兼好法師(吉田兼好)が鎌倉時代末期(14世紀前半)に書いた『徒然草(つれづれぐさ)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載して、簡単な解説を付け加えていきます。吉田兼好の生没年は定かではなく、概ね弘安6年(1283年)頃~文和元年/正平7年(1352年)頃ではないかと諸文献から推測されています。
『徒然草』は日本文学を代表する随筆集(エッセイ)であり、さまざまなテーマについて兼好法師の自由闊達な思索・述懐・感慨が加えられています。万物は留まることなく移りゆくという仏教的な無常観を前提とした『隠者文学・隠棲文学』の一つとされています。『徒然草』の97段~100段が、このページによって解説されています。
参考文献
西尾実・安良岡康作『新訂 徒然草』(岩波文庫),『徒然草』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),三木紀人『徒然草 1~4』(講談社学術文庫)
[古文]
第97段:その物に付きて、その物をつひやし損ふ物、数を知らずあり。身に虱(しらみ)あり。家に鼠あり。国に賊あり。小人に財(ざい)あり。君子に仁義あり。僧に法あり。
[現代語訳]
その物に取り付いて、消耗させ害を与えるようなものは数多くある。身体に取り付く虱がある。家に住み着く鼠がある。国に暗躍する賊がいる。小人は財を求めて自滅する。君子は仁義を求めて苦悩する。僧侶は仏法にこだわって煩悩を抱く。
[古文]
第98段:尊きひじりの言ひ置きける事を書き付けて、一言芳談(いちごんほうだん)とかや名づけたる草子を見侍りしに、心に合ひて覚えし事ども。
一、 しやせまし、せずやあらましと思ふ事は、おほようは、せぬはよきなり。
一、 後世を思はん者は、糂汰瓶(じんだがめ)一つも持つまじきことなり。持経・本尊に至るまで、よき物を持つ、よしなき事なり。
一、 遁世者は、なきにことかけぬやうを計ひて過ぐる、最上のやうにてあるなり。
一、 上臈(じょうろう)は下臈(げろう)に成り、智者は愚者に成り、徳人は貧に成り、能ある人は無能に成るべきなり。
一、 仏道を願ふといふは、別の事なし。暇ある身になりて、世の事を心にかけぬを、第一の道とす。
この外もありし事ども、覚えず。
[現代語訳]
尊い僧侶(聖)が言い残した言葉を集めた『一言芳談』とかいう本を見つけたので、心に残って覚えた言葉を書き留めておこう。
一、するかしないか、しないのもいいかなと思う事なら、大体しないほうが良い。(明禅法印の言葉)
一、後世のことを考えるなら、糠味噌を入れる瓶の一つすらも持ってはいけない。お経や仏像に至るまで、良いものを持っている理由など無い。(俊乗房の言葉)
一、遁世者は、何も無い事を欠かさないように過ごす、何も無いのが最上である。(解脱上人の言葉)
一、身分の高い貴族は下郎になり、賢者は愚者となり、長者は貧者になり、能ある人は無能になるというのが煩悩が無くなって望ましい。(聖光上人の言葉)
一、仏の道は特別なものではない、暇人になって、世間の雑事を気に掛けないというのが第一の道である。(松蔭の顕性房の言葉)
その他にも色々書いてあったが、覚えなかった。
[古文]
第99段:堀川相国は、美男のたのしき人にて、そのこととなく過差を好み給ひけり。御子(おんこ)基俊卿(もととしのきょう)を大理になして、庁務行はれけるに、庁屋の唐櫃(からひつ)見苦しとて、めでたく作り改めらるべき由仰せられけるに、この唐櫃は、上古より伝はりて、その始めを知らず、数百年を経たり。累代の公物、古弊(こへい)をもちて規模とす。たやすく改められ難き由、故実の諸官等申しければ、その事止みにけり。
[現代語訳]
堀川相国(久我基具)は、美男で楽しい人物であったが、過度の贅沢を好む性格であった。自分の息子を検非違使庁の長官にして、庁務を司らせたが、庁舎にある唐櫃(中国風の収納箱)が古くて見苦しいと、新調することを命じた。だが、この唐櫃は、古代から伝わっていて、いつ持ってこられたのかも分からず、数百年の年月を経た貴重な物である。代々伝えられた公共の物品で、古くなって破損していることにかえって価値がある。簡単に廃棄することなど出来ないと言う昔の出来事(故実)に詳しい役人の意見を聞いて、その事は止めにした。
[古文]
第100段:久我相国は、殿上にて水を召しけるに、主殿司(とのもづかさ)、土器(かわらけ)を奉りければ、『まがりを参らせよ』とて、まがりしてぞ召しける。
[現代語訳]
久我相国が、宮中の殿上で水を所望すると、女官が土器に水を入れて差し上げました。相国は『まがりの器に入れて持ってきなさい』と言って、まがりの器で水をお飲みになった。※まがりの器が具体的にどんなものを指すのかは不詳である。
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