『徒然草』の149段~152段の現代語訳

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兼好法師(吉田兼好)が鎌倉時代末期(14世紀前半)に書いた『徒然草(つれづれぐさ)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載して、簡単な解説を付け加えていきます。吉田兼好の生没年は定かではなく、概ね弘安6年(1283年)頃~文和元年/正平7年(1352年)頃ではないかと諸文献から推測されています。

『徒然草』は日本文学を代表する随筆集(エッセイ)であり、さまざまなテーマについて兼好法師の自由闊達な思索・述懐・感慨が加えられています。万物は留まることなく移りゆくという仏教的な無常観を前提とした『隠者文学・隠棲文学』の一つとされています。『徒然草』の149段~152段が、このページによって解説されています。

参考文献
西尾実・安良岡康作『新訂 徒然草』(岩波文庫),『徒然草』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),三木紀人『徒然草 1~4』(講談社学術文庫)

[古文]

第149段:鹿茸を鼻に当てて嗅ぐべからず。小さき虫ありて、鼻より入りて、脳を食むと言へり。

[現代語訳]

鹿の角に鼻を当てて匂いを嗅いではいけない。小さい虫がいて、鼻の穴から入って、脳を食べてしまうと言われている。

[古文]

第150段:能をつかんとする人、『よくせざらんほどは、なまじひに人に知られじ。うちうちよく習ひ得て、さし出でたらんこそ、いと心にくからめ』と常に言ふめれど、かく言ふ人、一芸も習ひ得ることなし。

未だ堅固かたほなるより、上手の中に交りて、毀り笑はるるにも恥ぢず、つれなく過ぎて嗜む人、天性、その骨なけれども、道になづまず、濫りにせずして、年を送れば、堪能の嗜まざるよりは、終に上手の位に至り、徳たけ、人に許されて、双なき名を得る事なり。

天下のものの上手といへども、始めは、不堪(ふかん)の聞えもあり、無下の瑕瑾(かきん)もありき。されども、その人、道の掟正しく、これを重くして、放埒せざれば、世の博士にて、万人の師となる事、諸道変るべからず。

[現代語訳]

芸能を習得しようとする人は、『上手くできないうちは、できるだけ人に知られないようにして、こっそり練習して上手くできるようになってから、人前に出ることが恥ずかしくない』といつも言うものだが、このように言う人は、一芸といえども習得することはできない。

まだ一向に技芸も知らないうちから、上手な先達の中に交じって、怒られようが笑われようが恥じる事もなく、平気で過ごして修練に励める者だけが芸を習得する。天性の才能・素質なんかなくても、芸能において停滞せず、自分勝手なやり方をせずに、修練の年月を過ごせば、器用で天性の才能に恵まれている人よりも、遂に技芸が上手な域に達して、人徳も高まり人から認められるようになり、並びなき名声を得ることにもなる。

天下の芸能の名人でも、最初は無能と言われたり、酷く恥ずかしい思いもしているものだ。しかし、名人はその道の教えを守って、これを尊重し無茶をしなかったので、その道の名人となり万人の師匠にもなれたのである。これは、どの道においても変わらないことである。

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[古文]

第151段:或人の云はく、年五十になるまで上手に至らざらん芸をば捨つべきなり。励み習ふべき行末もなし。老人の事をば、人もえ笑はず。衆に交りたるも、あいなく、見ぐるし。大方、万のしわざは止めて、暇あるこそ、めやすく、あらまほしけれ。世俗の事に携はりて生涯を暮すは、下愚の人なり。ゆかしく覚えん事は、学び訊くとも、その趣を知りなば、おぼつかなからずして止むべし。もとより、望むことなくして止まんは、第一の事なり。

[現代語訳]

ある人が言うには、50才になるまでに上手にならない芸などは捨てるべきということだ。その芸に50才以上になって習い励んでも先が無いのだ。老人のすることだから、誰も笑うこともない。老人が若い人たちに交じって練習しても、痛々しいし見苦しいものである。

大体、老人は全ての仕事をやめてゆっくりと過ごしているのが、見栄えが良くて望ましいのである。世俗の事柄にかかわって生涯を暮らすのは、愚かな人のやることである。 知りたいと思うことを学んで聞いたとしても、その概要を知ることができたならば、おぼつかないという程度でやめておいたほうがいい。初めから、老人は望みなどなくしてゆったりとしているのが、第一なのである。

[古文]

第152段:西大寺静然上人(じょうねんしょうにん)、腰屈まり、眉白く、まことに徳たけたる有様にて、内裏へ参られたりけるを、西園寺内大臣殿、『あな尊の気色や』とて、信仰の気色ありければ、資朝卿、これを見て、『年の寄りたるに候ふ』と申されけり。

後日に、尨犬(むくいぬ)のあさましく老いさらぼひて、毛剥げたるを曵かせて、『この気色尊く見えて候ふ』とて、内府へ参らせられたりけるとぞ。

[現代語訳]

西大寺の静然上人は、腰が曲がって、眉が白く、本当に徳の高い御様子であった。静然上人が内裏に参られた時に、西園寺内大臣様が御覧になられて、『あぁ、何と尊い様子だろうか』といって信仰する様子さえ見せた。資朝卿はこれを見て、『ただの年寄りでしょう』と申された。

後日、惨めに老いぼれて毛も抜けかけたむく犬を引かせて、内大臣の邸に参上した資朝卿は、『この犬の様子が尊く見えるのでございましょうか?』と言ったのである。

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