『徒然草』の207段~210段の現代語訳

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兼好法師(吉田兼好)が鎌倉時代末期(14世紀前半)に書いた『徒然草(つれづれぐさ)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載して、簡単な解説を付け加えていきます。吉田兼好の生没年は定かではなく、概ね弘安6年(1283年)頃~文和元年/正平7年(1352年)頃ではないかと諸文献から推測されています。

『徒然草』は日本文学を代表する随筆集(エッセイ)であり、さまざまなテーマについて兼好法師の自由闊達な思索・述懐・感慨が加えられています。万物は留まることなく移りゆくという仏教的な無常観を前提とした『隠者文学・隠棲文学』の一つとされています。『徒然草』の207段~210段が、このページによって解説されています。

参考文献
西尾実・安良岡康作『新訂 徒然草』(岩波文庫),『徒然草』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),三木紀人『徒然草 1~4』(講談社学術文庫)

[古文]

第207段:亀山殿建てられんとて地を引かれけるに、大きなる蛇(くちなわ)、数も知らず凝り集りたる塚ありけり。「この所の神なり」と言ひて、事の由を申しければ、「いかがあるべき」と勅問ありけるに、「古くよりこの地を占めたる物ならば、さうなく掘り捨てられ難し」と皆人申されけるに、この大臣、一人、「王土にをらん虫、皇居を建てられんに、何の祟りをかなすべき。鬼神はよこしまなし。咎むべからず。ただ、皆掘り捨つべし」と申されたりければ、塚を崩して、蛇をば大井河に流してげり。

さらに祟りなかりけり。

[現代語訳]

亀山殿の屋敷を建設しようとして、土地の地ならしをしていると、大きな蛇が数も数えられないほど沢山寄り集っている塚が見つかった。建設担当の役人は『この蛇は、この土地の神である』と言って工事を中止し、その蛇塚が出てきた状況を後嵯峨院に伝えると、反対に院から『どうしたほうが良いのか』と勅問をされてしまった。

『古くからこの地にいる蛇神ですから、そう簡単には掘り捨てられないでしょう』とみんなが申し上げた。だが、亀山殿の建設責任者である大臣(徳大寺実基)ひとりだけが反対して、『陛下が支配する王土に住んでいる蛇が、どうして皇居を建てているのに祟りを起こすだろうか、いや起こすはずもない。鬼神は邪心を持たず、建設を中断すべきではない。ただみんなで蛇を掘り出して川に流せば良い』と申し上げた。大臣がそう言うので、蛇塚を崩して大量の蛇を大井川に流してしまった。

蛇を川に流したにも関わらず、(大臣の言うとおり)祟りなどは全くなかった。

[古文]

第208段:経文などの紐を結ふに、上下よりたすきに交へて、二筋の中よりわなの頭を横様に引き出す事は、常の事なり。さやうにしたるをば、華厳院弘舜僧正、解きて直させけり。「これは、この比様(このごろよう)の事なり。いとにくし。うるはしくは、ただ、くるくると巻きて、上より下へ、わなの先を挟むべし」と申されけり。

古き人にて、かやうの事知れる人になん侍りける。

[現代語訳]

仏教のお経など巻物の紐を結ぶのに、上から下へとたすきに交えて二筋の中から、紐の先を横向きに引き出すのは通常よく行われていることだ。ある巻物を、そういう風にして華厳院弘舜僧正が解いて直させた。『この結び方は今風過ぎるので、(伝統が感じられず)相当に醜い。麗しい結び方とは、ただくるくると巻いて、最後に上の紐の先を下に通せば良いだけなのだ』と僧正はおっしゃる。

僧正は古い人であり、(大勢の人が忘れている)こんな事を知っているのである。

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[古文]

第209段:人の田を論ずる者、訴へに負けて、ねたさに、「その田を刈りて取れ」とて、人を遣しける(つかわしける)に、先づ、道すがらの田をさえ刈りもて行くを、「これは論じ給ふ所にあらず。いかにかくは」と言ひければ、刈る者ども、「その所とても刈るべき理なけれども、僻事(ひがごと)せんとて罷る者なれば、いづくをか刈らざらん」とぞ言ひける。

理、いとをかしかりけり。

[現代語訳]

他人の田の所有権を巡って、訴えを起こし負けた者がいた。その残念さと妬ましさで、『その田の稲を刈り取って来い』と、配下の男達に命令した。命じられた男達は、まず通り道にある他の田んぼの稲も刈り取って行く。その横暴を見た百姓達が、『ここは訴訟になっている場所ではないぞ。どうしてこんな事をするのだ』と反論して止めようとしたが、勝手に稲を刈っている男達は、『目指している田んぼの稲だって勝手に刈り取って良いなどという理由はないだろう。これから悪事をしようとして参る者なら、どこだって刈り取っていくものさ』と言う。

こういった理屈は、とても面白い。※この段の逸話は、鎌倉時代末期の地方武士(地侍・国人)の勢力が時に行った『刈田狼藉(かりたろうぜき)』に関するものであり、半農半士の武装勢力が強引に他人の田んぼの稲を刈り取る乱暴を働くことがあったのである。

[古文]

第210段:「喚子鳥(よぶこどり)は春のものなり」とばかり言ひて、如何なる鳥ともさだかに記せる物なし。或真言書の中に、喚子鳥鳴く時、招魂の法をば行ふ次第あり。これは鵺(ぬえ)なり。万葉集の長歌に、「霞立つ、長き春日の」など続けたり。鵺鳥も喚子鳥のことざまに通いて聞ゆ。

[現代語訳]

『喚子鳥とは春の鳥である』とは言うのだが、どのような鳥であるかについて明確に記した書物はない。ある真言宗の書の中に、喚子鳥が鳴く時に『招魂の法』という秘儀を行う方法が書いてあるが、これは鵺という鳥である。万葉集の長歌に、『霞立つ、長き春日の』などと続けてたりしているので、鵺鳥も喚子鳥の様子に似通って見える鳥なのだと思われる。※現在では、喚子鳥はカッコウのこと、鵺はトラツグミのことだと考えられている。

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