『今昔物語集 天竺部』の巻第1第1話

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『今昔物語集』は平安時代末期の12世紀初頭~半ばに掛けて、収集編纂されたと考えられている日本最大の古説話集です。全31巻(現存28巻)で1,000以上のバラエティ豊かな説話のエピソードが収載されていますが、作者は未詳とされています。一説では、源隆国や覚猷(鳥羽僧正)が編集者ではないかと推測されていますが、実際の編集者が誰であるのかの実証的史料は存在しません。8巻・18巻・21巻が欠巻となっています。

『今昔物語集』は、『天竺(インド)・震旦(中国)・本朝(日本)』の三部構成となっており、それぞれが『仏法・世俗の部』に分けられています。因果応報や諸行無常の『仏教的世界観』が基底にあり、『宗教的・世俗的な教訓』を伝える構成のエピソードを多く収載しています。例外を除き、それぞれの説話は『今は昔』という書き出しの句で始められ、『と、なむ語り伝えたるとや』という結びの句で終わる形式で整えられています。

参考文献

『今昔物語集』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),池上洵一『今昔物語集 本朝部(上・中・下)』『今昔物語集 天竺・震旦部』(岩波文庫)

[古文・原文]

巻第1第1話.今は昔、釈迦如来、いまだ仏に成り給はざりけるときは、釈迦菩薩と申して兜率天(とそつてん)の内院といふ所にぞ住み給ひける。しかるに、閻浮提(えんぶだい)に下生(げしょう)しなむと思しける(おぼしける)ときに、五衰(ごにん)を現し給ふ。

その五衰といふは、一つには、天人は目瞬く(めまじろく)ことなきに目瞬く。二つには、天人の頭の上の花鬘(けまん)は萎むことなきに萎みぬ。三つには、天人の衣には塵居ることなきに塵・垢を受けつ。四つには、天人は汗あゆることなきに脇の下より汗あえきぬ。五つには、天人は我が本の座を替へざるに本の座を求めずして当たる所に居ぬ。

そのときに、もろもろの天人、菩薩この相を現し給ふを見て、怪しびて菩薩に申して言はく、『我ら、今日この相(そう)を現し給ふを見て、身動き心惑ふ。願はくは我らがためにこの故を宣べ給へ(のべたまえ)』と。

菩薩、諸天に答へて宣はく(のたまわく)、『まさに知るべし、もろもろの行はみな常ならずといふことを。我、今、久しからずしてこの天の宮を捨て閻浮提に生まれなむとす』と。

これを聞きて、もろもろの天人嘆くこと愚かならず。かくて菩薩、閻浮提の中に生まれむに、誰をか父とし、誰をか母とせむと思して見給ふに、迦比羅衛国(かびらえこく)の浄飯王(じょうぼんおう)を父とし摩耶夫人(まやぶにん)を母とせむに足れり、と思ひ定め給ひつ。

癸丑(みずのとうし)の年の七月八日、摩耶夫人の胎(はら)に宿り給ふ。夫人、夜寝給ひたる夢に、菩薩、六牙(ろくげ)の白象に乗りて、虚空の中より来たりて、夫人の右の脇より身の中に入り給ひぬ。顕はに透き徹りて(すきとおりて)瑠璃の壷の中に物を入れたるがごとくなり。

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[現代語訳]

今は昔、釈迦がまだ仏陀(悟った者・覚者)になる前は、菩薩と呼ばれる存在であり、兜率天という場所の内院に住んでいた。その天上界から人間界に生まれ変わって衆生を救済しようという志を持った時、五衰の相が現れた。

五衰(ごすい)の相とは、天人が天上界から去ることを示す徴(しるし)である。第一に、まばたきをすることのない天人が、まばたきをする。第二に、天人の頭を飾っている萎まないはずの花飾りが萎んでしまう。第三に、天人の衣服に付くことがない塵や垢が付くようになる。第四に、汗をかかない天人の脇の下から汗が流れてくる。第五に、天人は自分の座る場所から動かないはずなのに、その場所を外れて動くようになる。

この五衰の徴候を見た天人たちは驚いて、釈迦に質問した。『私たちは五衰の徴候を見て、身も心も落ち着かず不安になっています。どうか五衰が現れたその理由を教えて下さい』と。

釈迦は答えた。『宇宙のすべての万物は変化してやむことがない。私も間もなく天上界から人間界に移り住むことになるでしょう』と。

釈迦の返事を聞いた天人たちは、(『生老病死の四苦』に覆われた人間界に敢えて赴こうとする釈迦を見て)みんな嘆き悲しんだ。

釈迦は自分の父母になるべき人間を探して、カビラエ国の浄飯王と摩耶夫人の夫婦を選んだ。

そして、癸丑の年の七月八日に、釈迦は摩耶夫人のお腹に宿ったのである。夫人は寝ている時に、菩薩が六本の牙を持つ白象に乗って、大空を飛び、夫人の右脇の下から体の中に入っていったという不思議な『夢』を見た。

菩薩が自らの身体に入ってくる様子は、青く美しい瑠璃の壷に物を入れる時のように、はっきりと透き通って見えたのである。

[感想]

天上界で不老不死の天人として存在していた釈迦が、『天人五衰の相』を現して人間界に下降してくるというエピソードである。釈迦は何の苦痛も悩みも制約もない天上界に生まれながら、敢えて『天人の特権的な地位・属性』を捨てて、人間界の衆生を苦しみ・煩悩から救済するために下生してきたのだった。この世界のあらゆるものは絶えず移り変わっていき、永遠不変のものなどないという『諸行無常の真理』に到達した釈迦は、永遠不変の静的な天上界を去って四苦八苦に覆われた人間界へと転生するのである。

釈迦は人間界を見渡して、自らの父母となるべき人間として浄飯王と摩耶夫人を選び取ったが、摩耶夫人は釈迦を懐胎する時に『自分の右脇の下から菩薩が入り込んでくる』という不思議な予知夢を見ている。生まれてすぐに七歩の距離を歩いて『天上天下唯我独尊』と宣言する釈迦、世界宗教となる仏教の開祖は天人としての超越的能力を喪失する『天人五衰』によって、この世界の歴史に登場する。人間となったゴータマ・シッダールタ(釈迦)の『悟り(解脱)』へと向かう困難な道のりがスタートすることになる。『今昔物語集 天竺部』の巻第1第1話は、この釈迦(仏陀)の生誕の逸話によって幕を開けるのである。

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