『今昔物語集』の巻第14第40話

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『今昔物語集』は平安時代末期の12世紀初頭~半ばに掛けて、収集編纂されたと考えられている日本最大の古説話集です。全31巻(現存28巻)で1,000以上のバラエティ豊かな説話のエピソードが収載されていますが、作者は未詳とされています。一説では、源隆国や覚猷(鳥羽僧正)が編集者ではないかと推測されていますが、実際の編集者が誰であるのかの実証的史料は存在しません。8巻・18巻・21巻が欠巻となっています。

『今昔物語集』は、『天竺(インド)・震旦(中国)・本朝(日本)』の三部構成となっており、それぞれが『仏法・世俗の部』に分けられています。因果応報や諸行無常の『仏教的世界観』が基底にあり、『宗教的・世俗的な教訓』を伝える構成のエピソードを多く収載しています。例外を除き、それぞれの説話は『今は昔』という書き出しの句で始められ、『と、なむ語り伝えたるとや』という結びの句で終わる形式で整えられています。

参考文献

『今昔物語集』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),池上洵一『今昔物語集 本朝部(上・中・下)』『今昔物語集 天竺・震旦部』(岩波文庫)

[古文・原文]

第14巻40話(部分).その後、大師参り給へるに、天皇のこのことを語らせ給ひて、尊ばせ給ふこと限りなし。大師これを聞きて申し給ふやう、「このこと実に尊し。しかるにおのれ候はむときに、彼を召して煮しめ給ふべし。おのれは隠れて試み候はむ」と、隠れゐぬ。

その後、僧都(そうづ)を召して、例のごとく栗を召して煮しめ給へば、僧都前に置きて加持(かじ)するに、このたびは煮られず。僧都、力を出だして返す返す加持すといへども、前のごとく煮らるるなし。そのときに、僧都、奇異の思ひをなして、これはいかなることぞと思ふほどに、大師そばより出で給へり。僧都これを見て、さはこの人の抑へける故なりと知りて、嫉妬の心たちまちに発りて(おこりて)立ちぬ。

その後、二人の僧都、極めて仲悪しく(なかあしく)なりて、互ひに死ね死ねと呪詛(じゅそ)しけり。この祈りは互ひに止めてむ(とどめてん)とてなむ、延べつつ行ひける。

そのときに、弘法大師(こうぼうだいし=空海)謀りこと(はかりこと)をなして、弟子どもを市に遣はして、「葬送の物の具どもを買ふなり」と言はせむとて買はしむ。「空海僧都は早く失せ給へる(うせたまえる)。葬送の物の具ども買ふなり」と教えて言はしむ。

修円(しゅえん)僧都の弟子これを聞きて、喜びて走り行きて、師の僧都にこの由(よし)を告ぐ。僧都これを聞きて喜びて、「確かに聞きつや」と問ふに、弟子、「確かに承りて告げ申すなり」と答ふ。僧都、これ他にあらず、我が呪詛しつる祈りのかなひぬるなりと思ひて、その祈りの法を結願(けちがん)しつ。

そのときに、弘法大師、人をもちてひそかに修円僧都のもとに、「その祈りの法の結願しつや」と問はす。使(つかい)、帰り来たりて言はく、「僧都、我が呪詛しつる験(しるし)のかなひぬるなりとて、修円は喜びて今朝結願し候ひにけり」と。

そのときに、大師しきりにしきりて、その祈りの法を行ひ給ひければ、修円僧都にはかに失せにけり。

[現代語訳]

その後、弘法大師・空海が朝廷に参上した時に、天皇は修円僧都の生の栗を煮る法力について空海にお語りになり、この上なく修円のことを敬っておられた。空海はこの修円の話を聞いて、「その法力は尊敬すべきものですね。それでは、私がここにいる時に修円を召しだして、生の栗をもう一度煮させてみてください。私は隠れて修円の法力を確認しますから」といい、その姿を隠した。

その後、修円を召しだして、いつものように生の栗を煮させようとしたのだが、修円が栗を前に置いて加持祈祷をしても、今度は栗が煮えなかった。修円は法力を搾り出して、何度も加持の祈りを捧げるのだが、前のように栗は煮えない。その時、修円は不思議な思いがして、「これはどうしたことなのか」と思っていると、物陰から空海が姿を現した。修円は空海の姿を見て、この人が自分の法力を押さえ込んだのだと気づいて、空海に対する恨みの思いがふつふつと湧きあがった。

その後、二人の僧侶(空海と修円)はとても仲が悪くなり、お互いに「死ね死ね」と呪いの祈りをぶつけ合った。その呪詛は、お互いに相手の生命を奪おうとして、期間を延ばしながら繰り返し行われた。

その時、弘法大師・空海は謀略を思いついて、弟子達を市場に行かせた。「弘法大師が葬式の道具を買っている」という噂を広めるために、弟子達にそれらの道具を買わせたのである。「空海が亡くなったので、その葬式のための道具を買いに来た」と弟子達に言わせた。

修円の弟子達がこの嘘の噂を聞きつけて、喜び勇んで帰り、師の修円にこの空海死去の噂を話した。修円はこの噂を聞いて喜んで、「確かにそう聞いたのか」と確かめると、弟子達は「確かにそう聞いたので師にお話しているのです」と答えた。修円は「これは間違いない、自分の呪詛が効力を発揮して空海が死んだのだ」と思い込み、その呪詛の祈りを終えてしまった。

このとき、弘法大師は修円のもとに人を遣わして、「そちらでの祈りの儀式は終わったか」と聞かせた。使者が帰ってきて、「修円は自分の呪詛の効力があったことに喜んで、呪いの祈りを終えている(結願している)」と空海に報告した。

その時、空海はしきりに全身全霊を集中して呪詛の祈りを捧げたので、修円僧都は間もなく亡くなってしまった。

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[感想]

平安仏教を代表する仏教者として天台宗の開祖・最澄(さいちょう)と真言宗の開祖・空海(くうかい)がいる。最澄は『伝教大師(でんぎょうだいし)』という号を持ち、空海は『弘法大師(こうぼうだいし)』という号を持つ。空海が開設した高野山金剛峰寺(こうやさん・こんごうぶじ)を本拠とする真言宗(しんごんしゅう)は、超能力的な効験(こうげん)を発揮するために修行を重ねる『密教』である。

『顕教(一般的な大乗仏教)』『密教』の違いは、密教が師匠から弟子のみに伝承される『秘密の教え』であることにあり、密教では護摩焚きや加持祈祷による『神秘的な法力・呪詛・超能力』などの存在が仮定されているのである。密教には神秘的な法力や呪術を用いて『悟りへの道』を短縮化するという意味合いもあるが、この空海と修円のエピソードでは加持祈祷の呪いを用いた殺し合いという陰惨な対立がテーマになっている。

頭脳明晰で人格にも優れ、超越的な法力を持っていたとされる伝説的な空海が、相手の修円に強烈な呪詛をぶつけて生命を奪おうとまでしているところに、このエピソードの意外性と面白さがある。この後に続く部分で、修円は悪魔を退散させる五大明王の一人『軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)』の化身であることが明らかにされる。空海が修円を呪い殺した理由としては、『因果応報(呪詛する人は自分も呪詛される危険にさらされる)』が考えられているが、『清廉・無欲な人格』を持っていたと思われている超人・空海の『俗な一面(憎悪や嫉妬を抱く一面)』が表現されているようにも感じられて興味深い。

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