『徒然草』の193段~196段の現代語訳

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兼好法師(吉田兼好)が鎌倉時代末期(14世紀前半)に書いた『徒然草(つれづれぐさ)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載して、簡単な解説を付け加えていきます。吉田兼好の生没年は定かではなく、概ね弘安6年(1283年)頃~文和元年/正平7年(1352年)頃ではないかと諸文献から推測されています。

『徒然草』は日本文学を代表する随筆集(エッセイ)であり、さまざまなテーマについて兼好法師の自由闊達な思索・述懐・感慨が加えられています。万物は留まることなく移りゆくという仏教的な無常観を前提とした『隠者文学・隠棲文学』の一つとされています。『徒然草』の193段~196段が、このページによって解説されています。

参考文献
西尾実・安良岡康作『新訂 徒然草』(岩波文庫),『徒然草』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),三木紀人『徒然草 1~4』(講談社学術文庫)

[古文]

第193段:くらき人の、人を測りて、その智を知れりと思はん、さらに当るべからず。

拙き人の、碁打つ事ばかりにさとく、巧みなるは、賢き人の、この芸におろかなるを見て、己れが智に及ばずと定めて、万の道の匠、我が道を人の知らざるを見て、己れすぐれたりと思はん事、大きなる誤りなるべし。文字の法師、暗証の禅師、互ひに測りて、己れに如かずと思へる、共に当らず。

己れが境界にあらざるものをば、争ふべからず、是非すべからず。

[現代語訳]

知力のない暗愚な人が他人を推測して、その知性を評価しても、まったく当たるはずがない。知力の乏しい人が自分が碁を巧みに打てるからといって、碁の技芸には劣っている賢い人を見て、こいつは自分よりも知力が劣っていると決め付ける。それぞれの道に通じた専門家(職人)が、他人が自分の専門分野のことを知らないのを見て、自分のほうが優れていると思い込むのは大きな誤りである。経典・文字を専門とする法師、座禅・瞑想に通じた禅師が、お互いに相手の知力を推測して、自分には及ばないと思ったりもするが、これは共に間違っている。

自分の範疇(専門)にないものに対して、争ってはいけないし、是非善悪を論じても仕方が無いのである。

[古文]

第194段:達人の、人を見る眼は、少しも誤る所あるべからず。

例へば、或人の、世に虚言を構へ出して、人を謀る事あらんに、素直に、実と思ひて、言ふままに謀らるる人あり。余りに深く信を起して、なほ煩はしく、虚言を心得添ふる人あり。また、何としも思はで、心をつけぬ人あり。また、いささかおぼつかなく覚えて、頼むにもあらず、頼まずもあらで、案じゐたる人あり。また、実しくは覚えねども、人の言ふ事なれば、さもあらんとて止みぬる人もあり。また、さまざまに推し、心得たるよしして、賢げにうちうなづき、ほほ笑みてゐたれど、つやつや知らぬ人あり。また、推し出して、「あはれ、さるめり」と思ひながら、なほ、誤りもこそあれと怪しむ人あり。また、「異なるやうもなかりけり」と、手を拍ちて笑ふ人あり。また、心得たれども、知れりとも言はず、おぼつかなからぬは、とかくの事なく、知らぬ人と同じやうにて過ぐる人あり。また、この虚言の本意を、初めより心得て、少しもあざむかず、構へ出したる人と同じ心になりて、力を合はする人あり。

愚者の中の戯れだに、知りたる人の前にては、このさまざまの得たる所、詞にても、顔にても、隠れなく知られぬべし。まして、明らかならん人の、惑へる我等を見んこと、掌の上の物を見んが如し。但し、かやうの推し測りにて、仏法までをなずらへ言ふべきにはあらず。

[現代語訳]

物事の道理を知った達人の人間性を見る目には、少しも誤りがない。

例えば、ある人が、世間に陰謀を企てて、人をだまそうとすると、素直に本当だと信じて言うがままにだまされる人もあれば、余りに深く信じ過ぎて、更に煩わしくも虚言に自分の印象を付け加えてしまう者もある。また、何とも思わないで、虚言を心にもかけない人もいる。また、何でもない下らない話だと思っても、信じるでもなく信じないでもなくで思い悩む人もいる。

また、本当だとは思えないけれど、人の言う事であればそんなこともあるのかなと、そこで考えを止めてしまう人もいる。また、さまざまな推測をして心得たような振りをして、賢そうにうなづきつつ微笑んでいるが、はっきりとは知らない人もいる。また、虚言を推し測って、『あら、そうなのか』と嘘の真相に気づきながらも、自分に誤りがあるかもしれないと疑う人もいる。

また、事が終わってしまった後で、『特にいつもと異なる様子もなかった』と、手を打って笑うような人もいる。また、虚言だと分かってはいてもそれを知ってるとも言わずに、事実がはっきりしない間は、知らない人と同じようにして静かに過ごす人もいる。また、この虚言の本意を初めから心得ていて、真剣に陰謀の首謀者と同じ気持ちになって力を合わせる協力者もいる。

こんな愚か者の戯れですら、物事を良く知った達人の前では、言葉から顔色から全てが隠すこともできずに知られてしまう。こういった達人が、判断に迷っている我等を見る目は、手のひらに載せた物を見るようなものである。ただし、達人であろうとも、このような推測だけで仏法までも虚言と見なしてしまうべきではないだろう(仏法には、衆生救済・解脱を目指すために嘘も方便ということがあるのだから)

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[古文]

第195段:或人、久我縄手(こがなわて)を通りけるに、小袖(こそで)に大口着たる人、木造りの地蔵を田の中の水におし浸して、ねんごろに洗ひけり。心得難く見るほどに、狩衣(かりぎぬ)の男二三人出で来て、「ここにおはしましけり」とて、この人を具して去にけり。久我内大臣殿(こがのないだいじんどの)にてぞおはしける。

尋常におはしましける時は、神妙に、やんごとなき人にておはしけり。

[現代語訳]

ある人が久我縄手の通りを歩いていると、小袖に大口という下着姿の人が、木製の地蔵を田んぼの水に浸しながら丁寧に洗っていた。何をしているのかと不審に思って見ているうちに、貴族の着る狩衣を着た男が二、三人出て来て、『ここにおられましたか』と言うなり、地蔵を洗っていた男を連れて去ってしまった。その人こそ、久我内大臣殿(源通基)でございました。

正気でございました時は、頭もしっかりとしていて身分の高い高貴な方でございましたが。

[古文]

第196段:東大寺の神輿(しんよ)、東寺の若宮より帰座の時、源氏の公卿参られけるに、この殿、大将にて先を追はれけるを、土御門相国(つちみかどのしょうこく)、「社頭にて、警蹕(けいひつ)いかが侍るべからん」と申されければ、「随身(ずいじん)の振舞は、兵杖(ひょうじょう)の家が知る事に候」とばかり答え給ひけり。

さて、後に仰せられけるは、「この相国、北山抄(ほくざんしょう)を見て、西宮の説をこそ知られざりけれ。眷属の悪鬼・悪神恐るる故に、神社にて、殊に先を追ふべき理あり」とぞ仰せられける。

[現代語訳]

初めは奈良・東大寺にあった手向山八幡宮の御神体を、京都・東寺の若宮八幡宮の御神体にしていたが、その神輿を奈良の東大寺にまで帰座させた事があった。この時に、八幡宮を氏神とする源氏の公卿達が神輿の警護を務めたのだが、その大将・源通基は家来に命じて声を出させて貴人でも通るかのように前を行く人達を人払いした。神輿の行列に付き添っていた土御門相国(源定実)が、大将の源通基に『神社の前で、このような威圧的な警護はいかがなものでしょうか』と申し上げたが、通基は『神をお送りする作法というのは、武家の家柄が知るところのものである』と得意そうに答えるだけであった。

後になって源通基(久我内大臣)がおっしゃったのは、『あの人(源定実)は「北山抄」は読んでいたようだが、西宮の説を知らなかったようだ。神輿につきまとう眷属の悪鬼・悪神を恐れるがために、神社であろうとも人を追い払う道理があるのだ』ということだった。

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