『論語 微子篇』の書き下し文と現代語訳:2

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孔子と孔子の高弟たちの言行・思想を集積して編纂した『論語』の微子(びし)篇の漢文(白文)と書き下し文を掲載して、簡単な解説(意訳や時代背景)を付け加えていきます。学校の国語の授業で漢文の勉強をしている人や孔子が創始した儒学(儒教)の思想的エッセンスを学びたいという人は、この『論語』の項目を参考にしながら儒学への理解と興味を深めていって下さい。『論語』の微子篇は、以下の2つのページによって解説されています。

[白文]7.子路従而後、遇丈人以杖荷條、子路問曰、子見夫子乎、丈人曰、四体不勤、五穀不分、孰為夫子、植其杖而芸、子路拱而立、止子路宿、殺鷄為黍而食之、見其二子焉、明日子路行以告、子曰、隠者也、使子路反見之、至則行矣、子路曰、不仕無義、長幼之節、不可廃也、君臣之義、如之何其可廃也、欲潔其身而乱大倫、君子之仕也、行其義也、道之不行也、已知之矣、

[書き下し文]子路従いて後れ(おくれ)たり。丈人(じょうじん)の杖を以て條(あじか)を荷えるに遇えり(あえり)。子路問いて曰く、子、夫子を見るか。丈人曰く、四体勤(つと)めず、五穀分かたず、孰(たれ)をか夫子と為さん。その杖を植て(たて)て芸る(くさぎる)。子路拱(きょう)して立つ。子路を止(とど)めて宿(しゅく)せしめ、鶏を殺し黍(きび)を為(つく)りてこれに食らわしめ、その二子を見え(まみえ)しむ。明日(めいじつ)、子路行きて以て告ぐ。子曰く、隠者なり。子路をして反りて(かえりて)これを見せしむ。至れば則ち行る(さる)。子路曰く、仕えざれば義なし。長幼の節、廃すべからざるなり。君臣の義はこれを如何ぞそれ廃すべけんや。その身を潔く(きよく)せんと欲して大倫を乱る。君子の仕うるや、その義を行わんとするなり。道の行なわれざるや、已(すで)にこれを知れり。

[口語訳]子路が先生に従っていたが遅れてしまった。杖に竹かごを掛けている老人に出会って、子路が言った。『孔先生を見かけませんでしたか?』。老人が答えた。『肉体労働をしたこともなく、五穀の見分け方も知らない人物を、どうして「先生」などと呼ぶのか?』。杖を地面に突き刺して草刈りを始めてしまった。子路は(不思議な感覚に襲われ)手を組んでぼうっと立っていた。老人を子路を引きとめて、家に宿泊させてやった。鶏を殺して黍飯を炊いてもてなし、二人の子どもとも引き合わせてくれた。翌日、子路が孔子に追いついてそのことを話すと、孔子は言われた。『それは隠者(野の隠れた賢人)であろう』。子路にもう一度戻って話を聴くように言った。子路がその家に辿り着くと、老人はいなかった。子路は老人の子に伝言を頼んだ。『あなたは、仕官しなければ義務はないというでしょう。しかし、(あなたと子の間にあるような)長幼の序は廃止することができないですよね。それならば、どうして君臣の間の義も廃止できるでしょうか。あなたは自分の身を清潔に保ちながらも、人倫の大義と道徳を乱しておられるのです。君子が仕官するのは、その大義をまっとうするためです。正しい道が行われていないのは、孔先生は十分に知っているのですから』。

[解説]孔子とはぐれてしまった子路が、世俗を半ば捨てながら農耕に励む老人と出会い、「なぜ、労働をせず穀物の知識もない孔子などを先生と呼ぶのか?」と疑問を投げかけられる。この老人は、老子の無為自然の思想を象徴的に示唆するような存在であり、天下国家の政治に関与しようとする孔子と、農耕作業(目の前の仕事)にひたすら打ち込もうとする老人の姿勢は極めて対照的なものである。老人のもとにとって返した子路は、老人の子どもに対して『天下に正しい政治が行われておらず道徳や秩序が乱れている以上、世俗(政治)を捨てた隠棲者のような暮らしをすることが正しいとは言えない=自分ひとりだけが欲徳を離れて潔癖な暮らしをしていても、人民の生活の苦しみや不安が取り除かれるわけではない』といった内容の言葉を伝えて、儒教サイドからの反論をしている。

[白文]8.逸民、伯夷、叔斉、虞仲、夷逸、朱張、柳下恵、少連、子曰、不降其志、不辱其身者、伯夷叔斉与、謂柳下恵少連、降志辱身矣、言中倫、行中慮、其斯而已矣、謂虞仲夷逸、隠居放言、身中清、廃中権、我則異於是、無可無不可、

[書き下し文]逸民(いつみん)は、伯夷(はくい)、叔斉(しゅくせい)、虞仲(ぐちゅう)、夷逸(いいつ)、朱張(しゅちょう)、柳下恵(りゅうかけい)、少連(しょうれん)。子曰く、その志しを降さず(くださず)、その身を辱め(はずかしめ)ざるは、伯夷・叔斉か。柳下恵、少連を謂わく。志を降し身を辱めたるも、言(げん)は倫(みち)に中たり(あたり)、行は慮(のり)に中たる、それ斯れ(これ)のみ。虞仲、夷逸を謂わく。隠居して放言し、身は清に中たり、廃は権に中たる。我則ち是に異なり、可も無く不可も無し。

[口語訳]隠者は伯夷、叔斉、虞仲、夷逸、朱張、柳下恵、少連。先生が言われた。『自分の志を高く保ち、その身を潔癖に守ったのは、伯夷・叔斉兄弟である。柳下恵・少連を評価すると、志は低く下がり、その身は汚れてしまった。しかし、その発言は正義の道に適っており、行動も思慮のあるものであった。それは素晴らしい。虞仲・夷逸を評価して言うと、彼らは世を捨てて自由な言論を行い、自分の身を清潔に保っており、隠棲のやり方も程よいものであった。しかし、私は彼らとは違う。(自由無碍の境地で状況を見極め)主君に仕えるべき時には仕えて、仕えるべきでない時には仕えないのである。』

[解説]孔子が、高邁な志と潔癖な倫理を持っていた隠者(隠棲の士)をそれぞれ評価した章で、主君への忠義を貫いて餓死した伯夷・叔斉を讃え、それ以外の隠者についても言及している。しかし、孔子は自分の思想はそれらの俗世を捨てた隠者とは異なり、状況や大義を見極めながら仕える主君を選んでいきたいと言っている。

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[白文]9.大師摯適斉、亜飯干適楚、三飯繚適蔡、四飯缺適秦、鼓方叔入于河、播鼓(トウ)武入于漢、少師陽撃磬襄入于海、

[書き下し文]大師摯(たいしし)は斉に適く(ゆく)。亜飯干(あはんかん)は楚に適く。三飯繚(さんぱんりょう)は蔡(さい)に適く。四飯缺(しはんけつ)は秦(しん)に適く。鼓方叔(こほうしゅく)は河に入る。播トウ武(はとうぶ)は漢に入る。少師陽(しょうしよう)・撃磬襄(げきけいじょう)は海に入る。

[口語訳]楽師長の摯(し)は斉に赴いた。第二の演奏者の干は楚に赴いた。第三の演奏者の繚は蔡に赴いた。第四の演奏者の缺は秦に赴いた。太鼓の演者の方叔は黄河流域に行った。第一の演者の陽と石の楽器の奏者の襄は、渤海沿岸に行った。

[解説]魯国の勢威が衰えたときに礼楽が完全に崩壊して、音楽の祭祀・礼式を担当していた楽団の人たちをちりぢりになって亡命することを余儀なくされたという。

[白文]10.周公謂魯公曰、君子不施其親、不使大臣怨乎不以、故旧無大故、則不棄也、無求備於一人、

[書き下し文]周公、魯公に謂いて曰く、君子はその親(しん)を施てず(すてず)、大臣をして以い(もちい)られざるを怨ましめず、故旧(こきゅう)大故(たいこ)なければ、則ち棄てざるなり。一人に備わらんことを求むることなかれ。

[口語訳]周公が我が子の魯公(伯禽)に向かって言われた。『君子はその親族のことを忘れず、大臣が用いられないからといって怨むことのないようにし、古い縁故のある人物は大きな過ちが無ければ見捨てず、一人の人間に完全を求めてはいけない。』

[解説]孔子が理想の君子として崇敬した周公旦(周公)が、自らの子である魯公・伯禽に伝えた『為政者としての心構え』である。

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[白文]11.周有八士、伯達、伯活(正しい漢字は「しんにょう」)、仲突、仲忽、叔夜、叔夏、季随、季過(正しい漢字は「うまへん」)、

[書き下し文]周に八士あり、伯達、伯カツ、仲突、仲忽、叔夜、叔夏、季随、季カ。

[口語訳]周に八人の優れた人物がいた。伯達、伯活、仲突、仲忽、叔夜、叔夏、季随、季過である。

[解説]周に存在したと言われる八人の賢臣についての記録である。

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