『論語 憲問篇』の書き下し文と現代語訳:2

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孔子と孔子の高弟たちの言行・思想を集積して編纂した『論語』の憲問(けんもん)篇の漢文(白文)と書き下し文を掲載して、簡単な解説(意訳や時代背景)を付け加えていきます。学校の国語の授業で漢文の勉強をしている人や孔子が創始した儒学(儒教)の思想的エッセンスを学びたいという人は、この『論語』の項目を参考にしながら儒学への理解と興味を深めていって下さい。『論語』の憲問篇は、以下の5つのページによって解説されています。

[白文]11.子曰、貧而無怨難、富而無驕易、

[書き下し文]子曰く、貧しくして怨む無きは難く、富みて驕る(おごる)無きは易し。

[口語訳]先生が言われた。『貧乏なのに恨み言を言わないのは難しいが、裕福(お金持ち)で他人に傲慢(驕慢)にならないのは簡単である。』

[解説]自分が生活できないほどに貧乏な時には精神的にも疲弊するので、自分の人生や境遇、人間関係に対して愚痴や恨み言を言わないでいるのはとても難しいことである。反対に、贅沢ができるほどに裕福な時には、精神的にも余裕が生まれやすいので、(自分自身の態度や人格に意識的であれば)他人を不快にする傲慢さ・自惚れを抑制することができるということである。儒教の説く人格論では、『貧しくても卑屈にならず、豊かであっても傲慢にならず』というのが基本に置かれている。

[白文]12.子曰、孟公綽為趙魏老則優、不可以為膝薛大夫也、

[書き下し文]子曰く、孟公綽(もうこうしゃく)、趙(ちょう)・魏(ぎ)の老と為れば則ち優か(ゆたか)ならん。以て、膝(とう)・薛(せつ)の大夫(たいふ)と為すべからず。

[口語訳]先生が言われた。『魯の孟公綽は、趙・魏といった大きな家の家老(家宰)となれば十分に役務を果たすだろう。しかし、膝・薛のような小国の大臣の役割を果たすことは出来ないだろう。』

[解説]孔子が、高潔で無欲な人格の持ち主として知られた魯の孟公綽の『為政者としての適性』について述べた章である。私利私欲に駆られることのない孟公綽であれば、富裕な一家の家老として財務会計を司ることは十分に可能である。しかし、積極的な行動力やリーダーシップに乏しい孟公綽では、権謀術策を駆使しなければならない小国の大臣は務まらないだろうと孔子は考えた。

[白文]13.子路問成人、子曰、若臧武仲之知、公綽之不欲、卞莊子之勇、冉求之芸、文之以礼楽、亦可以為成人矣、曰、今之成人者、何必然、見利思義、見危授命、久要不忘平生之言、亦可以為成人矣、

[書き下し文]子路(しろ)、成人を問う。子曰く、臧武仲(ぞうぶちゅう)の知、公綽(こうしゃく)の不欲、卞莊子(べんそうし)の勇、冉求(ぜんきゅう)の芸の若き(ごとき)、これを文る(かざる)に礼楽を以てせば、亦以て成人と為すべし。曰く、今の成人は何ぞ必ずしも然らん(しからん)。利を見ては義を思い、危うきを見ては命を授く、久要(きゅうよう)、平生(へいせい)の言を忘れざる、亦以て成人と為すべし。

[口語訳]子路がひとかどの人物(人格的に完成された人物)について質問した。先生は答えられた。『臧武仲の知性、公綽の不欲、卞莊子の勇敢さ、冉求の才能、これに礼楽の教養を加えれば、ひとかどの人格に秀でた人物と言って良いだろう。』。先生が更にお話になられた。『現在のひとかどの人物というのは、必ずしも私の言ったようなものではないらしい。しかし、世間一般では、利益を捨てて義理を尽くし、危難にあって命を投げ出す、ずっと昔の約束を忘れずに守るなどの人物を指して優れた人格者と言っている。これらの要素を持つ人もまた、ひとかどの優れた人物と言って良いだろう。』。

[解説]孔子の弟子で武勇・侠気(義理)に優れていた子路が、『成人(ひとかどの人格者)』について質問した章である。子路は、何ものをも恐れない勇気をもって、他人との義理のために生命を投げ出せるような人物を人格者と考えていたが、孔子はその一面的なものの考え方をたしなめて『成人であるためには、礼節・知識・教養・禁欲・才能も必要である』と語っている。ひとかどの優れた人物として歴史に評価されるためには、勇敢さや義理堅さだけではなく人格全体の柔和なバランスが重要になるということである。

[白文]14.子問公叔文子於公明賈、曰、信乎、夫子不言不笑不取乎、公明賈対曰、以告者過也、夫子時然後言、人不厭其言也、楽然後笑、人不厭其言也、義然後取、人不厭其取也、子曰、其然、豈其然乎、

[書き下し文]子、公叔文子(こうしゅくぶんし)を公明賈(こうめいか)に問いて曰く、信(まこと)なるか。夫子は言わず笑わず取らずと。公明賈対えて(こたえて)曰く、以て告げし者の過つなり。夫子は時にして然る後に言う、人その言うことを厭わざる(いとわざる)なり。楽しくして然る後に笑う、人その笑うことを厭わざるなり。義ありて然る後に取る、人その取ることを厭わざるなり。子曰く、それ然り、豈(あに)それ然らんや。

[口語訳]先生が公叔文子のことを公明賈にお尋ねになられた。『あの方が、話もせず、笑いもせず、取りもしないというのは本当ですか?』。公明賈が答えて申し上げた。『先生にそのことを告げた人の言い方が間違っているのです。あの方は、話すべき時には発言をされます。その為、普段はあの方の発言を気にしなくて良いのです。楽しむべき時には笑われます。その為、普段はあの方の笑いを気にしないのです。更に、取らなければならない時には取られます。その為、普段はあの方が取るかどうかを気にしないのです。』。先生が言われた。『果たしてその通りだろうか。どうしてそんなことが出来るだろうか。』

[解説]孔子が、公明賈に衛の大臣・公叔文子の人柄について質問している章である。魯から衛に亡命していた孔子は、公叔文子が衛の霊公に迫るほどの豊かな大富豪であることを既に知っていた。そのため、『大義があって利益を取るべき時には取る』という公明賈の公叔文子についての説明を率直に信じることができず、『果たして本当にそうであろうか』という疑問の言葉を口にしているのである。

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[白文]15.子曰、臧武仲以防求為後於魯、雖曰不要君、吾不信也、

[書き下し文]子曰く、臧武仲(ぞうぶちゅう)防(ぼう)を以て後(のち)を魯(ろ)に為さんことを求む。君を要せずと曰うと雖も、吾は信ぜざるなり。

[口語訳]先生が言われた。『臧武仲が防の城に篭城した時に、防の城と引き換えに自分の一族の後継者を魯国に再び立てること(家の再興)を要求した。臧武仲が魯公に強要しなかったと言い訳しても、私はそれを信じることが出来ない。』

[解説]魯国の貴族(大夫)であった臧武仲は、孟孫氏の陰謀にかかって魯を追い出され、チュへと亡命することになった。当時の国家原則では、亡命した貴族の家は取り潰され領土も国家に没収されることになるが、再び魯国に戻ろうとした臧武仲は防の城を占拠して魯公に以前と同じような待遇(家の存続・領地の返還)を求めたのである。慣例を重視する伝統主義者の孔子は、臧武仲が陰謀によって魯国を追放されたという事情は知っていたが、それでも国家運営の原則である『亡命者の待遇(家の断絶・領土の没収)』を変えることには反対であった。

[白文]16.子曰、晋文公譎而不正、斉桓公正而不譎、

[書き下し文]子曰く、晋の文公は譎り(いつわり)て正しからず、斉の桓公は正しくして譎らず。

[口語訳]先生が言われた。『晋の文公は原理原則(筋道)を通さなかったが、斉の桓公は原理原則を通して政治を行った。』

[解説]孔子が晋の文公(重耳)と斉の桓公とを比較して評価した章である。ここでいう『譎り(いつわり)』は、単純な嘘偽りと解釈することもできるが、時宜に応じた振る舞いができず筋道の通った対応ができないという意味でも解釈できる。孔子は明らかに文公よりも桓公のことを高く評価しているが、どちらも中原の覇者となった明君である。大器晩成の文公・重耳(ちょうじ)は政治的な指導力や軍事的才能には優れていたが、『徳治の原則を貫くという点』において桓公のほうが優れていると判断したのかもしれない。

[白文]17.子路曰、桓公殺公子糾、召忽死之、管仲不死、曰未仁乎、子曰、桓公九合諸侯、不以兵車、管仲之力也、如其仁、如其仁、

[書き下し文]子路曰く、桓公(かんこう)公子糾(きゅう)を殺す。召忽(しょうこつ)これに死し、管仲は死せず。曰く、未だ仁ならざるか。子曰く、桓公、諸侯を九合(きゅうごう)して、兵車を以てせざるは、管仲の力なり。その仁に如かんや、その仁に如かんや。

[口語訳]子路が言った。『斉の桓公がライバルの兄・公子糾を殺した時に、側近の召忽は公子糾に殉じて死にましたが、同じ側近の管仲(かんちゅう)は生き残りました。これは、仁の道に外れるのはないでしょうか?』。先生がおっしゃった。『桓公は諸侯を九度集めて会合を開いたが、兵力・軍事を用いて諸侯を強制的に従えたのではなかった。これは管仲の政策のお陰である。この仁徳に及ぶものがあるだろうか、この仁徳に及ぶものがあるだろうか。』

[解説]子路が斉の名宰相である管仲に対して、『主君の死に殉ぜずに、敵の宰相となって働いたのは仁に反するのではないか』と非難した。これに対して孔子は、春秋最大の政治家として知られる管仲を支持しており、『管仲の類稀な功績と才覚によって、軍事を用いずに中国が統一できた』と語っている。『主君への忠義』と『実際の功績』のどちらを高く評価すべきなのかという困難な問いかけに対する孔子なりの回答であったと言えるだろう。厳密に儒学の大義名分論の立場からは、兄を殺害して帝位に就いた斉の桓公(小白)の振る舞いも批判されるべきであるし、元の主君を裏切って敵方の宰相となった管仲にも批判される部分があるが、この部分では、孔子はリアリズムの立場に立って管仲を高く評価している。

[白文]8.子貢曰、管仲非仁者与、桓公殺公子糾、不能死、又相之、子曰、管仲相桓公覇諸侯、一匡天下、民到于今受其賜、微管仲、吾其被髪左衽矣、豈若匹夫匹婦之為諒也、自経於溝涜而莫之知也、

[書き下し文]子貢(しこう)曰く、管仲は仁者に非ざるか。桓公、公子糾を殺す。死すること能わず、またこれを相く(たすく)。子曰く、管仲、桓公を相けて諸侯に覇(は)たらしめ、天下を一匡(いっきょう)す。民、今に到るまでその賜(たまもの)を受く。管仲微かりせば(なかりせば)、吾それ髪(はつ)を被り(こうむり)衽(じん)を左にせん。豈(あに)、匹夫匹婦の諒(まこと)を為すや、自ら溝涜(こうとく)に経れて(くびれて)これを知るもの莫き(なき)が若く(ごとく)ならんや。

[口語訳]子貢が言った。『管仲は仁者ではないのでしょうか。桓公が兄の公子糾を殺した時に、主君の公子糾の死に遅れてしまい、ついには桓公の宰相となって補佐したのですから。』。先生が言われた。『管仲は桓公を補佐して諸侯の覇者とならせ、天下を変革することに成功した。人民は現在に到るまでその恩恵を蒙っている。管仲がいなかったとしたら、私たちは、乱れ髪をして襟を左前にして衣服を着ているだろう。どうして管仲のような優れた人物が、小さな誠実さを証明するために、一般の男女のように首を吊って自害し、その遺体を溝(どぶ)に投げ捨てられてどこの誰とも知られないようになる必要があるだろうか(そんな必要はないだろう)。』

[解説]前の章とほぼ同じ内容であり、管仲の仁徳を疑う子貢に対して、孔子がやや強い調子で管仲の取った行動の正当性を論証している。孔子の弟子たちは、主君への忠義と誠実を貫くために、桓公の覇業を助けずに公子糾に従って管仲は殉死すべきだったと語っている。しかし、孔子は管仲ほどの歴史的な偉業を成し遂げた大人物が、他の一般の人と同じように小さな義理のために自害することを肯定しなかったのである。そして、管仲の果たした比類なき業績と変革によって、今の自分たちの生活と儒教の思想があるのだと孔子は語っているのであり、春秋時代における管仲という人物の影響力の大きさを偲ぶことができる。

[白文]19.公叔文子之臣大夫撰、与文子同升諸公、子聞之曰、可以為文矣、

[書き下し文]公叔文子の臣、大夫撰(たいふせん)、文子と与(とも)に同じく諸(これ)を公に升す(のぼす)。子、これを聞きて曰く、以て文と為すべし。

[口語訳]公叔文子の家臣である大夫撰が、文子の推薦で大臣となり昇殿を許された。先生はこれを聞いて言われた。『公叔文子は、『文』と諡されるべき素晴らしい人物である。』

[解説]衛の公叔文子が自分の子飼いの有能な家臣である大夫撰を、霊公の直接の家臣として引き立てた。これを聞いた孔子は、『自分にとって大切な家臣(家臣の家臣である陪臣)』を、霊公の家臣(公臣)として推挙する公叔文子の人格に強い尊敬の念を抱いたのである。

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[白文]20.子言衛霊公之無道也、康子曰、夫如是、奚而不喪、孔子曰、仲叔圉治賓客、祝鴕治宗廟、王孫賈治軍旅、夫如是、奚其喪、

[書き下し文]子、衛の霊公の無道を言う。康子(こうし)曰く、それ是くの如くんば、奚ぞ(なんぞ)喪び(ほろび)ざる。孔子曰く、仲叔圉(ちゅうしゅくぎょ)は賓客を治め、祝鴕(しゅくだ)は宗廟を治め、王孫賈(おうそんか)は軍旅を治む。それ是くの如くんば、奚ぞ喪びん。

[口語訳]先生が衛の霊公の無道ぶりについて話された。そこで、季康子(きこうし)が質問された。『そのような仁徳のない君主であれば、どうして衛は滅びなかったのだろう。』。孔子がお答えになられた。『仲叔圉が賓客を的確に接待し、祝鴕が宗廟の祭祀を正しく行い、王孫賈が効果的な軍事を担当していたからです。そのように優秀な家臣に国が守られていれば、どうして国が滅びるでしょうか(滅びることなどありません)。』

[解説]孔子の言葉によると、衛の霊公は自分自身の仁徳・才能には恵まれなかったが、自分を補佐して助言してくれる優秀で有能な家臣に多く恵まれていた。外交関係・宗教活動・軍事政略のすべての部門を担当してくれる優秀で忠実な家臣がいたからこそ、霊公は王位を失わずに済み、衛国を滅ぼすことも無かったのである。

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