『源氏物語』の現代語訳:帚木8

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紫式部が平安時代中期(10世紀末頃)に書いた『源氏物語(げんじものがたり)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。『源氏物語』は大勢の女性と逢瀬を重ねた貴族・光源氏を主人公に据え、平安王朝の宮廷内部における恋愛と栄華、文化、無常を情感豊かに書いた長編小説(全54帖)です。『源氏物語』の文章は、光源氏と紫の上に仕えた女房が『問わず語り』したものを、別の若い女房が記述編纂したという建前で書かれており、日本初の本格的な女流文学でもあります。

『源氏物語』の主役である光源氏は、嵯峨源氏の正一位河原左大臣・源融(みなもとのとおる)をモデルにしたとする説が有力であり、紫式部が書いた虚構(フィクション)の長編恋愛小説ですが、その内容には一条天皇の時代の宮廷事情が改変されて反映されている可能性が指摘されます。紫式部は一条天皇の皇后である中宮彰子(藤原道長の長女)に女房兼家庭教師として仕えたこと、『枕草子』の作者である清少納言と不仲であったらしいことが伝えられています。『源氏物語』の“中将、『なにがしは、痴者の物語をせむ』とて~”が、このページによって解説されています。

参考文献
『源氏物語』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),玉上琢弥『源氏物語 全10巻』(角川ソフィア文庫),与謝野晶子『全訳・源氏物語 1~5』(角川文庫)

[古文・原文]

中将、『なにがしは、痴者の物語をせむ』とて、『いと忍びて見そめたりし人の、さても見つべかりしけはひなりしかば、ながらふべきものとしも思ひ給へざりしかど、馴れゆくままに、あはれとおぼえしかば、絶え絶え忘れぬものに思ひ給へしを、さばかりになれば、うち頼めるけしきも見えき。頼むにつけては、恨めしと思ふこともあらむと、心ながらおぼゆるをりをりも侍りしを、見知らぬやうにて、久しきとだえをも、かうたまさかなる人とも思ひたらず、ただ朝夕にもてつけたらむありさまに見えて、心苦しかりしかば、頼めわたることなどもありきかし。

親もなく、いと心細げにて、さらばこの人こそはと、事にふれて思へるさまもらうたげなりき。かうのどけきにおだしくて、久しくまからざりしころ、この見給ふるわたりより、情けなくうたてあることをなむ、さるたよりありてかすめ言はせたりける、後にこそ聞きはべりしか。

さる憂きことやあらむとも知らず、心には忘れずながら、消息などもせで久しく侍りしに、むげに思ひしをれて心細かりければ、幼き者などもありしに思ひわづらひて、撫子の花を折りておこせたりし』とて涙ぐみたり。

『さて、その文の言葉は』と問ひ給へば、『いさや、ことなることもなかりきや。「山がつの 垣ほ荒るとも 折々に あはれはかけよ 撫子の露」

[現代語訳]

中将が、『私は、馬鹿な体験談をお話しましょう』と言い、『非常にこっそり通い始めた女で、そうした関係を長く続けても良さそうな様子だったので、長続きのする関係とは思えなかったのですが、馴れ親むにつれて、愛しい女のように思われましたので、通うのが途絶えがちになりながらも忘れられない女と感じていました。それほど深い仲になってくると、相手も私を頼りにしている様子に見えました。頼りにする男という風に見ると、恨めしく思っていることもあるだろうと、我ながら思われるところもございましたが、女は気に掛けない様子を見せて、暫く通っていないのに、そういうたまにしかやってこない男とは思わないで、ただ朝夕、いつも気に掛けているという態度に見えて、いじらしく思えたのです。なのでその女に、ずっと自分を頼りにしているようにと言ったこともありました。

親もなくて、とても心細い様子であり、それならばこの人だけを愛そうと、何かにつけて自分を頼りにしている様子もいじらしいものがありました。このようにおっとりして親しみがあることに安心して、長い間、通わずにいたところ、私の妻の近くにある人が、思いやりのないひどいことをその女に対して言っていたと、後になってあるツテからそれとなく聞きました。

そのような辛い思いをさせていたとは知らず、心中では忘れていないとはいうものの、便りなども出さずに長い間いたのでした。すっかり将来を悲観して不安な様子であり、私とその女の間には幼い子供もいたことで思い悩み、撫子(なでしこ)の花を折って送って寄こしたのです。』と言って涙ぐんでいる。

『それで、その手紙には何と』とお尋ねすると、『いや、特別なことはありませんでした。「山家の垣根は荒れていても、時々はかわいがってやってくださいね、撫子の花を」

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[古文・原文]

思ひ出でしままにまかりたりしかば、例のうらもなきものから、いと物思ひ顔にて、荒れたる家の露しげきを眺めて、虫の音に競へるけしき、昔物語めきておぼえはべりし。

『咲きまじる 色はいづれと 分かねども なほ常夏に しくものぞなき』大和撫子をばさしおきて、 まづ『塵をだに』など、親の心をとる。『うち払ふ 袖も露けき 常夏に あらし吹きそふ 秋も来にけり』

とはかなげに言ひなして、まめまめしく恨みたるさまも見えず。涙をもらし落としても、いと恥づかしくつつましげに紛らはし隠して、つらきをも思ひ知りけりと見えむは、わりなく苦しきものと思ひたりしかば、心やすくて、またとだえ置き侍りしほどに、跡もなくこそかき消ちて失せにしか。

[現代語訳]

思い出したままに行きましたところ、いつものように何も考えていないようでいて、とても物思いをしている様子で、荒れた家が露でしっとりと濡れているのを眺めて、虫の鳴く音と競い合うように泣いている様子は、昔物語めいて感じられました。

『庭に色々と咲いている花は、いずれも美しいものだが、やはり常夏の花が一番美しく思われます。』 大和撫子のことはさておき、まず『せめても塵だけは払っておこう』などと、親の機嫌をとっています。『床に積もる塵を払う袖が涙に濡れている常夏、さらに激しい風が吹きつける秋がやってきました。』

とさりげなく言いつくろって、本気で恨んでいるようには見えません。涙を落としていても、とても恥ずかしそうに遠慮して取り繕い、その泣いている姿を隠しています。薄情な相手を恨めしく思っていることを知られるのが、とても我慢できないことのように思っていたので、気楽に構えて、またその女の元に通わずにいましたところ、跡形もなく女は姿を晦ましてしまったのでした。

[古文・原文]

まだ世にあらば、はかなき世にぞさすらふらむ。あはれと思ひしほどに、わづらはしげに思ひまとはすけしき見えましかば、かくもあくがらさざらまし。こよなきとだえおかず、さるものにしなして長く見るやうもはべりなまし。かの撫子のらうたくはべりしかば、いかで尋ねむと思ひ給ふるを、今もえこそ聞きつけ侍らね。

これこそのたまへるはかなき例なめれ。つれなくてつらしと思ひけるも知らで、あはれ絶えざりしも、益なき片思ひなりけり。今やうやう忘れゆく際に、かれはたえしも思ひ離れず、折々人やりならぬ胸焦がるる夕べもあらむとおぼえはべり。これなむ、え保つまじく頼もしげなき方なりける。

されば、かのさがな者も、思ひ出である方に忘れがたけれど、さしあたりて見むにはわづらはしくよ、よくせずは、飽きたきこともありなむや。琴の音すすめけむかどかどしさも、好きたる罪重かるべし。この心もとなきも、疑ひ添ふべければ、いづれとつひに思ひ定めずなりぬるこそ。世の中や、ただかくこそ。とりどりに比べ苦しかるべき。このさまざまのよき限りをとり具し、難ずべきくさはひまぜぬ人は、いづこにかはあらむ。吉祥天女を思ひかけむとすれば、法気づき、くすしからむこそ、また、わびしかりぬべけれ』とて、皆笑ひぬ。

[現代語訳]

まだ生きていれば、みじめな恵まれない生活をしていることでしょう。愛しいと思っていました時、うるさいくらいにまとわりついてくる様子を見せてくれたならば、こういう風に行方が分からなくなるような事にはさせなかったのですが。こんなに長く途絶えはせずに、通い妻の一人として末永く関係を保つこともあったでしょうに。あの撫子は可愛く思っていたので、何とかして捜し出したいと思っていますが、今だにその行方を知ることはできません。

これがおっしゃられていた頼りない女の例です。相手が平気を装いながら辛いと思っていることを知らず、愛し続けていたのは無益な片思いに過ぎませんでした。今は少しずつ忘れかけているのですが、あの女は女でまだ私を忘れられず、時折、自分のために胸を焦がしている夕べもあるだろうと思います。この女は、永続きしそうにはない頼りのない例でしたよ。

だから、あの嫉妬深い女も、思い出す女としては忘れ難いのだけれど、実際に結婚生活を続けていくには煩わしいものです。悪くすれば、その嫉妬深さが嫌になることもありましょう。琴の才能に優れていた女も、浮気をしやすいという欠点は深刻です。この頼りない女も、疑いが出てきますから、どちらが良いとは結局、決定しがたいものですね。男女の仲は、ただこのようなものなのでしょう。それぞれ優劣をつけるのは難しいことです。それぞれの良いところばかりを身に備え、非難されるところを持たないような女は、一体どこにいるのでしょうか。吉祥天女に思いをかけようとすれば抹香臭くなるし、人間離れしている人もまた面白くないですからね。』と言って、皆で笑った。

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