『論語 子路篇』の書き下し文と現代語訳:3

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孔子と孔子の高弟たちの言行・思想を集積して編纂した『論語』の子路篇の漢文(白文)と書き下し文を掲載して、簡単な解説(意訳や時代背景)を付け加えていきます。学校の国語の授業で漢文の勉強をしている人や孔子が創始した儒学(儒教)の思想的エッセンスを学びたいという人は、この『論語』の項目を参考にしながら儒学への理解と興味を深めていって下さい。『論語』の子路篇は、以下の3つのページによって解説されています。

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[白文]21.子曰、不得中行而与之、必也狂狷乎、狂者進取、狷者有所不為也、

[書き下し文]子曰く、中行(ちゅうこう)を得てこれに与(くみ)せずんば、必ずや狂狷(きょうけん)か。狂者は進みて取り、狷者は為さざるところあり。

[口語訳]先生が言われた。『中庸の徳を持った知己を得ることができない場合には、やむを得ずに狂者か狷者を友人にするか。』。情熱的な狂者は積極的に行動するが、偏屈な狷者は他者に妥協できないところがある。

[解説]孔子は君子たる友人を得る基準として『中庸の徳』を重視していたが、中庸の徳を持った友人がいなければ、世間の欲得と保身で動く常識人よりもそれぞれの個性が強い狂狷の人物のほうが友に相応しいと考えていたようである。

[白文]22.子曰、南人有言、曰、人而無恒、不可以作巫医、善夫、不恒其徳、或承之羞、子曰、不占而已矣、

[書き下し文]子曰く、南人(なんじん)言えること有り。曰く、人にして恒(つね)なければ、以て巫医(ふい)と作る(なる)べからずと。善いかな。その徳を恒にせざれば、或いはこれに羞しめ(はずかしめ)を承けん(うけん)。子曰く、占わざるのみ。

[口語訳]先生が言われた。『南方の人間が、「恒心の安定した状態がない人は、巫女や医師になれない」と言っていた。これは良い言葉である。(古来の諺にも)「その徳をいつも持っていなければ、恥辱を受けることがある」という言葉があるではないか。』。先生がおっしゃった。『恒心なき者には未来は占えないのだ。』

[解説]『論語』には、恒産なければ恒心なしという言葉もあるが、孔子は未来を占う巫人や病気を治療する医師になる条件として安定した変化の小さい『恒心』をこの章で上げている。

[白文]23.子曰、君子和而不同、小人同而不和、

[書き下し文]子曰く、君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず。

[口語訳]先生がおっしゃった。『有徳の君子は、調和はするが付和雷同しない。小人は付和雷同をするが調和をしない。』

[解説]儒教の最も良く知られた章の一つであるが、『和』とは相手を心から深く理解して調和する様子を指し、『同』とは相手の言葉や態度の表面だけを見て流されるままに同意する様子を指す。孔子は、自分の見識や判断を放棄して、他人に付和雷同するような行動のありかたをひどく嫌悪して軽蔑していた。

[白文]24.子貢問曰、郷人皆好之何如、子曰、未可也、郷人皆悪之何如、子曰、未可也、不如郷人之善者好之、其不善者悪之也、

[書き下し文]子貢問いて曰く、郷人皆これを好まば何如(いかん)、子曰く、未だ可ならざるなり。郷人皆これを悪まば(にくまば)何如。子曰く、未だ可ならざるなり。郷人の善き者これを好み、その善からざる者これを悪むに如かざるなり。

[口語訳]子貢が質問して言った。『郷里の人がみんな人を褒める人物ならどうでしょうか。』。先生が言われた。『まだ十分ではない。』。子貢が言った。『郷里の人がみんな人を嫌う人物ならどうでしょうか。』。先生が言われた。『まだ十分ではない。郷里の人の中で、善人に好かれ悪人に嫌われるというのが一番である。』。

[解説]孔子はすべての人から褒められることを十分でないとし、すべての人から嫌われるのも良くないとしたが、人間関係の中でも是々非々を明らかにするために善人に好かれ悪人から嫌われる境地を目指したのである。

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[白文]25.子曰、君子易事而難説也、説之不以道、不説也、及其使人也、器之、小人難事而易説也、説之雖不以道、説也、及其使人也、求備焉、

[書き下し文]子曰く、君子は事え易く(つかえやすく)して説ばしめ(よろこばしめ)難し。これを説ばしむるに道を以てせざれば、説ばざるなり。その人を使うに及びては、これを器(うつわ)にす。小人は事え難くして説ばしめ易し。これを説ばしむるに道を以てせずと雖も、説ぶなり。

[口語訳]先生がおっしゃった。『君子にお仕えするのは簡単だが、君子の心を喜ばせることは難しい。それは、正しい道に従って喜ばせなければ喜んでくれないからだ。君子が人を使役する場合には、器のように役割を果たしさえすれば良いと考える。小人に仕えるのは難しいが、喜ばせるのは簡単である。小人は正しい道に従っていなくても、ご機嫌とりをすれば喜ぶからである。』。

[解説]孔子が君子と小人の特徴の違いについて言及した章で、君子は自分が快か不快かの判断に『正しい道』を基準にするが、小人は『自分の利得・機嫌』を基準にするのである。

[白文]26.子曰、君子泰而不驕、小人驕而不泰、

[書き下し文]子曰く、君子は泰(ゆたか)にして驕らず、小人は驕りて泰ならず。

[口語訳]先生は言われた。『君子は泰然としているが驕慢ではない、小人は威張ってはいるがゆったりとしていない。』

[解説]上の章と同じく君子と小人の特徴の違いについて述べている。君子はゆったりとして同道とした雰囲気があるが、小人は声を荒げて威張るばかりでその立ち居振る舞いに悠然とした余裕がないのである。

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[白文]27.子曰、剛毅朴訥近仁、

[書き下し文]子曰く、剛毅朴訥(ごうきぼくとつ)、仁に近し。

[口語訳]先生が言われた。『剛直で勇敢であり、素朴で寡黙なのは、仁徳に近い。』

[解説]孔子が考える仁徳の構成要素について語ったものである。

[白文]28.子路問曰、何如斯可謂之士矣、子曰、切切偲偲怡怡如也、可謂士矣、朋友切切偲偲、兄弟怡怡如也、

[書き下し文]子路問いて曰く、何如(いか)なるをかこれこれを士と謂うべき。子曰く、切切偲偲怡怡如(せつせつししいいじょ)たる、士と謂うべし。朋友には切切偲偲、兄弟には怡怡如たり。

[口語訳]子路がお尋ねした。『どのような人物を士というべきでしょうか。』。先生はお答えになられた。『親切に励まして、和やかに支援するような人が士である。朋友には、しっかりとした励ましをして、兄弟には、和やかな触れ合いをしなければならない。』

[解説]孔子が子路に、『士としての条件』について、他者への親切とふれあいの大切さを中心に語った章である。

[白文]29.子曰、善人教民七年、亦可以即戎矣、

[書き下し文] 子曰く、善人、民を教うること七年ならば、亦以て戎(じゅう)に即かしむ(つかしむ)べし。

[口語訳]先生が言われた。『善人が七年間にわたって人民を教育したら、人民を優れた兵士として戦いにつかせることができる。』

[解説]リアリズムに基づく政治には戦争のリスクがあるが、孔子は教育の振興によって優秀な兵士を育成できると考えていた点で近代の兵制につながる発想があったのかもしれない。

[白文]30.子曰、以不教民戦、是謂棄之、

[書き下し文]子曰く、教えざる民を以て戦う、これこれを棄つと謂う。

[口語訳]先生が言われた。『教育していない国民を戦わせる、これは国民を捨て去るということと同じだ。』

[解説]孔子はやむをえずに戦争になるとしても、十分な教育と訓練を受けていない国民を戦わせることには否定的であった。王道政治の徳治が失敗した場合にも、国民を棄てる『棄民としての戦争』を否定しており、十分な教育を受けた国民で組織された軍を想定していたのである。

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