『徒然草』の12段~14段の現代語訳

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兼好法師(吉田兼好)が鎌倉時代末期(14世紀前半)に書いた『徒然草(つれづれぐさ)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載して、簡単な解説を付け加えていきます。吉田兼好の生没年は定かではなく、概ね弘安6年(1283年)頃~文和元年/正平7年(1352年)頃ではないかと諸文献から推測されています。

『徒然草』は日本文学を代表する随筆集(エッセイ)であり、さまざまなテーマについて兼好法師の自由闊達な思索・述懐・感慨が加えられています。万物は留まることなく移りゆくという仏教的な無常観を前提とした『隠者文学・隠棲文学』の一つとされています。『徒然草』の12段~14段が、このページによって解説されています。

参考文献
西尾実・安良岡康作『新訂 徒然草』(岩波文庫),『徒然草』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),三木紀人『徒然草 1~4』(講談社学術文庫)

[古文]

12段.同じ心ならん人としめやかに物語して、をかしき事も、世のはかなき事も、うらなく言ひ慰まんこそうれしかるべきに、さる人あるまじければ、つゆ違はざらんと向ひゐたらんは、ただひとりある心地やせん。

たがひに言はんほどの事をば、「げに」と聞くかひあるものから、いささか違ふ所もあらん人こそ、「我はさやは思ふ」など争ひ憎み、「さるから、さぞ」ともうち語らはば、つれづれ慰まめと思へど、げには、少し、かこつ方も我と等しからざらん人は、大方のよしなし事言はんほどこそあらめ、まめやかの心の友には、はるかに隔たる所のありぬべきぞ、わびしきや。

[現代語訳]

同じ心(気持ち)の人としんみりと世間話などして、面白い事も世のはかない事も、裏表なく話し合って慰め合えれば嬉しいのだけど、そのような人はいないだろうから、少しも違わないようにと相手に気を遣って向かい合っているのは、ただひとりでいるような孤独な気持ちである。

お互いに言おうとする事が『本当に』と聞く価値のあるものであれば良いが、少し自分の考えと違う所があるような人と『私はそう思わない』などと言い争いになることもある。『そういうことだから、そうか』ともし(お互いに譲って)語ることができれば、何となく気持ちも慰められると思うけれど。本当は少し愚痴を言う方法が自分と違っているような人は、大体、良くも悪くもない事を言っている間は良いのだが、(そういった毒にも薬にもならないやり取りは)本当の心の友とは、全く異なっているところがありそうで、何ともやりきれない。

[古文]

13段:ひとり、燈のもとに文をひろげて、見ぬ世の人を友とするぞ、こよなう慰むわざなる。

文(ふみ)は、文選(もんぜん)のあはれなる巻々(まきまき)、白氏文集(はくしもんじゅう)、老子のことば、南華の篇。この国の博士どもの書ける物も、いにしへのは、あはれなること多かり。

[現代語訳]

一人、明かりの下で、本(巻物)を開いていると、見たこともない昔の作者を友とする気持ちがしてきて、この上なく気持ちが慰められるのである。

本(巻物)には、『文選(全30巻)』の興趣ある文章の数々、唐の詩人・白楽天が書いた『白氏文集』、『老子』の無為自然を説くことば、南華と呼ばれる『荘子』の篇の数々がある。この国の文章博士たちが書いた物にも、古いものには、しみじみとした趣きのあるものが多い。

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[古文]

14段:和歌こそ、なほをかしきものなれ。あやしのしず・山がつのしわざも、言ひ出でつればおもしろく、おそろしき猪のししも、「ふす猪の床(ふすいのとこ)」と言へば、やさしくなりぬ。

この比(ごろ)の歌は、一ふしをかしく言ひかなへたりと見ゆるはあれど、古き歌どものやうに、いかにぞや、ことばの外に、あはれに、けしき覚ゆるはなし。貫之が、「糸による物ならなくに」といへるは、古今集の中の歌屑とかや言ひ伝へたれど、今の世の人の詠みぬべきことがらとは見えず。その世の歌には、姿・ことば、このたぐひのみ多し。この歌に限りてかく言ひたてられたるも、知り難し。源氏物語には、「物とはなしに」とぞ書ける。新古今には、「残る松さへ峰にさびしき」といへる歌をぞいふなるは、まことに、少しくだけたる姿にもや見ゆらん。されど、この歌も、衆議判(しゅぎはん)の時、よろしきよし沙汰ありて、後にも、ことさらに感じ、仰せ下されけるよし、家長が日記には書けり。

歌の道のみいにしへに変わらぬなどいふ事もあれど、いさや。今も詠みあへる同じ詞・枕詞(まくらことば)も、昔の人の詠めるは、さらに、同じものにあらず、やすく、すなほにして、姿もきよげに、あはれも深く見ゆ。

梁塵秘抄(りょうじんひしょう)の郢曲(えいきょく)の言葉こそ、また、あはれなる事は多かめれ。昔の人は、ただ、いかに言ひ捨てたることぐさも、みな、いみじく聞ゆるにや。

[現代語訳]

和歌というのは、やはり情趣・風情がある。身分の低い下賎な者・山に住む木こりの所業も、歌にすればおもしろくて、恐ろしい猪でも『ふす猪の床』と言えば優しい印象になってしまう。

この頃の新しい歌は、部分的に趣深く詠めているように見えるものはあるが、どういうわけか、古い和歌のように言葉の外にある情趣の感覚を覚えることはない。紀貫之(きのつらゆき)が『糸による物ならなくに』と詠んだ歌は、『古今和歌集』の中では屑の歌(ダメな歌)と言ひ伝えられているけれど、今の世の歌人が詠めるような歌ではない。

古い歌には、『形・ことば(全体的構成・部分的な言葉遣い)』においてこういった優れた類が多いのである。この紀貫之の歌に限って悪く言われるのも、分かりにくい。源氏物語では『物とはなしに』と書いてある。新古今和歌集には『残る松さへ峰にさびしき』という歌をそのように悪く言っているが、実際、少しくだけた感じの歌にも見える。しかし、この歌も、衆議判(歌の優劣の議論を通した判定)の時には、『よい歌だ』という内容の判定があった。後に、後鳥羽院(上皇)もそのように良い歌に感じたということが、源家長の日記には書いてある。

歌の道は昔と変わらないと言う事もあるが、そうだろうか。今、歌に詠まれる同じ詞・枕詞も、昔の人が詠めば、全く同じものではない。言葉が平易で素直であり、形式も整っていて、しみじみとした深い感動が伝わってくる。

後鳥羽院が勅撰した『梁塵秘抄』の流行りの歌の言葉にも、また趣きのあるものが多い。昔の人は、日常的な言葉・話しぶりであっても、みんな素晴らしいように聞こえてしまうのだ。

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