『源氏物語』の現代語訳:若紫12

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紫式部が平安時代中期(10世紀末頃)に書いた『源氏物語(げんじものがたり)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。『源氏物語』は大勢の女性と逢瀬を重ねた貴族・光源氏を主人公に据え、平安王朝の宮廷内部における恋愛と栄華、文化、無常を情感豊かに書いた長編小説(全54帖)です。『源氏物語』の文章は、光源氏と紫の上に仕えた女房が『問わず語り』したものを、別の若い女房が記述編纂したという建前で書かれており、日本初の本格的な女流文学でもあります。

『源氏物語』の主役である光源氏は、嵯峨源氏の正一位河原左大臣・源融(みなもとのとおる)をモデルにしたとする説が有力であり、紫式部が書いた虚構(フィクション)の長編恋愛小説ですが、その内容には一条天皇の時代の宮廷事情が改変されて反映されている可能性が指摘されます。紫式部は一条天皇の皇后である中宮彰子(藤原道長の長女)に女房兼家庭教師として仕えたこと、『枕草子』の作者である清少納言と不仲であったらしいことが伝えられています。『源氏物語』の“またの日、御文たてまつれ給へり。僧都にもほのめかし給ふべし。尼上には~”を、このページで解説しています。

参考文献
『源氏物語』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),玉上琢弥『源氏物語 全10巻』(角川ソフィア文庫),与謝野晶子『全訳・源氏物語 1~5』(角川文庫)

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[古文・原文]

またの日、御文たてまつれ給へり。僧都にもほのめかし給ふべし。尼上には、「もて離れたりし御気色のつつましさに、思ひたまふるさまをも、えあらはし果てはべらずなりにしをなむ。かばかり聞こゆるにても、おしなべたらぬ志のほどを御覧じ知らば、いかにうれしう」などあり。中に、小さく引き結びて、

「面影は 身をも離れず 山桜 心の限り とめて来しかど 夜の間の風も、うしろめたくなむ」

とあり。御手などはさるものにて、ただはかなうおし包み給へるさまも、さだすぎたる御目どもには、目もあやにこのましう見ゆ。

「あな、かたはらいたや。いかが聞こえむ」と、思しわづらふ。

[現代語訳]

翌日、源氏の君はお手紙を差し上げなされた。僧都にも何となく姫君への思いをほのめかされたのであろう。尼上には、「問題を取り上げて下さらなかったご様子に気後れしてしまい、思っていることを、十分に申し上げられないままになってしまいましたものを。これほどに申し上げていることでも、並々ではない私の気持ちのほどを察して頂けたならば、どんなに嬉しいことでしょうか。」などと書いてある。中に、小さく結んだ手紙があり、

「あなたの山桜のような美しい面影が、私の身から離れないのです。この心のすべてをそちらに留めたまま来たのですが、夜の間に吹く風が、後ろめたく感じられます。」

とある。源氏の君のご筆跡などはさすがに素晴らしく、ただ無造作にお包みになった様子も、年配の人々のお目には、眩しいほど好ましいものに見える。

「あぁ、困ったことですね。どのようにお返事を致しましょう。」と、尼上は戸惑っておられる。

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[古文・原文]

「ゆくての御ことは、なほざりにも思ひ給へなされしを、ふりはへさせ給へるに、聞こえさせむかたなくなむ。まだ「難波津」をだに、はかばかしう続け侍らざめれば、かひなくなむ。さても、

嵐吹く 尾の上の桜 散らぬ間を 心とめける ほどのはかなさ いとどうしろめたう」

とあり。僧都の御返りも同じさまなれば、口惜しくて、二、三日ありて、惟光をぞたてまつれ給ふ。

「少納言の乳母と言ふ人あべし。尋ねて、詳しう語らへ」などのたまひ知らす。「さも、かからぬ隈なき御心かな。さばかりいはけなげなりしけはひを」と、まほならねども、見しほどを思ひやるもをかし。

わざと、かう御文あるを、僧都もかしこまり聞こえ給ふ。少納言に消息して会ひたり。詳しく、思しのたまふさま、おほかたの御ありさまなど語る。言葉多かる人にて、つきづきしう言ひ続くれど、「いとわりなき御ほどを、いかに思すにか」と、ゆゆしうなむ、誰も誰も思しける。

[現代語訳]

「遠い先の未来についてのお話は、ご冗談なのかとも思っておりましたが、わざわざお手紙を頂きましたのに、お返事のしようがございませんで。まだ手習いの「難波津」さえ、きちんと書き続けられない幼さなので、お話にもなりません(お手紙の返事など本人が書きようもございません)。それにしても、

激しい山風(嵐)が吹いて散ってしまう峰の桜、その桜が散る前にお心を少しだけ寄せられたような儚さが、とても頼りなく思えてしまうのです。」

とある。僧都のお返事も同じようなので、残念に思って、二、三日経ってから、北山に惟光(これみつ)をお使いとして出される。

「少納言の乳母という人がいるはずだ。その人を尋ねて、詳しく私の気持ちを伝えてほしい。」などと惟光に言い含められた。「それにしても、どのような女性にもお気持ちを寄せられるお人であることよ。あんなにまだ幼いご様子であられたのに。」と、はっきりとは覚えていないが、幼い少女を見た時のことを思い出すとおかしい。

わざわざ、このような(五位の貴族・惟光のお使いをつけてまでの)お手紙があるので、僧都も恐縮しながらお聞きになる。少納言の乳母に申し入れをして面会した。詳しく、少女をお思いになられているご様子や、いつもの日々のご様子などを語る。よくしゃべる人なので、もっともらしくあれこれと話し続けるが、「とても結婚など無理な幼いご年齢なのに、どのようにお考えになられているのか。」と、ひどく心配しながら、誰もが思っているのだった。

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[古文・原文]

御文にも、いとねむごろに書い給ひて、例の、中に、「かの御放ち書きなむ、なほ見給へまほしき」とて、

「あさか山 浅くも人を 思はぬに など山の井の かけ離るらむ」 御返し、

「汲み初めて くやしと聞きし 山の井の 浅きながらや 影を見るべき」 惟光も同じことを聞こゆ。

「このわづらひ給ふことよろしくは、このごろ過ぐして、京の殿に渡り給ひてなむ、聞こえさすべき」とあるを、心もとなう思す。

[現代語訳]

お手紙にも、とても丁寧にお書きになられていて、例によってその中に、「あの一字一字を離してお書きになる姫君の文字を、やはり見てみたいのです。」とあって、

御文にも、いとねむごろに書い給ひて、例の、中に、「かの御放ち書きなむ、なほ見給へまほしき」とて、

「浅香山のように浅い気持ちで思っているのではないのに、どうして私の思いから山の井戸のようにかけ離れているのでしょう。」 お返事は、

「薄情な相手と契りを結んで後悔したと聞く山の井のような、浅いお心のままで、どうして孫娘をお見せできるでしょうか。」 惟光もこの歌と同じような返事を申し上げた。

「この病気が回復したら、しばらく過ごしてから、京のお屋敷に帰りますから、その時にお返事を差し上げましょう。」とあるのを、源氏の君は心もとなくお思いになられる。

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