『源氏物語』の現代語訳:帚木12

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紫式部が平安時代中期(10世紀末頃)に書いた『源氏物語(げんじものがたり)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。『源氏物語』は大勢の女性と逢瀬を重ねた貴族・光源氏を主人公に据え、平安王朝の宮廷内部における恋愛と栄華、文化、無常を情感豊かに書いた長編小説(全54帖)です。『源氏物語』の文章は、光源氏と紫の上に仕えた女房が『問わず語り』したものを、別の若い女房が記述編纂したという建前で書かれており、日本初の本格的な女流文学でもあります。

『源氏物語』の主役である光源氏は、嵯峨源氏の正一位河原左大臣・源融(みなもとのとおる)をモデルにしたとする説が有力であり、紫式部が書いた虚構(フィクション)の長編恋愛小説ですが、その内容には一条天皇の時代の宮廷事情が改変されて反映されている可能性が指摘されます。紫式部は一条天皇の皇后である中宮彰子(藤原道長の長女)に女房兼家庭教師として仕えたこと、『枕草子』の作者である清少納言と不仲であったらしいことが伝えられています。『源氏物語』の“君は、とけても寝られたまはず、いたづら臥しと思さるるに御目覚めて~”が、このページによって解説されています。

参考文献
『源氏物語』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),玉上琢弥『源氏物語 全10巻』(角川ソフィア文庫),与謝野晶子『全訳・源氏物語 1~5』(角川文庫)

[古文・原文]

君は、とけても寝られ給はず、いたづら臥しと思さるるに御目覚めて、この北の障子のあなたに人のけはひするを、『こなたや、かくいふ人の隠れたる方ならむ、あはれや』と御心とどめて、やをら起きて立ち聞き給へば、ありつる子の声にて、『ものけ給はる。いづくにおはしますぞ』と、かれたる声のをかしきにて言へば、

『ここにぞ臥したる。客人は寝給ひぬるか。いかに近からむと思ひつるを、されど、け遠かりけり』と言ふ。寝たりける声のしどけなき、いとよく似通ひたれば、いもうとと聞き給ひつ。『廂にぞ大殿籠もりぬる。音に聞きつる御ありさまを見たてまつりつる、げにこそめでたかりけれ』と、みそかに言ふ。『昼ならましかば、覗きて見たてまつりてまし』

とねぶたげに言ひて、顔ひき入れつる声す。『ねたう、心とどめても問ひ聞けかし』とあぢきなく思す。『まろは端に寝はべらむ。あなくるし』とて、灯かかげなどすべし。女君は、ただこの障子口筋交ひたるほどにぞ臥したるべき。『中将の君はいづくにぞ。人げ遠き心地して、もの恐ろし』

と言ふなれば、長押の下に、人びと臥して答へすなり。『下に湯におりて。「ただ今参らむ」とはべる』と言ふ。

[現代語訳]

源氏君は、気を落ち着けてゆっくり眠ることもできず、寂しい一人寝だと思われると目も冴えてしまい、この北の襖障子の向こう側に人のいる様子がするので、『ここが話に出ていた女が隠れている所なのだろうか、かわいそうな』とご関心を持たれて、静かに起き上がって立ち聞きをされると、先ほどの子供の声で、『もしもし。どこにいらっしゃいますか』と掠れたような声で、可愛らしく言うと、

『私はここで休んでいます。お客様はもうお休みになりましたか。あなたとどんなに近くに寝ることになるだろうかと心配してましたが、でも、遠そうですね』と言う。寝ていた声で、取り繕っていない声がとてもよく似ていたので、その姉なのだなと思いながらお聞きになられた。『廂の間にお寝みになりましたよ。噂に聞いていたお姿を拝見しましたが、噂通り、ご立派な様子でしたよ』と、ひそひそ声で語っている。『昼間だったら、覗いてお姿を拝見できるのに』

と眠そうに言って、顔を衾(布団)に引き入れた声がする。『惜しいことよ、気を入れてもっと相手の話を聞いていればいいのに』と源氏は残念にお思いになる。『私は、端のほうで寝ましょう。ああ、疲れた』と言って、灯心を引き出したりしているのだろう。女君はちょうどこの襖障子口の斜め向こう側に臥しているのだろう。『中将の君はどこですか。誰もいないような感じがして、何となく恐いのです』

と言っている。すると、長押の下の方で女房たちは臥したまま答えているようだ。『下屋に、お湯を使いに下りていますが。「すぐに参ります」とのことでございます』と答える。

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[古文・原文]

皆静まりたるけはひなれば、掛金を試みに引きあけ給へれば、あなたよりは鎖さざりけり。几帳を障子口には立てて、灯はほの暗きに、見給へば唐櫃だつ物どもを置きたれば、乱りがはしき中を、分け入り給へれば、ただ一人いとささやかにて臥したり。なまわづらはしけれど、上なる衣押しやるまで、求めつる人と思へり。

『中将召しつればなむ。人知れぬ思ひの、しるしある心地して』とのたまふを、ともかくも思ひ分かれず、物に襲はるる心地して、『や』とおびゆれど、顔に衣のさはりて、音にも立てず。『うちつけに、深からぬ心のほどと 見給ふらむ、ことわりなれど、年ごろ思ひわたる心のうちも、聞こえ知らせむとてなむ。かかるをりを待ち出でたるも、さらに浅くはあらじと、思ひなし給へ』

と、いとやはらかにのたまひて、鬼神も荒だつまじきけはひなれば、はしたなく、『ここに、人』とも、えののしらず。心地はた、わびしく、あるまじきことと思へば、あさましく、『人違へにこそはべるめれ』と言ふも息の下なり。

消えまどへる気色、いと心苦しくらうたげなれば、をかしと見給ひて、『違ふべくもあらぬ心のしるべを、 思はずにもおぼめい給ふかな。好きがましきさまには、よに見えたてまつらじ。思ふことすこし聞こゆべきぞ』とて、いと小さやかなれば、かき抱きて障子のもと出で給ふにぞ、求めつる中将だつ人来あひたる。

[現代語訳]

皆は寝静まった様子なので、掛金を試しに開けて御覧になると、向こう側からは扉を閉めるための鎖をしてないのであった。几帳を襖障子口に立てており、灯火はほの暗いのだが、御覧になってみると唐櫃のような物どもを置いてあり、その調度品でごちゃごちゃとしている中を、掻き分けて入ってお行きになると、ただ一人だけでとても小柄な感じでお休みになっている者がいた。何となく煩わしいと感じたが、源氏が上に掛けてある衣を押しのけるまで、女のほうは先ほど話していた女房が来たのだと思い込んでいた。

『あなたが中将をお呼びになられていたので。人知れずあなたをお慕い申し上げており、その思いが通じたような気もして』とおっしゃるのを、すぐにはどういう事情かも女は分からず、魔物にでも襲われたような気がして、『きゃっ』と脅えたのだが、顔に夜着の衣が触れて声にならない。『突然のことであり一時の軽薄な出来心・戯れとお思いになられるのも、ごもっともなことですが、長年あなたを慕っておりました私の気持ちを、どうか聞いていただきたいと思いまして。このような機会を待ち受けていたのであり、決していい加減な浅い気持ちからこのような事をしているのではないのです。深い前世からの因縁であると、お思いになって下さい』

と、とても優しくおっしゃって、鬼神さえも手荒なことはできないという穏やかな態度なので、荒っぽく『ここに、変な人が来ている』といって大声を出すこともできない。気分は辛いものとなり、こんな事はあってはならない事なのだと思うと、情けなくなってしまい、『お人違いでございましょう』と言うのがやっとである。

消え入らんほどに当惑した様子は、本当にいたいたしくて可憐なもので、素敵な良い女だなと源氏は御覧になられて、『間違えるはずがないこの心の導きを、意外にも理解して下さらずにはぐらかしてしまわれるのですね。好色めいた振る舞いは、決してしませんから。私の気持ちについて少しお伝えしたいのです』と言って、とても小柄な体なので抱き上げて襖障子までお連れになっているところへ、呼んでいた中将らしい女房が来合わせた。

[古文・原文]

『やや』とのたまふに、あやしくて探り寄りたるにぞ、いみじく匂ひみちて、顔にもくゆりかかる心地するに、思ひ寄りぬ。あさましう、こはいかなることぞと思ひまどはるれど、聞こえむ方なし。並々の人ならばこそ、荒らかにも引きかなぐらめ、それだに人のあまた知らむは、いかがあらむ。心も騷ぎて、慕ひ来たれど、動もなくて、奥なる御座に入り給ひぬ。

障子をひきたてて、『暁に御迎へにものせよ』とのたまへば、女は、この人の思ふらむことさへ、死ぬばかりわりなきに、流るるまで汗になりて、いと悩ましげなる、いとほしけれど、例の、いづこより取う出たまふ言の葉にかあらむ、あはれ知らるばかり、情け情けしくのたまひ尽くすべかめれど、なほいとあさましきに、

『現ともおぼえずこそ。数ならぬ身ながらも、思しくたしける御心ばへのほども、いかが浅くは思う給へざらむ。いとかやうなる際は、際とこそはべなれ』とて、かくおし立ち給へるを、深く情けなく憂しと思ひ入りたるさまも、げにいとほしく、心恥づかしきけはひなれば、

『その際々を、まだ知らぬ、初事ぞや。なかなか、おしなべたる列に思ひなし給へるなむうたてありける。おのづから聞き給ふやうもあらむ。あながちなる好き心は、さらにならはぬを。 さるべきにや、げに、かくあはめられたてまつるも、ことわりなる心まどひを、みづからもあやしきまでなむ』など、まめだちてよろづにのたまへど、いとたぐひなき御ありさまの、いよいようちとけきこえむことわびしければ、すくよかに心づきなしとは見えたてまつるとも、さる方の言ふかひなきにて過ぐしてむと思ひて、つれなくのみもてなしたり。人柄のたをやぎたるに、強き心をしひて加へたれば、なよ竹の心地して、さすがに折るべくもあらず。

[現代語訳]

『これ、ちょっと』とおっしゃると、不審に思って手探りで近づいたところ、強い薫物の香が辺り一面に匂っていて、顔にまで匂いかかって来るような感じがするので、状況が分かった。意外なことであり、これはどうしたことかと、うろたえずにはいられないが、何とも言いようがない。普通の男ならば、手荒に引き放すことも出来るだろうが、それでさえ大勢の人が知ったとしたらどうであろうか。胸がどきどきとして、後からついて来たのだが、平然とした様子で奥のご座所にお入りになられた。

襖障子を引いて閉め、『明朝にお迎えに来てください』とおっしゃるので、女はこの女房の中将がどう思うかというのが、死ぬほど耐えられないので、流れ出るほどの汗で全身びっしょりになって、とても悩ましいご様子である。その姿は気の毒であるが、いつものようにどこから出てくる言葉なのだろうか、愛情が伝わるほどに、優しく甘い言葉を尽くして説いているようである。しかし、やはりまことに情けない状況なので、

『(こんな無理を通そうとされることが)現実のこととは思われません。卑しい身の上ですが、私を軽んじて扱って良いというあなたのお気持ちを、深くお恨みしてしまいます。本当に、私のような身分の女には、それなりの身分相応の生き方というものがございまして、あなたのような階層のお方とは違うのです』と言って、このように無体なことを強いているのを、深い思いやりがなくて嫌なことだと思い込んでいるご様子も、なるほど気の毒であり、気後れがするほどに立派な態度なので、

『あなたがおっしゃる身分と身分の違いについてまだ知らないのです。これは初めての経験なのです。逆に、私のことを他の普通の人と同じように思っていらっしゃるのが残念に思うのです。自然と私についてお耳に入っているようなこともあるでしょう。むやみやたらに好色になるような気持ちは、まったく持ち合わせていないのですが。前世からの因縁なのでしょうか、おっしゃるようにこのように軽蔑されてしまうのも。軽蔑されて当然な私の混乱を、自分でも不思議に感じているほどなのです』などと、真面目な顔で色々おっしゃっているが、本当に並ぶもののないご立派な様子で、ますます打ち解けていくことが辛く思われるので、無愛想な気に入らない女だと見られようとして、そうした退屈で面白くない女として押し通そうと思って、ただそっけない対応に終始していた。人柄がおとなしくて穏やかな性質であり、無理に気を張りつめて緊張しているので、しなやかな竹のような感じがして、さすがにたやすくは手折れそうにもないのだ。

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