『源氏物語』の現代語訳:若紫19

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紫式部が平安時代中期(10世紀末頃)に書いた『源氏物語(げんじものがたり)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。『源氏物語』は大勢の女性と逢瀬を重ねた貴族・光源氏を主人公に据え、平安王朝の宮廷内部における恋愛と栄華、文化、無常を情感豊かに書いた長編小説(全54帖)です。『源氏物語』の文章は、光源氏と紫の上に仕えた女房が『問わず語り』したものを、別の若い女房が記述編纂したという建前で書かれており、日本初の本格的な女流文学でもあります。

『源氏物語』の主役である光源氏は、嵯峨源氏の正一位河原左大臣・源融(みなもとのとおる)をモデルにしたとする説が有力であり、紫式部が書いた虚構(フィクション)の長編恋愛小説ですが、その内容には一条天皇の時代の宮廷事情が改変されて反映されている可能性が指摘されます。紫式部は一条天皇の皇后である中宮彰子(藤原道長の長女)に女房兼家庭教師として仕えたこと、『枕草子』の作者である清少納言と不仲であったらしいことが伝えられています。『源氏物語』の“をかしかりつる人のなごり恋しく、独り笑みしつつ臥し給へり。日高う大殿籠もり起きて~”を、このページで解説しています。

参考文献
『源氏物語』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),玉上琢弥『源氏物語 全10巻』(角川ソフィア文庫),与謝野晶子『全訳・源氏物語 1~5』(角川文庫)

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[古文・原文]

をかしかりつる人のなごり恋しく、独り笑みしつつ臥し給へり。日高う大殿籠もり起きて、文やり給ふに、書くべき言葉も例ならねば、筆うち置きつつすさびゐ給へり。をかしき絵などをやり給ふ。

かしこには、今日しも、宮わたり給へり。年ごろよりもこよなう荒れまさり、広うもの古りたる所の、いとど人少なに久しければ、見わたし給ひて、

「かかる所には、いかでか、しばしも幼き人の過ぐし給はむ。なほ、かしこに渡したてまつりてむ。何の所狭きほどにもあらず。乳母は、曹司などしてさぶらひなむ。君は、若き人びとあれば、もろともに遊びて、いとようものしたまひなむ」などのたまふ。

近う呼び寄せたてまつり給へるに、かの御移り香の、いみじう艶に染みかへらせたまへれば、「をかしの御匂ひや。御衣はいと萎えて」と、心苦しげに思いたり。

[現代語訳]

可愛らしかった人の面影が恋しくて、一人で微笑みながら横になっていらっしゃった。日が高くなってから眠りからお起きになられて、手紙を書いてお送りになられるが、書くべき言葉も普通とは違うので、筆を書いたり置いたりしながら、思いのままにお書きになる。美しい絵などもお送りになる。

あちらでは、今日、父宮(兵部卿)がいらっしゃった。数年前よりも邸はすっかり荒れっぱなしで、広く古めかしくなって、ますます人数が少なくなって長い月日が経っているので、その様子を見渡されて、

「このような所に、どうして、少しの間でも幼い子供を過ごさせることができるだろうか。やはり、あちらの邸でお引き取り申しあげることにしよう。まったく窮屈な場所(居心地の悪い場所)ではない。乳母は、部屋をもらってから姫君に仕えることができる。姫君は、若い子たちがいるので、一緒に遊んで、とても楽しく過ごすことができるだろう」などとおっしゃる。

近くにお呼び寄せになられると、あの源氏の君の移り香が、とても色っぽい匂いで染み付いていらっしゃるので、「良い匂いだな。お召し物はとてもくたびれているが」と、心苦しくお思いになられた。

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[古文・原文]

「年ごろも、あつしくさだ過ぎ給へる人に添ひ給へるよ、かしこにわたりて見ならし給へなど、ものせしを、あやしう疎み給ひて、人も心置くめりしを、かかる折にしもものし給はむも、心苦しう」などのたまへば、

「何かは。心細くとも、しばしはかくておはしましなむ。少しものの心思し知りなむにわたらせ給はむこそ、よくは侍るべけれ」と聞こゆ。

「夜昼恋ひ聞こえ給ふに、はかなきものも聞こしめさず」

とて、げにいといたう面痩せ給へれど、いとあてにうつくしく、なかなか見え給ふ。

「何か、さしも思す。今は世に亡き人の御ことはかひなし。おのれあれば」

など語らひ聞こえ給ひて、暮るれば帰らせ給ふを、いと心細しと思いて泣い給へば、宮うち泣き給ひて、

[現代語訳]

「長年の間、病気がちのお年寄と一緒に寄り添っておられたことよ、あちらに移ってからお慣れなさいなどと、言っていましたが、怪しく思って疎んじなさって、妻も面白くない感じだったが、このような時に移って来られたのも、可哀想だ」などとおっしゃると、

「どんなものでしょうか。心細くても、暫くはこうしておいでになるでしょう。もう少し物の道理がお分かりになりましたら、そちらにお移りあそばされるのが、良いかと思います」と申し上げる。

「夜も昼もなくお祖母様をお慕い申し上げになられて、ちょっとした食べ物もお召し上がりになりません」と言って、確かにとてもひどく面痩せなさっているが、とても上品でかわいらしく、逆に綺麗に見えるほどである。

「どうして、そんなに(亡くなった祖母のことで)悲しみなさるのか。今はもうこの世にいない方のことは、思ってもどうしようもありません。私が付いていますからね」などとお話し申し上げて、日が暮れるとお帰りになるのを、とても心細いと思われてお泣きになると、宮も貰い泣きなされて、

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[古文・原文]

「いとかう思ひな入り給ひそ。今日明日、渡したてまつらむ」など、返す返すこしらへおきて、出で給ひぬ。

なごりも慰めがたう泣きゐ給へり。行く先の身のあらむことなどまでも思し知らず、ただ年ごろ立ち離るる折なうまつはしならひて、今は亡き人となり給ひにける、と思すがいみじきに、幼き御心地なれど、胸つとふたがりて、例のやうにも遊び給はず、昼はさても紛らはし給ふを、夕暮となれば、いみじく屈し給へば、かくてはいかでか過ごし給はむと、慰めわびて、乳母も泣きあへり。

君の御もとよりは、惟光をたてまつれ給へり。

「参り来べきを、内裏より召あればなむ。心苦しう見たてまつりしも、しづ心なく」とて、宿直人たてまつれ給へり。

「あぢきなうもあるかな。戯れにても、もののはじめにこの御ことよ」

「宮聞こし召しつけば、さぶらふ人びとのおろかなるにぞさいなまむ」

[現代語訳]

「そんなに思い悩まないでください。今日明日のうちに、邸へとお移し申しあげましょう」などと、繰り返しなだめすかして、お帰りになられた。

名残惜しい寂しさも慰めようがなくて泣き沈んでいらっしゃった。将来の身の上のことなどまではお分かりにならず、ただ長年離れることなく一緒にいて、今はお亡くなりになってしまった祖母をお思いになるのがひどく悲しくて、子供心にではあるが、胸がいっぱいにふさがって、いつものようにもお遊びにはならず、昼間は何とか気をお紛らわしになるが、夕暮になると、ひどく憂鬱になられるので、このようではどのようにお過ごしになれば良いのかと、慰めあぐねて、乳母たちも一緒に泣き合っていた。

源氏の君のお邸からは、惟光をお遣わしになられた。

「私自身が参るべきところですが、帝からお召しがありましたので行けずにいます。お気の毒なことだと拝見しており、落ち着かず心配で」と伝えて、惟光を宿直人としてお差し向けになった。

「情けないことですね。戯れだとしても結婚の最初から、このような有様であるとは」

「(こんな幼い年齢で既に源氏の君と結婚したような状況になっていると)父上の宮様がお聞きになられたら、お仕えする者たちの落度だといって叱られるでしょう」

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