『徒然草』の93段~96段の現代語訳

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兼好法師(吉田兼好)が鎌倉時代末期(14世紀前半)に書いた『徒然草(つれづれぐさ)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載して、簡単な解説を付け加えていきます。吉田兼好の生没年は定かではなく、概ね弘安6年(1283年)頃~文和元年/正平7年(1352年)頃ではないかと諸文献から推測されています。

『徒然草』は日本文学を代表する随筆集(エッセイ)であり、さまざまなテーマについて兼好法師の自由闊達な思索・述懐・感慨が加えられています。万物は留まることなく移りゆくという仏教的な無常観を前提とした『隠者文学・隠棲文学』の一つとされています。『徒然草』の93段~96段が、このページによって解説されています。

参考文献
西尾実・安良岡康作『新訂 徒然草』(岩波文庫),『徒然草』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),三木紀人『徒然草 1~4』(講談社学術文庫)

[古文]

第93段:『牛を売る者あり。買ふ人、明日、その値をやりて、牛を取らんといふ。夜の間に牛死ぬ。買はんという人に利あり。売らんとする人に損あり』と語る人あり。

これを聞きて、かたへなる者の云はく、『牛の主、まことに損ありといへども、また、大きなる利あり。その故は、生あるもの、死の近き事を知らざる事、牛、既にしかなり。人、また同じ。はからざるに牛は死し、はからざるに主は存ぜり。一日の命、万金よりも重し。牛の値、鵞羽よりも軽し。万金を得て一銭を失はん人、損ありと言ふべからず』と言ふに、皆人嘲りて、『その理は、牛の主に限るべからず』と言ふ。

また云はく、『されば、人、死を憎まば、生を愛すべし。存命の喜び、日々に楽しまざらんや。愚かなる人、この楽しびを忘れて、いたづがはしく外の楽しびを求め、この財を忘れて、危うく他の財を貪るには、志満つ事なし。生ける間生を楽しまずして、死に臨みて死を恐れば、この理あるべからず。人皆生を楽しまざるは、死を恐れざる故なり。死を恐れざるにはあらず、死の近き事を忘るるなり。もしまた、生死の相にあづからずといはば、実の理を得たりといふべし』と言ふに、人、いよいよ嘲る。

[現代語訳]

『牛を売る者がいた。買おうとする人が、明日、その牛の代金を支払って引き取ろうという。しかし、その日の夜に牛が死んでしまった。これは、買おうとした人が利益を得たのだ。売ろうとしていた人は損失を出してしまった』と言う人がいた。

これを聞いた近くの人が言った。『牛の持ち主は本当に損をしてしまったな。しかし、大きな利益を得たとも言える。なぜなら、命あるものは死の訪れを予測なんてできない。死んだ牛も当然予測できないし、人間も同じようなものだ。予期せずして牛は死んで、予期せずして牛の飼い主は生きている。一日の生命は、金銭よりも重いんだ。死ぬのに比べれば、牛の代金なんか羽毛よりも軽いよ。多額の金に勝る生命を得て、牛の代金を失っただけだ。損したとは言えない』と。それを聞いたみんなは嘲り笑って、『その理屈は、牛の飼い主だけに当てはまるものではないだろう(誰だって偶然に死ぬ恐れはあるんだから)』と言った。

更に近くの人は言う。『人は死を憎むのであれば、生を愛するべきだ。どうして、生命の喜びを毎日楽しもうとしないのか。愚かな人は、生きる喜びを忘れて、わざわざ苦労して外に楽しみを求め、生きている喜びを忘れて、危険を犯してまで他に楽しみを求める。理想の望みが果てる事はない。生きる事を楽しまないで、死が間近になってから死を怖れる。生きている事を楽しめないのは死を怖れないからだ。いや、死を怖れないのではない、いつも死が接近している事を忘れているだけだ。もし、自分の生死なんかどうでもいいと言うのであれば、真の悟りを得たというべきなのだろう』と。それを聞いて、みんなはいよいよ嘲り笑った。

[古文]

第94段:常磐井相国(ときわいのしょうこく)、出仕し給ひけるに、勅書を持ちたる北面あひ奉りて、馬より下りたるけるを、相国、後に、『北面某(なにがし)は、勅書を持ちながら下馬し侍りし者なり。かほどの者、いかでか、君に仕うまつり候ふべき』と申されければ、北面を放たれにけり。

勅書(ちょくしょ)を、馬の上ながら、捧げて見せ奉るべし、下るべからずとぞ。

[現代語訳]

常磐井相国(西園寺実氏)が朝廷に出仕したところ、上皇の勅書を持った北面の武士が馬に乗って現れ、北面の武士は常磐井相国に出会ってつい馬を下りて挨拶してしまった。相国はその後、上皇に対して、『なにがしとかいう北面の武士は、上皇の勅書を持ちながら下馬致しました。この程度の者に、陛下の大切な勅書を持たされるのはいかがなものでしょうか』と言った。それを聞いた上皇は、その北面の武士を解任してしまった。

天皇・上皇の勅書という尊い文書は、どんな相手であっても馬に乗ったままで、捧げ奉るべきものである。勅書を持つ者は、決して馬を下りてはならないとされている。

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[古文]

第95段:『箱のくりかたに緒を付くる事、いづかたに付け侍るべきぞ』と、ある有職の人に尋ね申し侍りしかば、『軸に付け、表紙に付くる事、両説なれば、いずれも難なし。文の箱は、多くは右に付く。手箱には、軸に付くるも常の事なり』と仰せられき。

[現代語訳]

『箱についている紐を通す環(鉄のわっか)に紐をつける時には、結び目をどちらにつくるべきですか?』と、(宮中の作法・儀礼・行事に詳しい)ある有職の人に尋ねてみた。『本体でも、蓋でも、結び目はどちらにつくっても良いとされている。文書を送る箱であれば、多くは結び目を右(上)にする。日常的に使う小箱なら結び目は左(下)というのが普通である』とおっしゃられた。

[古文]

第96段:めなもみといふ草あり。くちばみに螫(さ)されたる人、かの草を揉みて付けぬれば、即ち癒ゆとなん。見知りて置くべし。

[現代語訳]

めなもみという薬草がある。マムシに噛まれた人は、その草を揉んでつければすぐに治るという。どんな草なのか、見て知っておいたほうが良い。

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