『枕草子』の現代語訳:6

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清少納言(康保3年頃(966年頃)~万寿2年頃(1025年頃))が平安時代中期に書いた『枕草子(まくらのそうし)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。『枕草子』は中宮定子に仕えていた女房・清少納言が書いたとされる日本最古の女流随筆文学(エッセイ文学)で、清少納言の自然や生活、人間関係、文化様式に対する繊細で鋭い観察眼・発想力が反映された作品になっています。

『枕草子』は池田亀鑑(いけだきかん)の書いた『全講枕草子(1957年)』の解説書では、多種多様な物事の定義について記した“ものづくし”の『類聚章段(るいじゅうしょうだん)』、四季の自然や日常生活の事柄を観察して感想を記した『随想章段』、中宮定子と関係する宮廷社会の出来事を思い出して書いた『回想章段(日記章段)』の3つの部分に大きく分けられています。紫式部が『源氏物語』で書いた情緒的な深みのある『もののあはれ』の世界観に対し、清少納言は『枕草子』の中で明るい知性を活かして、『をかし』の美しい世界観を表現したと言われます。

参考文献
石田穣二『枕草子 上・下巻』(角川ソフィア文庫),『枕草子』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),上坂信男,神作光一など『枕草子 上・中・下巻』(講談社学術文庫)

[古文・原文]

中間なるをりに、『大進、まづもの聞えむ、とあり』と言ふを聞こし召して、『また、なでふこと言ひて笑はれむとならん』と仰せらるるも、またをかし。『行きて聞け』と、のたまはすれば、わざと出でたれば、『一夜の門のこと、中納言に語り侍りしかば、いみじう感じ申されて、「いかでさるべからむをりに、心のどかに対面して申しうけたまはらむ」となむ、申されつる』とて、また異事(ことこと)もなし。

一夜のことや言はむと、心ときめきしつれど、『今静かに、御局(おつぼね)にさぶらはむ』とて去ぬれば、帰り参りたるに、『さて、何事ぞ』と、のたまはすれば、申しつる事を、さなむと啓すれば、『わざと消息し、呼び出づべきことにはあらぬや。おのづから端つ方、局などにゐたらむ時も言へかし』とて笑へば、『おのが心地に賢しと思ふ人のほめたる、嬉しとや思ふと、告げ聞かするならむ』とのたまはする御気色(おんけしき)も、いとめでたし。

[現代語訳]

用事をしている時に、『大進が、どうしても清少納言様に申し上げたいことがあるとおっしゃっていらっしゃっています』と言う取次役の女房の声をお聞きになって、中宮が『また、どのようなことをおっしゃって清少納言に笑われようというのだろうか』とおっしゃるのも、またおかしい。『行って用件を聞いてきなさい』とおっしゃるので、わざわざ用事を中断して行くと、『あの一夜の門のお話ですがあの話を兄の中納言に語ったところ、とても感心してしまって、「どうにかして然るべき機会を設けて、穏やかな気持ちで清少納言様と対面してお話をしたり聞いたりしたいものだ」と兄が申していました』という用件で、それ以外の用件があるわけでもない。

あの時の深夜の夜這いめいた訪問のことも言うのだろうかと、気持ちがときめいたりもしていたのだが、『今は静かに帰ります。またゆっくりとお部屋のほうに伺わせて貰います』と言って去ったので、中宮の御前に帰った。『どんな話だったの』と聞いてこられたので、生昌の申し上げた内容をお伝えすると、女房たちは『わざわざ正式な申し入れをして、清少納言様を呼び出すほどの用件ではないじゃないですか。御前にいない時とかお部屋にいる時とかを見計らって言えばいいのに』と笑ったが、中宮は『自分が普段から賢いと思っている兄が清少納言のことを褒めたので、これは清少納言も嬉しがるに違いないと思って、わざわざそのことを告げにやってきたのでしょう』とおっしゃる。その中宮のご様子は、生昌への優しい配慮も伺われてとても素晴らしいものであった。

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[古文・原文]

上に侍ふ御猫は、かうぶり得て命婦(みょうぶ)のおとどとて、いみじうをかしければ、寵(かしづ)かせ給ふが、端に出でて臥したるに、乳母の馬の命婦、『あな、まさなや、入り給へ』と呼ぶに、日のさし入りたるに、眠りてゐたるを、おどすとて、『翁丸(おきなまろ)、いづら。命婦のおとど食へ』と言ふに、まことかとて、しれものは走りかかりたれば、おびえ惑ひて、御簾の内に入りぬ。

朝餉(あさがれひ)の御間に上おはしますに、御覧じていみじう驚かせ給ふ。猫を御懐に入れさせ給ひて、男ども召せば、蔵人忠隆(くろうど・ただたか)、なりなか、参りたれば、『この翁丸、打ち調じて、犬島へつかはせ、只今』と仰せらるれば、集まり狩り騒ぐ。馬の命婦をもさいなみて、『乳母かへてむ、いとうしろめたし』と仰せらるれば、御前にも出でず。犬は狩り出でて、瀧口(たきぐち)などして、追ひつかはしつ。

『あはれ、いみじうゆるぎ歩きつるものを。三月三日、頭の弁の柳かづらせさせ、桃の花をかざしにささせ、桜、腰にさしなどして、ありかせ給ひしをり、かかる目見むとは思はざりけむ』など、あはれがる。

[現代語訳]

帝が寵愛している猫は、五位の位階を与えられて『命婦のおもと』と呼ばれていた。とても可愛らしいので、帝もいつも撫でて可愛がっておられるが、その猫が部屋の端のほうで寝ているので、お世話係の馬の命婦が、『あぁ、ダメですよ。部屋に入りなさい』と呼んでいる。日が差している暖かい場所で眠っている猫を、少しおどかしてやろうという気持ちで、『翁丸(犬の名前)、どこにいるの。行儀の悪い命婦のおもとに食いついてやりなさい』と言ったのだが、本気で噛めと言われていると勘違いした馬鹿者が走りかかっていったので、命婦のおもとは恐れて御簾の中に入ってしまった。

御朝食の間に帝がいらっしゃった時で、この様子を見て非常に驚きになられた。猫をお懐にお入れになって、蔵人(警護の役人)をお呼び出しになられた。蔵人の忠隆となりなかが帝の御前に参上すると、『この翁丸の犬を、打ち据えて罰し、犬島に流刑にしてしまえ、今すぐにそうせよ』とおっしゃるので、みんなが集まって翁丸を捕まえるために騒がしくなった。帝は馬の命婦も強く叱責して、『猫の世話係の乳母を変えよう。このままだと安心できない』とおっしゃるので、恐れた馬の命婦は御前に顔も出すことができない。犬はみんなで狩りをして捕まえたが、瀧口の武士などによって追い立てられた。

『可哀想に、翁丸はあんなに威張ってこの辺をのし歩いていたのに。三月三日の時には、頭の弁が柳で頭を飾らせ、桃の花を首に掛けて、桜を腰に差したりもして練り歩いていたが、こんな酷い目に遭うなんて思ってもいなかっただろう』などと、清少納言は犬を哀れんでいた。

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