『竹取物語』の原文・現代語訳14

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『竹取物語』は平安時代(9~10世紀頃)に成立したと推定されている日本最古の物語文学であり、子ども向けの童話である『かぐや姫』の原型となっている古典でもあります。『竹取物語』は、『竹取翁の物語』『かぐや姫の物語』と呼ばれることもあります。竹から生まれた月の世界の美しいお姫様である“かぐや姫”が人間の世界へとやって来て、次々と魅力的な青年からの求婚を退けるものの、遂には帝(みかど)の目にも留まるという想像力を駆使したファンタジックな作品になっています。

『竹取物語』は作者不詳であり成立年代も不明です。しかし、10世紀の『大和物語』『うつほ物語』『源氏物語』、11世紀の『栄花物語』『狭衣物語』などに『竹取物語』への言及が見られることから、10世紀頃までには既に物語が作られていたと考えられます。このウェブページでは、『中納言、倉津麻呂にのたまはく~』の部分の原文・現代語訳(意訳)を記しています。

参考文献
『竹取物語(全)』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),室伏信助『新装・竹取物語』(角川ソフィア文庫),阪倉篤義 『竹取物語』(岩波文庫)

[古文・原文]

中納言、倉津麻呂にのたまはく、『燕(つばくらめ)は、いかなる時にか子産むと知りて、人をば上ぐべき』とのたまふ。倉津麻呂申すやう、『燕、子産まむとする時は、尾を捧げて七度めぐりてなむ、産み落とすめる。さて、七度めぐらむ折、引き上げて、その折、子安貝は取らせ給へ』と申す。

中納言喜び給ひて、よろづの人にも知らせ給はで、みそかに寮(つかさ)にいまして、男(をのこ)どもの中に交じりて、夜を昼になして取らしめ給ふ。倉津麻呂かく申すを、いといたく喜びて、のたまふ。『ここに使はるる人にもなきに、願ひをかなふることのうれしさ』とのたまひて、御衣脱ぎて被け(かづけ)給うつ。『更に夜さりこの寮にまうで来(こ)』とのたまうて、遣はしつ。

[現代語訳]

中納言が倉津麻呂に、『燕が子供を産む時期をどのように知って、人を登らせれば良いのか。』と質問した。倉津麻呂は、『燕が子を産もうとする時には、尾を差し上げて、七回回ってから卵を産み落とすようです。なので、七回回っている時に、籠を引き上げて、その瞬間を逃さずに子安貝を取らせて下さい。』と申し上げた。

中納言は喜んで、大勢の人にはその取り方を知らせないで、密かに食糧管理の役所に出かけていって、家来の男たちに交じって、昼も夜も構わずに子安貝を取ろうとしていた。倉津麻呂がこのように申し上げたのをとても喜んで、『自分に仕えている家来でもないのに、願いを叶えてくれるというのは嬉しいものだ。』と言って、着ていた衣服を脱いで倉津麻呂に褒美として与えた。『また夜になったらこの役所まで来るように。』と言って、倉津麻呂を帰らせた。

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[古文・原文]

日暮れぬれば、かの寮(つかさ)におはして見給ふに、誠、燕巣つくれり。倉津麻呂申すやう、尾浮けてめぐるに、粗籠(あらこ)に人をのぼせてつり上げさせて、燕の巣に手をさし入れさせて探るに、『物もなし』と申すに、中納言、『悪しく探ればなきなり』と腹立ちて、『誰ばかりおぼえむに』とて、『われ登りて探らむ』とのたまひて、籠に乗りてつられ上りてうかがひ給へるに、燕尾を捧げていたくめぐるに合はせて、手を捧げて探り給ふに、手にひらめる物さはる時に、『われ物握りたり。今は下ろしてよ。翁、しえたり』とのたまひて、集まりて、『疾く(とく)下ろさむ』とて、綱を引き過ぐして、綱絶ゆるすなはちに、八島の鼎(かなえ)の上にのけざまに落ち給へり。

[現代語訳]

日が暮れたので、中納言は食糧管理の役所に出かけて、柱を見てみると、確かに燕が巣を作っている。倉津麻呂が言っていたように、燕は尾を差し上げて辺りを回っているので、目の粗い籠に家来の男を乗せて綱でつり上げ、燕の巣の中に手を差し込ませて子安貝を探させたが、『何もありません。』という返事を返してくる。

中納言は『探り方が悪いから見つからないのだ。』と腹を立てて、『誰も役に立たないものだ。』と言って、『私が登って探ろう』と言い出した。籠に乗って綱でつり上げられ、巣の中を覗き込むと、燕は尾を差し上げてくるくると回っている。その動きに合わせて、手を差し入れて巣の中を探ると、手に平たい物が触ったので、『私は物を握ったぞ。今すぐ下ろしてくれ。じいさん、遂に取りましたよ。』と言って、家来たちが集まってきて、『早く下に下ろそう。』と言って、綱を引っ張ったが、綱を引っ張りすぎて綱が切れてしまった。そのまま、中納言は八島の鼎の上に真っ逆さまに落ちてしまったのである。

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