『枕草子』の現代語訳:34

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清少納言(康保3年頃(966年頃)~万寿2年頃(1025年頃))が平安時代中期に書いた『枕草子(まくらのそうし)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。『枕草子』は中宮定子に仕えていた女房・清少納言が書いたとされる日本最古の女流随筆文学(エッセイ文学)で、清少納言の自然や生活、人間関係、文化様式に対する繊細で鋭い観察眼・発想力が反映された作品になっています。

『枕草子』は池田亀鑑(いけだきかん)の書いた『全講枕草子(1957年)』の解説書では、多種多様な物事の定義について記した“ものづくし”の『類聚章段(るいじゅうしょうだん)』、四季の自然や日常生活の事柄を観察して感想を記した『随想章段』、中宮定子と関係する宮廷社会の出来事を思い出して書いた『回想章段(日記章段)』の3つの部分に大きく分けられています。紫式部が『源氏物語』で書いた情緒的な深みのある『もののあはれ』の世界観に対し、清少納言は『枕草子』の中で明るい知性を活かして、『をかし』の美しい世界観を表現したと言われます。

参考文献
石田穣二『枕草子 上・下巻』(角川ソフィア文庫),『枕草子』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),上坂信男,神作光一など『枕草子 上・中・下巻』(講談社学術文庫)

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[古文・原文]

55段

若き人、ちごどもなどは、肥えたる、よし。受領(ずりょう)など大人だちぬるも、ふくらかなるぞ、よき。

[現代語訳]

55段

若い人や子供たちは、太っているのが良い。受領をしているような大人たちも、ふくよかに太っているほうが良い。

[古文・原文]

56段

ちごは、あやしき弓、しもとだちたる物などささげて遊びたる、いとうつくし。車など、とどめて、抱き入れて見まほしくこそあれ。

また、さて行くに、薫物(たきもの)の香、いみじうかかへたるこそ、いとをかしけれ。

[現代語訳]

56段

小さな子供は、自分で作った変な弓や棒切れのようなものを振りかざして遊んでいるのが、とても可愛らしい。車をそこに止めて、子供を中に抱き入れて見ていたいと思うほどである。

また、車で行く時に、薫物の香りがとても強く香ってきたのは、非常に趣きがある。

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[古文・原文]

57段

よき家の中門あけて、檳榔毛(びろうげ)の車の白くきよげなるに、蘇枋(すおう)の下簾(したすだれ)、にほひいときよらかにて、榻(しぢ)にうち掛けたるこそ、めでたけれ。五位、六位などの、下襲(したがさね)の裾(しり)はさみて、笏(さく)のいと白きに扇うち置きなど、行き違ひ、また、装束し、壺胡なぐい(つぼやなぐひ)負ひたる随身(ずいじん)の出で入りしたる、いとつきづきし。厨女(くりやめ)のきよげなるが、さし出でて、「なにがし殿の人やさぶらふ」など言ふも、をかし。

[現代語訳]

57段

立派な家の中門を開けて、檳榔毛(びろうげ)の車で白く綺麗な車が、蘇枋(すおう)色をした下簾(したすだれ)を見せて、車の轅(ながえ)を置くための榻(しぢ)の台に立てかけてあるのは素晴らしい。お供している五位、六位などの者が、下襲の裾を帯に挟んで、真っ白な笏(さく)の上に扇を置いたりなどして、あちこちに行き違い、また正装をして壺胡なぐいを背負った随身の供の者が出入りしているのは、この立派な屋敷に似つかわしいものである。台所で料理をする女のさっぱりとした者が、顔を出して、「誰々様のお供の方はいらっしゃいますか。」などと聞いているのも、情趣がある感じだ。

[古文・原文]

58段

滝は音無の滝。布留の滝は、法皇の御覧じにおはしけむこそめでたけれ。那智の滝は熊野にあるがあはれなるなり。轟の滝はいかにかしがましく怖ろしからん。

[現代語訳]

58段

滝は、音無の滝。布留の滝は、法皇がご覧になるためにお出かけになられたことがある素晴らしい滝である。那智の滝は、熊野にあるということで趣きがあるのである。轟の滝は、(そのおどろおどろしい名前からして)どんなにうるさい音を立てる恐ろしい滝なのだろうか。

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