『源氏物語』の現代語訳:若紫6

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紫式部が平安時代中期(10世紀末頃)に書いた『源氏物語(げんじものがたり)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。『源氏物語』は大勢の女性と逢瀬を重ねた貴族・光源氏を主人公に据え、平安王朝の宮廷内部における恋愛と栄華、文化、無常を情感豊かに書いた長編小説(全54帖)です。『源氏物語』の文章は、光源氏と紫の上に仕えた女房が『問わず語り』したものを、別の若い女房が記述編纂したという建前で書かれており、日本初の本格的な女流文学でもあります。

『源氏物語』の主役である光源氏は、嵯峨源氏の正一位河原左大臣・源融(みなもとのとおる)をモデルにしたとする説が有力であり、紫式部が書いた虚構(フィクション)の長編恋愛小説ですが、その内容には一条天皇の時代の宮廷事情が改変されて反映されている可能性が指摘されます。紫式部は一条天皇の皇后である中宮彰子(藤原道長の長女)に女房兼家庭教師として仕えたこと、『枕草子』の作者である清少納言と不仲であったらしいことが伝えられています。『源氏物語』の“「女ただ一人はべりし。亡せて、この十余年にやなりはべりぬらむ。故大納言~”が、このページによって解説されています。

参考文献
『源氏物語』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),玉上琢弥『源氏物語 全10巻』(角川ソフィア文庫),与謝野晶子『全訳・源氏物語 1~5』(角川文庫)

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[古文・原文]

「女ただ一人はべりし。亡せて、この十余年にやなりはべりぬらむ。故大納言、内裏にたてまつらむなど、かしこういつき侍りしを、その本意のごとくもものし侍らで、過ぎ侍りにしかば、ただこの尼君一人もてあつかひ侍りしほどに、いかなる人のしわざにか、兵部卿宮なむ、忍びて語らひつき給へりけるを、本の北の方、やむごとなくなどして、安からぬこと多くて、明け暮れ物を思ひてなむ、亡くなり侍りにし。物思ひに病づくものと、目に近く見給へし」

など申し給ふ。「さらば、その子なりけり」と思しあはせつ。「親王の御筋にて、かの人にもかよひ聞えたるにや」と、いとどあはれに見まほし。「人のほどもあてにをかしう、なかなかのさかしら心なく、うち語らひて、心のままに教へ生ほし立てて見ばや」と思す。

「いとあはれにものし給ふことかな。それは、とどめ給ふ形見もなきか」と、幼かりつる行方の、なほ確かに知らまほしくて、問ひ給へば、

[現代語訳]

「娘がただ一人ございました。亡くなって、ここ十何年になるでしょうか。故大納言は、内裏に入内させようなどと、とても大切に育てられていましたが、その本願は叶うこともなく、亡くなってしまわれましたので、ただこの尼君が一人でお育てしておりましたが、どんな人がしたことなのでしょうか、兵部卿宮がお忍びで通って来られるようになったのですが、本妻の北の方が、身分の高いお方であり、気の休まらないことが多くて、毎日物思いに沈んでいて、亡くなってしまわれました。物思いから病気になるものだということを、目の前で拝見したのでございます。」などと申し上げた。

「それでは、その人の子だったのだな。」と納得なされた。「親王のお血筋で、あのお方にもつながっておられるのだろうか。」と、ますます魅力的に思われて世話をしたくなった。「人柄も、上品でかわいらしい、中途半端に小ざかしいところもなく、共に暮らして、自分の思い通りに教えて育ててみたいものだ。」とお思いになられる。

「とてもお気の毒なことでいらっしゃいますね。そのお方には、後に遺された形見(人)はいないのですか。」と、幼かった子がどうなったのかを、なおはっきりと知りたくて、お尋ねになると、

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[古文・原文]

「亡くなり侍りしほどにこそ、侍りしか。それも、女にてぞ。それにつけて物思ひのもよほしになむ、齢の末に思ひ給へ嘆き侍るめる」と聞こえ給ふ。「さればよ」と思さる。

「あやしきことなれど、幼き御後見に思すべく、聞こえ給ひてむや。思ふ心ありて、行きかかづらふ方も侍りながら、世に心の染まぬにやあらむ、独り住みにてのみなむ。まだ似げなきほどと常の人に思しなずらへて、はしたなくや」などのたまへば、

「いとうれしかるべき仰せ言なるを、まだむげにいはきなきほどに侍るめれば、たはぶれにても、御覧じがたくや。そもそも、女人は、人にもてなされて大人にもなり給ふものなれば、詳しくはえとり申さず、かの祖母に語らひ侍りて聞こえさせむ」

と、すくよかに言ひて、ものごはきさまし給へれば、若き御心に恥づかしくて、えよくも聞こえ給はず。

[現代語訳]

「お亡くなりになる頃に、生まれました。それも、女の子でした。それにしても、お悩みの原因として、寿命も短くなってきた末の年に、思い悩んでおられました。」と申し上げた。「やはりそうだったか。」とお思いになる。

「おかしな話ですが、その幼い少女の後見人だと思って下さるように、お話をしていただけませんか。思うところがあって、通って関わりのある人もいますが、本当に心が染まってしまうほどの相手でもなく、独り暮らしばかりをしているのです。まだ不似合いな年頃だと、世間の男と同じようにお考えになられてしまうと、私も体裁が悪くてみっともないのですが。」などとおっしゃると、

「とても嬉しいはずのお言葉ですが、まだまったく幼い年頃の少女のようですので、ご冗談であっても、お世話をされるのは難しいのではないでしょうか。もっとも、女性は、人に世話をされて一人前の大人にもおなりになるものですから、詳しくは申し上げられませんが、あの祖母に相談をしまして、お返事を差し上げ致しましょう。」

と、てきぱきと言って、いかめしい感じでいらっしゃるので、若い源氏のお心では恥ずかしくて、上手にお話をすることができない。

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[古文・原文]

「阿弥陀仏ものしたまふ堂に、すること侍るころになむ。初夜、いまだ勤め侍らず。過ぐしてさぶらはむ」とて、上り給ひぬ。

君は、心地もいと悩ましきに、雨すこしうちそそき、山風冷やかに吹きたるに、滝のよどみもまさりて、音高う聞こゆ。すこしねぶたげなる読経の絶え絶えすごく聞こゆるなど、すずろなる人も、所からものあはれなり。まして、思しめぐらすこと多くて、まどろませ給はず。

初夜と言ひしかども、夜もいたう更けにけり。内にも、人の寝ぬけはひしるくて、いと忍びたれど、数珠の脇息(じゅずのきょうそく)に引き鳴らさるる音ほの聞こえ、なつかしううちそよめく音なひ、あてはかなりと聞き給ひて、ほどもなく近ければ、外に立てわたしたる屏風の中を、すこし引き開けて、扇を鳴らし給へば、おぼえなき心地すべかめれど、聞き知らぬやうにやとて、ゐざり出づる人あなり。すこし退きて、

[現代語訳]

「阿弥陀仏がいらっしゃるお堂で、勤行をされる時間です。初夜のお勤めをまだ致しておりません。済ませて参りましょう。」と言って、僧都はお上がりになった。

源氏の君は、気分がとても悩ましかったが、雨が少し降り注いで、山風が冷やかに吹いてきて、滝壺の水嵩(深さ)も増してきて、音が大きく聞こえてくる。少し眠そうな読経が断続的に恐ろしい感じで聞こえるのなども、何でもない人も、場所を考えると、物悲しい気持ちになってしまう。まして、あれこれ思い巡らすことが多くて、お眠りになることができない。

初夜と言ったけれど、夜もたいそう更けてしまった。奥でも、人々が寝ていない様子がよく分かって、とても静かにしているけれど、数珠が脇息(きょうそく)に触れて鳴る音がかすかに聞こえて、優しくそよめくような衣ずれの音を、上品だなとお聞きになって、広くなくて近いので、外に立てめぐらしている屏風の中を、少し引き開けて、扇を打ち鳴らしになられると、思いがけない音がするという気持ちがするようだが、聞こえないふりなどできるだろうかということで、部屋からいざり出て来る人がいるようだ。少し退いて、

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