾汝を以て死せりと為せり。曰く、子在す、回敢えて何ぞ死せん。

[口語訳]先生が、匡の地で賊に襲撃された時に、顔淵が集団からはぐれて遅れてしまった。後で顔淵と再会した時に、先生がおっしゃった。『私はお前が死んでしまったものと思っていた。』。顔淵が言った。『先生が生きておられる限り、私がどうして死ぬことなどあるでしょうか。』。

[解説]孔子たち一行は、匡において突然賊軍の襲撃を受けて四散してしまうが、その時に孔子と顔淵は離れ離れになってしまった。顔淵が賊に討ち取られて死んでしまったと思い込んでいた孔子だったが、その後に顔淵と再会してお互いに喜びと感動を噛み締めあったのである。

[白文]24.季子然問、仲由冉求、可謂大臣与、子曰、吾以子為異之問、曾由与求之問、所謂大臣者、以道事君、不可則止、今由与求也、可謂具臣矣、曰、然則従之者与、子曰、弑父与君亦不従也、

[書き下し文]季子然(きしぜん)問う、仲由と冉求とは大臣と謂うべきか。子曰く、吾子を以て異なるをこれ問うと為せり。曾ち(すなわち)由と求とをこれ問えるか。所謂大臣なる者は道を以て君に事え(つかえ)、不可なれば則ち止む(やむ)。今、由と求とは具臣(ぐしん)と謂うべし。曰く、然らば則ちこれに従う者か。子曰く、父と君とを弑せんとすれば亦従わざるべし。

[口語訳]季子然が質問した。『季氏に仕えている子路と冉求とは、大臣といえる者たちでしょうか。』。先生は答えられた。『私はもっとあなたが変わった問いかけをすると思っていましたが、子路と冉求について質問されるのですか。いわゆる大臣という者は、道に従って君に仕え、君が道から外れれば諫止して、その意見が聞かれなければ辞職するものです。今、子路と冉求は、形式的な数をそろえた臣下と言えるでしょう。』。季子が言われた。『それならば、この二人は季氏の命令に何でも従うのでしょうか。』。先生がおっしゃった。『しかし、父親と君主とを殺害するように命じても、その(人倫に違背した)命令に従うことはないでしょう。』。

[解説]季氏は、(孔子の門下でもある)子路と冉求という有能な君子を家臣にしていたが、孔子は君主を蔑ろにする季氏の専横を快く思っていなかったので、子路と冉求についてやや厳しめの評価を下している。

[白文]25.子路使子羔為費宰、子曰、賊夫人之子、子路曰、有民人焉、有社稷焉、何必読書然後為学、子曰、是故悪夫佞者、

[書き下し文]子路、子羔(しこう)をして費の宰(さい)たらしむ。子曰く、夫の人の子を賊なわん(そこなわん)。子路曰く、民人あり、社稷(しゃしょく)あり、何ぞ必ずしも書を読みて、然して後、学びたりと為さん。子曰く、是の故に夫の佞者を悪む(にくむ)。

[口語訳]子路が、子羔を季氏が管轄する費の城主として採用した。先生が言われた。『あのまだ未熟な子羔では、城主の職務を十分に果たせないのではないか。』。子路が答えた。『費の町には、人民がいて土地を守護する神社があります。どうして人民を治めて神社の祭祀を執り行わずに、読書をすることだけが学問と言えるでしょうか。』先生がおっしゃった。『こういった子路の口達者で相手を丸め込むところが憎々しいのだ。』

[解説]季氏の重臣として権勢を高めた子路は、友人ではあるが政治的資質の乏しい子羔を軍事的要地である費の城主にとりなしてやった。そして、子羔に城主としての才覚と資質が不足していることを熟知していた孔子は、子路に対して『子羔では十分な務めを果たせないだろう』と苦言を呈した。しかし、政治的な実力者となっていた子路は、既に政治の現場から引退していた孔子に向かって、『書物を読む精神的な営為だけが学問ではなく、政治の現場で理想を実現することもまた学問ではないか』と反駁したのである。その口達者な言い回しに正面から言い返すことを煩わしく感じた孔子は、『子路の口先で相手を丸め込もうとするところが憎々しい』と漏らしたのである。

[白文]26.子路曾皙冉有公西華、侍坐、子曰、以吾一日長乎爾、無吾以也、居則曰、不吾知也、如或知爾則何以哉、子路率爾対曰、千乗之国、摂乎大国之間、加之以師旅、因之以飢饉、由也為之、比及三年、可使有勇且知方也、夫子哂之、求爾何如、対曰、方六七十、如五六十、求也為之、比及三年、可使足民也、如其礼楽、以俟君子、赤爾何如、対曰、非曰能之也、願学焉、宗廟之事、如会同、端章甫、願為小相焉、点爾何如、鼓瑟希、鏗爾舎瑟而作、対曰、異乎三子者之撰、子曰、何傷乎、亦各言其志也、曰、莫春者春服既成、得冠者五六人童子六七人、浴乎沂、風乎舞樗、詠而帰、夫子喟然歎曰、吾与点也、三子者出、曾皙後、夫三子者之言何如、子曰、亦各言其志也已矣、曰、夫子何哂由也、子曰、為国以礼、其言不譲、是故哂之、唯求則非邦也与、安見方六七十如五六十而非邦也者、唯赤則非邦也与、宗廟之事如会同非諸侯如之何、赤也為之小相、孰能為之大相、

[書き下し文]子路・曾皙(そうせき)・冉有・公西華、侍坐す。子曰く、吾、一日爾(なんじ)に長ぜるを以て、吾を以てすることなかれ。居れば則ち曰く、吾を知らずと。如し爾を知るもの或らば則ち何を以てせんや。子路、率爾(そつじ)として対えて(こたえて)曰く、千乗の国、大国の間に摂して、これに加うるに師旅(しりょ)を以てし、これに因る(よる)に飢饉を以てせんに、由やこれを為めて(おさめて)三年に及ぶ比(ころ)、勇あり且つ方(みち)を知らしむべきなり。夫子これを哂う(わらう)。求よ爾は何如(いかん)。対えて曰く、方六七十、如しくは五六十、求やこれを為めて三年に及ぶ比、民を足らしむべきなり。その礼楽の如きは以て君子に俟たん(またん)。赤よ爾は何如。対えて曰く、これを能くすと曰うには非ず。願わくは学ばん。宗廟の事、如しくは会同のとき、端章甫(たんしょうほ)して、願わくは小相(しょうしょう)たらん。点よ爾は何如。瑟(しつ)を鼓く(ひく)ことを希め(やめ)、鏗爾(こうじ)として瑟(しつ)を舎きて(おきて)作ち(たち)、対えて曰く、三子者(さんししゃ)の撰(せん)に異なり。子曰く、何ぞ傷まん、亦各(おのおの)その志を言うなり。曰く、暮春には春服既に成り、冠者(かんじゃ)五六人・童子六七人を得て、沂(き)に浴し、舞樗(ぶう)に風(ふう)し、詠じて帰らん。夫子、喟然(きぜん)として歎じて曰く、吾は点に与せん(くみせん)。三子者出ず。曾皙後る(おくる)。曾皙曰く、夫の三子者の言は何如(いかん)。子曰く、亦各その志を言えるのみ。曰く、夫子何ぞ由を哂えるか。子曰く、国を為むる(おさむる)には礼を以てす、その言(げん)譲(じょう)ならず。是の故にこれを哂えり。求と唯も(いえども)則ち邦(くに)に非ずや、安んぞ(いずくんぞ)方六七十如しくは五六十にして邦に非ざるものを見ん。赤と唯も則ち邦に非ずや、宗廟と会同とは諸侯に非ずして如何。赤これが小相たらば、孰か能くこれが大相と為らん。

[口語訳]子路・曾皙(そうせき)・冉有・公西華が、孔子の近くで座っていた。先生がおっしゃった。『私に一日の長があるからといって、私に気兼ねして発言しなくても良い。諸君はいつも「自分たちは世間・主君に認められない」と言っている。もし、自分たちが認められることがあったら、どういったことを実行するつもりなのか教えて欲しい。』。子路が慌しく即座に立ち上がって申し上げた。『千台の戦車を持つ平均的な国家が、大国の間に挟まれて軍事的侵略を受け、飢饉に襲われたとします。私が政治を行って三年の月日が経つ頃には、勇敢で道理を弁えた国民ばかりになっているでしょう。』。先生は微笑されて、冉求にお前はどのようにするかと質問された。冉求は答えて言った。『私は、方六、七十里か、方五、六十里の小国を担当します。私が政治を行って三年の月日が経つ頃には、人民を満足させてあげることができるでしょう。礼楽による統治については、他の有徳の君子の力を借りたいと思います。』。

先生は、公西華にお前はどのようにするかと質問された。公西華はお答えして言った。『今から申し上げることは、確実に自分の能力でできるというわけではありません。それを実行するために学問を深めたいと考えています。先祖の宗廟の祭祀や他国の君主との会同において、玄端の衣服をまとい章甫の冠をかぶって、儀礼の進行を司る小相になりたいと思っています。』。先生は、曾皙にお前はどのようにするのかと質問された。琴を弾いていた曾皙は、琴を強くかき鳴らしてから下に置いて立ち上がりお答えした。『私の考えは、三人の意見とはかなり違っています。』。先生は言われた。『他の門弟と意見が異なっているからといって気にする必要はない。それぞれの志について語っているのだから。』。曾皙はお答えした。『暮春に、春に着る晴れ着がすっかり仕上がって、冠をかぶった大人の従者五、六人、子どもの従者六、七人を引き連れて、沂水で禊(水浴び)をし、雨乞い台で舞を舞わせて、歌を歌いながら帰りたいと考えています。』。

先生はううんと唸って感嘆してから言われた。『私は曾皙に賛同する。』。三人が退席して、曾皙が退くのが遅れたので、先生にお尋ねした。『他の三人の志についてどのように思われましたか。』。先生はおっしゃった。『それぞれの志を忌憚なく述べただけのことである。』。曾皙が更に聞いた。『先生はなぜ、子路の発言に笑みを浮かべられたのですか。』。先生はお答えになられた。『国家を治めるには、礼に基づかねばならない。子路の意見には謙譲の精神が欠けていた。だから笑ったのだ。冉有は、方六、七十里か、方五、六十里の小国といっていたが、いずれにしても国でないものはないのだから大国でも小国でも同じである。公西華も小国といえど国家を対象にしていることに変わりはない。宗廟の祭祀や外国の君主との会同が諸侯の仕事でないとしたら、国政はいったいどうなるだろうか。公西華が儀礼の進行だけを担当する小相になるのだったら、儀式全体を管理監督する大相には誰がなるというのだろうか。』。

[解説]孔子が門弟である子路・曾皙・冉有・公西華それぞれの『政治的理想』について質問した章で、『論語』では最も長い章句であるとされ、四人の意識する政治の実際の動かし方の違いが明確になっている。孔子は曾皙の語った『脱俗的な遊興の境地』に賛同を表明したが、それは曾皙の意見がもっとも『人間の実際的な幸福と理想』に近かったからであり、子路以下の三人の志が『徳治主義の政治の本質』からはやや外れていたからだろう。

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