『枕草子』の現代語訳:7

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清少納言(康保3年頃(966年頃)~万寿2年頃(1025年頃))が平安時代中期に書いた『枕草子(まくらのそうし)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。『枕草子』は中宮定子に仕えていた女房・清少納言が書いたとされる日本最古の女流随筆文学(エッセイ文学)で、清少納言の自然や生活、人間関係、文化様式に対する繊細で鋭い観察眼・発想力が反映された作品になっています。

『枕草子』は池田亀鑑(いけだきかん)の書いた『全講枕草子(1957年)』の解説書では、多種多様な物事の定義について記した“ものづくし”の『類聚章段(るいじゅうしょうだん)』、四季の自然や日常生活の事柄を観察して感想を記した『随想章段』、中宮定子と関係する宮廷社会の出来事を思い出して書いた『回想章段(日記章段)』の3つの部分に大きく分けられています。紫式部が『源氏物語』で書いた情緒的な深みのある『もののあはれ』の世界観に対し、清少納言は『枕草子』の中で明るい知性を活かして、『をかし』の美しい世界観を表現したと言われます。

参考文献(ページ末尾のAmazonアソシエイトからご購入頂けます)
石田穣二『枕草子 上・下巻』(角川ソフィア文庫),『枕草子』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),上坂信男,神作光一など『枕草子 上・中・下巻』(講談社学術文庫)

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[古文・原文]

『御膳(おもの)のをりは、かならず向ひさぶらふに、さうざうしうこそあれ』など言ひて、三、四日になりぬる昼つ方、犬いみじう鳴く声のすれば、なぞの犬のかく久しう鳴くにかあらむと聞くに、よろづの犬、とぶらひ見に行く。御厠人(みかわやうど)なるもの走り来て、『あないみじ。犬を蔵人二人して打ちたまふ。死ぬべし。犬を流させ給ひけるが、帰りまゐりたるとて、調じ給ふ』と言ふ。

心憂(う)のことや、翁丸なり。『忠隆(ただたか)、実房(さねふさ)なんど打つ』と言へば、制しに遣るほどに、辛うして鳴きやみ、『死にければ陣の外に引き捨てつ』と言へば、あはれがりなどする夕つかた、いみじげに腫れ、あさましげなる犬のわびしげなるが、わななきありけば、『翁丸か。このころ、かかる犬やはありく』と言ふに、『翁丸』と言へど、聞きも入れず。

『それ』とも言ひ、『あらず』とも口々申せば、(宮)『右近ぞ見知りたる。呼べ』とて、召せば、参りたり。『これは翁丸か』と見せさせ給ふ。(右近)『似ては侍れど、これはゆゆしげにこそ侍るめれ。また「翁丸か」とだに言へば、喜びてまうで来るものを、呼べど寄り来ず。あらぬなめり。それは、「打ち殺して捨て侍りぬ」とこそ申しつれ。二人して打たむには、侍りなむや』など申せば、心憂(う)がらせ給ふ。

[現代語訳]

『中宮のお食事の時に、翁丸は必ず余った御飯を貰おうとしてやってきていたのに、居なくなってしまうと淋しいものだ』などと言って、3~4日経った昼頃、犬が激しく鳴く声が聞こえるので、どうして犬がこんなに長く鳴くのだろうと思っていると、近くの犬たちが様子を見るために駆け寄っていく。御厠人の女たちも走ってきて、『まぁ、大変なことです。蔵人二人が犬を打ちのめしております。死んでしまいます。流罪にした犬が帰ってきたということで懲罰しているのです。』と伝える。

心が憂鬱になってしまう、やはりあの犬は翁丸だったのだ。『忠隆、実房などが犬を打ちのめしている』と言うので、制止させるために使いの女を送った。やっと犬の鳴き声がやんだが、『死んでしまったので、御門の外に放り捨ててしまいました。』と言う。可哀想なことをしてしまったと思っている夕方の頃、酷く体が腫れあがって、惨めな格好をした犬が、よろよろとして歩いている。『翁丸だろうか。最近、このような犬が歩いていただろうか。』というと、誰かが『翁丸!』と呼びかけたけれど見向きもしない。

『翁丸よ』という女房もいれば、『あれは違うわよ』という女房もいるが、中宮が『右近なら翁丸を知っている。呼びなさい』というので、呼び出すと右近が参上した。『これは翁丸だろうか』とその犬をお見せになられた。『似てはございますが、この犬はあまりにも外見がみすぼらしすぎるようです。また「翁丸」と呼びかければ喜んでやってくるはずなのですが、この犬は呼んでも全くやって来ません。やはり違う犬でしょう。先ほどの翁丸は「打ち殺して死骸は門の外に投げ捨てた」ということでした。二人で打ったのであれば生きていないでしょう。』と申し上げたので、中宮は何と酷い事をしたものかとお心を傷められた。

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[古文・原文]

暗うなりて、もの食はせたれど食はねば、あらぬものに言ひなしてやみぬる。つとめて、御梳櫛(おけずりぐし)、御手水(ごちょうず)などまゐりて、御鏡もたせさせ給ひて御覽ずれば、侍ふに、犬の柱のもとに居たるを見やりて、

(清少納言)『あはれ昨日、翁丸をいみじうも打ちしかな。死にけむこそあはれなれ。何の身にこのたびはなりぬらん。いかにわびしき心地しけむ』と、うち言ふに、この居たる犬のふるひわななきて、涙をただ落しに落とすに、いとあさまし。さは、翁丸にこそはありけれ。昨夜は隠れ忍びてあるなりけりと、あはれに添へて、をかしきこと限りなし。御鏡うち置きて、『さは翁丸か』と言ふに、ひれ伏して、いみじう鳴く。御前にも、いみじうおち笑はせ給ふ。

右近内侍(うこんのないし)召して、(宮)『かくなむ』と仰せらるれば、笑ひののしるを、上にも聞し召して、渡りおはしましたり。(帝)『あさましう、犬などもかかる心あるものなりけり』と笑はせ給ふ。上の女房なども聞きて参り集りて呼ぶにも、今ぞ立ち動く。(清少納言)『なほこの顔などの腫れたる、ものの手をせさせばや』と言へば、(女房)『終にこれを言ひあらはしつること』など笑ふに、忠隆聞きて、台盤所(だいばんどころ)の方より、『まことにや侍らむ。かれ見侍らむ』と言ひたれば、『あなゆゆし、さる者なし』と言はすれば、『さりとも、見つくる折もはべらむ。さのみも、え隠させ給はじ』と言ふ。

さて畏り許されて、もとのやうになりにき。猶あはれがられて、ふるひ鳴き出でたりしこそ、世に知らずをかしくあはれなりしか。人などこそ、人に言はれて泣きなどはすれ。

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[現代語訳]

暗くなって、その犬に御飯を食べさせようとしたけど食べないので、これはやはり違う犬だったのだという事にしてしまった。翌朝、中宮がお髪を櫛でけずったり顔を洗ったりして身支度をしている時、私に鏡をお持たせになって御覧になるので、お側に付いていたが、昨夜の犬が柱のところに居るのを見て、

(清少納言)『可哀想に、昨日は翁丸を酷く打ったものよ。死んでしまったというが、本当に可哀想なことをしたものだ。今度はどんな身に生まれ変わったのだろうか。打たれてどんなにつらい気持ちだったのだろう。』と言うと、そこに蹲っていた犬が身体をぶるぶると震わせて、涙を落としたので本当に驚いてしまった。さては、やはり翁丸だったのだ。昨夜は自分のことを隠して耐えていたのだと思うと、その哀れさに加えて、人間のような(自分の素性を隠す)深い考えがあることが面白く感じられた。鏡を下に置いて、『それなら、お前は翁丸か。』と言うと、地面にひれ伏して、激しく鳴く。中宮も、その反応を見られてお笑いになる。

右近内侍をお呼び出しになられて、『このような感じである。』とおっしゃられると、女房たちも騒いで笑ったが、その騒動を聞かれた帝までも中宮の部屋にいらっしゃった。(帝)『あきれたことに、犬でもこのような心があるものなんだね』とお笑いになった。帝にお仕えしている女房たちもその話を聞いて集まってきたが、名前を呼ぶと今度は活発に動いている。(清少納言)『まだ顔が腫れ上がっているから、何とか手当をして上げたいものだわ』と言うと、女房たちは『ついにあなたは翁丸の正体を見破ったわね』と言って笑っている。蔵人の忠隆も話を聞きつけて、裏の台盤所のほうから、『その犬が翁丸であるという話は本当でしょうか。どれちょっと見せて下さい。』と申してきたので、『あぁ、とんでもない。そんな犬はいません。』と取次の者に言わせたが、忠隆は『そんなことをおっしゃっても、私がその犬を見つけてしまう時もあるでしょう。隠そうとしても、隠しきれるものではありませんよ。』と脅すように言ってくる。

そして翁丸は帝から許されて、元のように暮らせることになったのだった。犬である翁丸がみんなから哀れに思われて、体を震わせながら鳴いていた様子は、この上なく面白くて心が揺り動かされてしまった。人間であれば、人から哀れに思われたり同情の言葉を掛けられたりして、泣いてしまうこともあるのだが(まさか犬までそういった人に似た感情を持っているなどとは思ってもいなかった。)

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