『竹取物語』の原文・現代語訳8

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『竹取物語』は平安時代(9~10世紀頃)に成立したと推定されている日本最古の物語文学であり、子ども向けの童話である『かぐや姫』の原型となっている古典でもあります。『竹取物語』は、『竹取翁の物語』『かぐや姫の物語』と呼ばれることもあります。竹から生まれた月の世界の美しいお姫様である“かぐや姫”が人間の世界へとやって来て、次々と魅力的な青年からの求婚を退けるものの、遂には帝(みかど)の目にも留まるという想像力を駆使したファンタジックな作品になっています。

『竹取物語』は作者不詳であり成立年代も不明です。しかし、10世紀の『大和物語』『うつほ物語』『源氏物語』、11世紀の『栄花物語』『狭衣物語』などに『竹取物語』への言及が見られることから、10世紀頃までには既に物語が作られていたと考えられます。このウェブページでは、『右大臣阿部御主人は、財豊かに家広き人にておはしけり~』の部分の原文・現代語訳(意訳)を記しています。

参考文献
『竹取物語(全)』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),室伏信助『新装・竹取物語』(角川ソフィア文庫),阪倉篤義 『竹取物語』(岩波文庫)

[古文・原文]

右大臣阿部御主人(あべのみうし)は、財豊かに家広き人にておはしけり。その年来たりける唐土船(もろこしぶね)の王慶(おうけい)といふ人のもとに、文を書きて、『火鼠の皮といふなる物買ひておこせよ』とて、仕うまつる人の中に、心たしかなるを選びて、小野房守(おののふさもり)といふ人をつけて遣はす。

持て至りて、あの唐土に居る王慶に金を取らす。王慶、文をひろげて見て、返事書く。

火鼠の皮衣、この国に無きものなり。音には聞けども、未だ見ぬ物なり。世にある物ならば、この国にも持てまうで来なまし。いと難き商ひなり。然れども、もし、天竺にたまさかにもて渡りなば、もし長者の辺りに訪ひ(とぶらひ)求めむに。無きものならば、使ひに添へて、金をば返し奉らむ。

と言へり。

[現代語訳]

右大臣の阿部御主人は、豊かな財産と栄えている一族を持った人物である。かぐや姫から課題を出されたその年が来ると、中国の貿易船に乗っていた王慶という中国人に手紙を書いた。『火鼠の皮衣という物を購入して送ってほしい』と言って、自分に仕えている者の中で信頼できる者を選び、小野房守という後見役をつけて唐(中国)に派遣した。

小野房守らは唐に到着して、王慶にお金と手紙を渡した。王慶は手紙を広げて読んで、返事を書いた。

火鼠の皮衣はこの唐(中国)にはありません。噂には聞いたことがありますが、実物は見たことがないのです。もしこの世に存在するのであれば、必ず唐(中国)には渡ってきているはずです。とても難しい商売です。ただし、インドには偶然渡ってきているかもしれませんので、インドの長者に当たって探してみましょう。もし見つからなければ、使者の方にお金のほうはお返し致しますので。

と言った。

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[古文・原文]

かの唐土船来けり。小野房守まうで来て、まう上るといふことを聞きて、歩み疾う(とう)する馬をもちて走らせて、迎へさせ給ふ時に、馬に乗りて、筑紫(つくし)よりただ七日にまうで来たる。

文を見るに、言はく、

火鼠の皮衣、からうして、人を出だして求めて奉る。今の世にも昔の世にも、この皮は、たやすく無きものなりけり。昔、かしこき天竺の聖(ひじり)、この国にもて渡りて侍りける、西の山寺にありと聞き及びて、朝廷(おおやけ)に申して、からうして買ひ取りて奉る。価(あたひ)の金少なしと、国司、使ひに申ししかば、王慶が物加へて買ひたり。いま、金五十両賜はるべし。船の帰らむにつけて賜び(たび)送れ。もし金賜はぬものならば、かの衣の質、返したべ。

と言へることを見て、『何仰す。いま金少しにこそあなれ。うれしくしておこせたるかな』とて、唐土(もろこし)方に向かひて伏し拝み給ふ。

[現代語訳]

あの唐の貿易船で使いが帰ってきた。小野房守が帰国して右大臣の所へ参上するというのを聞いて、早馬でお迎えの使者を遣わした。小野房守はその馬に乗って、筑紫からわずか七日で都に到着したのである。

王慶からの手紙を読んだが、そこには、

火鼠の皮衣はようやく、人に探してもらって手に入れることができました。今の世でも昔の世でも、この火鼠の皮衣は簡単には手に入らないものです。昔、インドの偉大な聖人が、この国に持ってきたのですが、これが西方の山寺にあると聞いたので、インドの政府に働きかけて、何とかこうして買い取ることが出来ました。代金が少ないとインドの役人が使いの者に言うので、この王慶が不足している分を出して買い取ったのです。後、金五十両の代金を送ってください。船がこちらに帰る時に、料金をこちらに送って下さい。もし追加の代金を支払いできないというのであれば、その火鼠の皮衣はこちらに返して下さい。

と書いてあったがそれを見て、右大臣阿部御主人は、『何をおっしゃるか。もう後少しの金ではないか。それにしても嬉しい、よくぞ見付けて送って下さった。』と言って、唐(中国)の方角に向かって感謝の念を込めて伏して拝んだ。

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