『論語 衛霊公篇』の書き下し文と現代語訳:5

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孔子と孔子の高弟たちの言行・思想を集積して編纂した『論語』の衛霊公(えいれいこう)篇の漢文(白文)と書き下し文を掲載して、簡単な解説(意訳や時代背景)を付け加えていきます。学校の国語の授業で漢文の勉強をしている人や孔子が創始した儒学(儒教)の思想的エッセンスを学びたいという人は、この『論語』の項目を参考にしながら儒学への理解と興味を深めていって下さい。『論語』の衛霊公篇は、以下の5つのページによって解説されています。

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[白文]37.子曰、君子貞而不諒、

[書き下し文]子曰く、君子は貞(てい)にして諒(りょう)ならず。

[口語訳]先生が言われた。『君子は正しさを守るが、馬鹿正直ではない。』

[解説]『貞』とは永久に続くような正しさ(大義)を意味し、『諒』とは短期的なその場限りの正しさ、細かいところにこだわる馬鹿正直さを意味する。君子には『大義を取って、小義を捨てる』ような決断が求められることが少なくない。

[白文]38.子曰、事君、敬其事而後其食、

[書き下し文]子曰く、君に事えて(つかえて)は、その事を敬してその食を後(あと)にす。

[口語訳]先生が言われた。『主君に仕える際には、その仕事に敬意を払って、俸給(給料)は後回しにしなさい。』

[解説]主君に仕える官職に就いた場合には、俸給(給料)の多い少ないばかりにとらわれず、自分に与えられた仕事に誇りを持って、懸命に職務を遂行することを考えろということである。

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[白文]39.子曰、有教無類、

[書き下し文]子曰く、教え有りて類無し。

[口語訳]先生が言われた。『教育による区別はあるが、種類による差別はない。』

[解説]封建主義的な身分制度の理論的根拠となった儒教だが、孔子は必ずしも『生まれながらの身分』を全肯定したわけではない。この部分からは、『教育の努力・工夫』によって人間の能力・素質が向上していく可能性というものを強く信じていた教育者・孔子の信念を窺うことができる。

[白文]40.子曰、道不同、不相為謀、

[書き下し文]子曰く、道同じからざれば、相為(あいとも)に謀らず(はからず)。

[口語訳]先生が言われた。『目的とする道が同じでなければ、一緒に語り合うこと(計画すること)はできない。』

[解説]主義・思想・価値観が全く異なる人間と協力して『目的・目標』を達成することは非常に困難であるし、お互いの利害が対立することも少なくない。春秋時代の乱世と諸子百家の分立を熟知していた孔子は、現実主義的な判断から『道(信念・目的)が同じでなければ、共に語り合い協力することは出来ない』という立場に立つことになったのである。

[白文]41.子曰、辞達而已矣、

[書き下し文]子曰く、辞は達するのみ。

[口語訳]先生が言われた。『言葉は意味が通じれば良いのである。』

[解説]孔子は巧言令色を嫌ったように、修飾・比喩・潤色が多い華美な文章というものも余り好まなかったようである。その為、『言葉は意思疎通の道具である』という本質論に立ち返り、言葉というものはお互いに意味が通じれば十分なのであるという話になったのであろう。

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[白文]42.師冕見、及階、子曰、階也、及席、子曰、席也、皆坐、子告之曰、某在斯、某在斯、師冕出、子張問曰、与師言之道与、子曰、然、固相師之道也、

[書き下し文]師冕(しべん)見ゆ(まみゆ)。階に及べり。子曰く、階なり。席に及べり。子曰く、席なり。皆坐す。子これに告げて曰く、某(ぼう)は斯(ここ)に在り。某は斯に在り。師冕出(い)ず。子張問いて曰く、師と言うの道か。子曰く、然り。固(もと)より師を相くる(たすくる)の道なり。

[口語訳]楽師の冕(べん)が孔子に謁見した。階段のところに来ると先生が言われた。『ここは階段ですよ。』。座席に来ると先生が言われた。『ここは席ですよ。』。一同の座席が決まると、先生は楽師の冕に、『誰々はここに座っています。誰々はここに座っています』と紹介された。楽師の冕が退席すると、子張が質問した。『さっきの先生の言動は、盲目の師に対する礼(作法)ですか。』。先生が答えられた。『そうである。これが本当に楽師を心から助ける場合の作法なのだ。』

[解説]春秋時代の楽師は、日本の琵琶法師と同じく盲目であったが、孔子は人権的な配慮からだけではなく、自分に『詩経』の学問を教えてくれる盲目の楽師に対して、自らの学問の師に対するような手厚い対応をしたのである。

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