『論語 陽貨篇』の書き下し文と現代語訳:3

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孔子と孔子の高弟たちの言行・思想を集積して編纂した『論語』の陽貨(ようか)篇の漢文(白文)と書き下し文を掲載して、簡単な解説(意訳や時代背景)を付け加えていきます。学校の国語の授業で漢文の勉強をしている人や孔子が創始した儒学(儒教)の思想的エッセンスを学びたいという人は、この『論語』の項目を参考にしながら儒学への理解と興味を深めていって下さい。『論語』の陽貨篇は、以下の5つのページによって解説されています。

[白文]19.子曰、予欲無言、子貢曰、子如不言、則小子何述焉、子曰、天何言哉、四時行焉、百物生焉、天何言哉、

[書き下し文]子曰く、予(われ)言うこと無からんと欲す。子貢曰く、子如し(もし)言わずんば、則ち小子何をか述べん。子曰く、天何をか言わんや。四時(しじ)行われ、百物(ひゃくぶつ)生ず。天何をか言わんや。

[口語訳]先生が言われた。『私はもう何も言うまいと思う』。子貢が言った。『先生がもし何も言われなければ、私ども門人は何に基づいて語りましょうか」。先生は言われた。『天は何か言うだろうか。四季は巡っているし、万物も生長している。天は何か言うだろうか』。

[解説]孔子がある日突然、『私はもうこれから何も言わないでおこう』と語り、『自分たちの学問の基準』を失う弟子たちは驚き慌てることになった。孔子が何も語らないという理由は、世界の根本原理は『孔子の言葉』の中にではなく『天命の示す摂理』にあるからであり、孔子はすべての疑問を孔子の言葉に頼って解決しようとする弟子たちの態度を戒めたのである。天は何も語ってはくれないが、規則正しい天候の周期と万物の生成の中には『事物の摂理・本質』が内在している、教育者としての孔子はそのことを弟子達に伝えたかったのである。

[白文]20.孺悲欲見孔子、孔子辞之以疾、将命者出戸、取瑟而歌、使之聞之、

[書き下し文]孺悲(じゅひ)、孔子に見えん(まみえん)と欲す。孔子辞するに疾(やまい)を以てす。命を将なう(おこなう)者、戸(こ)を出ず(いず)。瑟(しつ)を取りて歌い、これをして聞かしむ。

[口語訳]孺悲が孔子にお会いしたいといって来た。しかし、孔子は病気だと言って断られた。孔子の言葉の取次の人が戸口を出て行くと、孔子は瑟をとって歌って、孺悲に聞こえるようにされた(仮病だということを孺悲に知らせた)』

[解説]孔子が孺悲の面会の願いを仮病まで使って拒絶した理由は分からないが、孔子はこの行動(非言語的コミュニケーション)によって孺悲に自発的な気づき・自省を促したかったのかもしれない。

[白文]21.宰我問、三年之喪期已久矣、君子三年不為礼、礼必壊、三年不為楽、楽必崩、旧穀既没、新穀既升、鑚燧改火、期可已矣、子曰、食夫稲、衣夫錦、於女安乎、曰、安、女安則為之、夫君子之居喪、食旨不甘、聞楽不楽、居処不安、故不為也、今女安則為之、宰我出、子曰、予之不仁也、子生三年、然後免於父母之懐、夫三年之喪、天下之通喪也、予也有三年之愛於其父母乎、

[書き下し文]宰我(さいが)問う、三年の喪は期にして已(すで)に久し。君子三年礼を為さざれば、礼必ず壊れん(やぶれん)。三年楽(がく)を為さざれば、楽必ず崩れん。旧穀(きゅうこく)既に没き(つき)て新穀(しんこく)既に升(のぼ)る、燧(すい)を鑚り(きり)て火を改む。期にして已(や)むべし。子曰く、夫の(かの)稲を食らい、夫の錦を衣る(きる)、女(なんじ)に於いて安きか。曰く、安し。女安ければ則ちこれを為せ。夫れ君子の喪に居るや、旨き(うまき)を食らうも甘からず、楽を聞くも楽しからず、居処(きょしょ)安からず、故に為さざるなり。今女安ければ則ちこれを為せ。宰我出ず。子曰く、予の不仁なるや、子(こ)生まれて三年、然して後に父母の懐(ふところ)を免る(まぬがる)。夫れ三年の喪は天下の通喪(つうそう)なり。予(よ)やその父母に三年の愛あらんか。

[口語訳]宰我がお尋ねした。『三年の喪は一年にしても十分です。君子が三年間も礼を実践しないと、礼は崩壊するでしょう。三年間、音楽を演奏しないと、音楽も崩壊するでしょう。一年経過すれば旧年の穀物は食べ尽くされ、新しい年の穀物は豊かに実っていますし、一年のはじまりに、木をこすり合わせて新たな神火を灯すのです。喪は一年で十分だと考えます』。先生が言われた。『あの米を食べ、あの錦の衣服を着ることは、お前にとって安楽なのであろうか?』。宰我が答えた。『心地よいものです』。

先生が言われた。『本当に心地よいのであれば、思い通りにすれば良い。君子が喪に服している間は、美味しいご馳走を食べても甘くはなく、音楽を聴いても楽しくはなく、家に居ても落ち着かないものだから、こういったことはしないものなのである。しかし、お前は心地よいというのだから、やりたいようにやりなさい』。宰我が退席すると、先生は言われた。『宰我には、仁徳がないね。子どもは生まれて三年経ってようやく父母の懐から離れる。だから、三年間の服喪というのは、一般的な喪の服し方なのだよ。宰我にしても、父母から三年の愛を受けたはずであるのに』。

[解説]礼制によって規定された『三年間の服喪の期間』を長すぎると反論する宰我とそれに批判的な孔子のやり取りである。孔子は、父母に対する忠孝の徳と服喪の精神が統合されることこそが理想だと考えているが、効率主義者の宰我はいたずらに三年間もの時を喪に服すのは無駄だといっているのである。孔子は君子が三年間の喪に服すべき理由を、『乳幼児が父母から受けた無償の愛』に求めており、この孔子の喪の解説はなかなか興味深い。一年間の喪で十分ではないかと語る宰我にしたって、生まれてから三年間の間は父母から無償の愛情を貰ったはずであるのに、父母がいざ死んでしまうと薄情なものだねという孔子の皮肉な口調がこの章には込められている。

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[白文]22.子曰、飽食終日、無所用心、難矣哉、不有博奕者乎、為之猶賢乎已、

[書き下し文]子曰く、飽くまで食らいて日を終え、心を用うる所無きは、難いかな。博奕(はくえき)なる者あらずや。これを為すは猶(なお)已む(やむ)に賢(まさ)れり。

[口語訳]先生が言われた。『腹一杯に食べて一日を終わり、何事にも頭を働かせない、困ったことだね。さいころ遊びや、囲碁・将棋というのがあるだろう。そういった頭を使う遊びをするのは、何もしないよりはまだましというものだ』

[解説]儒教は無為を嫌う『有意(人為)の思想』であり、道教は有意(人為)を嫌う『無為の思想』である。この章では、孔子が一日中何も頭を使わずに飽食をしている人を批判しており、何もしない無為よりも、まだ囲碁や双六などの遊びをしているほうがましだと言っているのである。

[白文]23.子路曰、君子尚勇乎、子曰、君子義以為上、君子有勇而無義為乱、小人有勇而無義為盗、

[書き下し文]子路曰く、君子勇を尚ぶ(とうとぶ)か。子曰く、君子義を以て上(かみ)と為す。君子勇有りて義なければ乱を為す。小人勇有りて義なければ盗を為す。

[口語訳]子路が言った。『君子は勇気を尊重しますか?』。先生が言われた。『君子は勇気よりも正義を上位に置く。君子に勇気のみがって正義がなければ、内乱が起こることになる。小人に勇気のみがあって正義がなければ、力づくで奪い取る盗賊になってしまうだろう』

[解説]勇気第一と讃えられた直情的な子路に対して、勇気・腕力だけが抜きん出て強くなり過ぎると君子でも小人でも道を踏み誤る恐れがあると孔子が教えている。

[白文]24.子貢問曰、君子亦有悪乎、子曰、有悪、悪称人之悪者、悪居下流而山(正確な漢字は「ごんべん」)上者、悪勇而無礼者、悪果敢而窒者、曰、賜也亦有悪乎、悪徼以為知者、悪不孫以為勇者、悪訐以為直者、

[書き下し文]子貢問いて曰く、君子も亦た悪む(にくむ)こと有りや。子曰く、悪むこと有り。人の悪を称する者を悪む。下(しも)に居て上(かみ)を山る(そしる)者を悪む。勇にして礼なき者を悪む。果敢にして窒がる(ふさがる)者を悪む。曰く、賜(し)や亦た悪むこと有りや。徼めて(かすめて)以て知と為す者を悪む。不孫(ふそん)にして以て勇と為す者を悪む。訐きて(あばきて)以て直と為す者を悪む。

[口語訳]子貢がお尋ねした。『君子でも憎悪がありますか?』。先生が言われた。『君子にも憎悪の感情はある。君子は他人の悪ばかりを言い立てる人を憎む。下位の者が上位の者を非難することを憎む。勇気はあるが礼儀をわきまえない人物を憎む。思い込みが強くて譲ることを知らない人を憎む』。先生が言われた。『子貢よ、お前にも憎悪があるのか?』。子貢がお答えした。『他人の意見を自分のものにして知識人ぶっている人を憎みます。傲慢であることを勇気と勘違いしている人を憎みます。他人の秘密にしておきたい事を暴き立てて正直であると勘違いしている人を憎みます』。

[解説]君子がどのような時に憎悪の感情を感じるのかを、孔子と子貢との対話を通して知ることができる章である。孔子は、他人の短所や欠点ばかりを触れ回っているような小人を憎み、立場の違いを無視して上位の人物(君主)を誹謗する人物を憎み、礼節や謙譲をわきまえない自己中心的な無礼者を憎んでいたと考えることができる。

[白文]25.子曰、唯女子与小人、為難養也、近之則不遜、遠之則怨、

[書き下し文]子曰く、唯だ(ただ)女子と小人とは養い難しと為す。これを近づくれば則ち不遜。これを遠ざくれば則ち怨む。

[口語訳]先生が言われた。『女子と小人とだけは取り扱いにくいものである。これを優しく近づけると無礼になり、疎遠にして冷たくすると恨まれてしまう』

[解説]現代的な倫理観からは、男尊女卑や差別主義のように感じてしまう部分が大きい章である。孔子は、親密にすると礼儀を失い、疎遠にすると怨恨を懐くような人物に接し難いと感じていたのであろう。

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[白文]26.子曰、年四十而見悪焉、其終也已、

[書き下し文]子曰く、年四十にして悪まるるは、それ終(や)んぬるかな。

[口語訳]先生が言われた。『年齢が40歳にもなって人に憎まれるというのでは、どうしようもないね』

[解説]孔子は三十にして独立し、四十にして心が惑わないようになるというのを一つの目安にしていたから、四十歳になっても他人の気持ちや欲求を察することが出来ず、人に恨まれるような人物はどうしようもないと考えたのであろう。社会的に成功している人物ほど、他人の怨恨や嫉妬を受けずに生きるというのは難しいことである。しかし、儒教的には、不惑の四十の年齢になる時までには、他人の恨みをいたずらに買わないような生き方をせよということになる。

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