『枕草子』の現代語訳:35

清少納言(康保3年頃(966年頃)~万寿2年頃(1025年頃))が平安時代中期に書いた『枕草子(まくらのそうし)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。『枕草子』は中宮定子に仕えていた女房・清少納言が書いたとされる日本最古の女流随筆文学(エッセイ文学)で、清少納言の自然や生活、人間関係、文化様式に対する繊細で鋭い観察眼・発想力が反映された作品になっています。

『枕草子』は池田亀鑑(いけだきかん)の書いた『全講枕草子(1957年)』の解説書では、多種多様な物事の定義について記した“ものづくし”の『類聚章段(るいじゅうしょうだん)』、四季の自然や日常生活の事柄を観察して感想を記した『随想章段』、中宮定子と関係する宮廷社会の出来事を思い出して書いた『回想章段(日記章段)』の3つの部分に大きく分けられています。紫式部が『源氏物語』で書いた情緒的な深みのある『もののあはれ』の世界観に対し、清少納言は『枕草子』の中で明るい知性を活かして、『をかし』の美しい世界観を表現したと言われます。

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石田穣二『枕草子 上・下巻』(角川ソフィア文庫),『枕草子』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),上坂信男,神作光一など『枕草子 上・中・下巻』(講談社学術文庫)

[古文・原文]

59段

河は飛鳥川(あすかがわ)、淵瀬(ふちせ)も定めなく、いかならむと、あはれなり。大井河。音無川。七瀬川。

耳敏(みみと)川、またもなにごとをさくじり聞きけむと、をかし。玉星川。細谷川。いつぬき川、沢田川などは、催馬楽(さいばら)などの思はするなるべし。名取川、いかなる名を取りたるならむと、聞かまほし。吉野河。天の河原、「たなばたつめに宿借らむ」と、業平が詠みたるも、をかし。

[現代語訳]

59段

飛鳥川という河は、歌によれば、たまり水のような淵(ふち)が、いつ速い流れのある瀬になるか分からないという、一体どのような河なのかと思うとしみじみとした情趣がある。大井河。音無川。七瀬川。

耳敏川、これもまた何事を詮索しながら聞き出したのだろうかと思われて、面白い(面白い川の名前だ)。玉星川や細谷川、いつぬき川、沢田川などは、催馬楽(さいばら)などを思い起こさせるものである。名取川は、いったいどんな評判を立てられたのだろうかと聞いてみたくなる。吉野河と天の河原は、「たなばたつめに宿借らむ」と、在原業平が歌に詠んでいたのも面白い。

[古文・原文]

60段

暁に帰らむ人は、装束(しょうぞく)などいみじううるはしう、烏帽子(えぼし)の緒・元結(もとゆい)かためずともありなむとこそ、覚ゆれ。いみじくしどけなく、かたくなしく、直衣・狩衣(なほし・かりぎぬ)などゆがめたりとも、誰か見知りて笑ひそしりもせむ。

人はなほ、暁の有様こそ、をかしうもあるべけれ。わりなくしぶしぶに、起き難げなるを、強ひてそそのかし、「明け過ぎぬ。あな見苦し」など言はれて、うち嘆く気色も、げに飽かず物憂くもあらむかし、と見ゆ。指貫(さしぬき)なども、居ながら着もやらず、まづさし寄りて、夜言ひつることの名残、女の耳に言ひ入れて、何わざすともなきやうなれど、帯など結ふやうなり。格子(こうし)押し上げ、妻戸(つまど)ある所は、やがてもろともに率て(ゐて)行きて、昼のほどのおぼつかならむことなども、言ひ出でにすべり出でなむは、見送られて、名残もをかしかりなむ。

思ひいで所ありて、いときはやかに起きて、ひろめきたちて、指貫の腰こそこそとかはは結ひ、直衣、袍(うえのきぬ)、狩衣も、袖かいまくりて、よろづさし入れ、帯いとしたたかに結ひ果てて、つい居て、烏帽子の緒、きと強げに結ひ入れて、かいすふる音して、扇・畳紙など、昨夜枕上(まくらがみ)に置きしかど、おのづから引かれ散りにけるを求むるに、暗ければ、いかでかは見えむ、「いづら、いづら」と叩きわたし、見出でて、扇ふたふたと使ひ、懐紙さし入れて、「まかりなむ」とばかりこそ言ふらめ。

[現代語訳]

60段

明け方(暁)に女の所から帰っていく男は、装束の服装などを大変きちんとして、烏帽子の緒や元結をしっかりと結ばなくても良いだろうと思うもの(気が緩むもの)だ。とてもだらしがなくて、みっともない姿で、直衣・狩衣などが歪んでいても、誰がそれを見つけて笑ったり非難したりするだろうか。

男というものはやはり、明け方の女の所から帰る様子が、風情があって魅力的であって欲しいものなのだ。やむを得ずに渋々と起きにくいような感じの男が、女から無理に急き立てられて、「夜が明けてしまいますよ。もう、世間体が悪くなってしまいます。」などと言われ、男が嘆いているような様子も、本当に満ち足りない気持ちで憂鬱に感じているように見える。

指貫なども、座ったままで着ようともせず、まず女に近寄って、夜に言った口説き文句の余韻を女の耳に囁き入れて、別に着物を着るようでもないけれど、気がつくといつの間にか帯などを結ぶようだ。格子を押し上げ、妻戸ではそのまま一緒に女を連れて行って、昼間に会えないでいる間、どんなに気がかりであるかという別れの言葉を女の耳に囁きながら、滑るようにして出て行く。こんな感じなので、つい見送らないではいられない、逢瀬の余韻は素晴らしいものになる。

何かを思い出したように、とてもすっきりと起き上がって、ぱたぱたと騒いで、指貫の腰紐をごそごそと結んで、直衣や袍、狩衣も袖をまくって、几帳面に腕を差し入れ、帯をとても固く結び終えてから、そこに少し座って、烏帽子の緒をきゅっときつく結び入れて、きちんと烏帽子をかぶり直す音がする。扇・畳紙などを昨夜、枕元に置いたのだけれど、自然にあちこちに散らかってしまい、それを探すけれど暗いのでどうして見つけることができるだろうか。「どこだ、どこだ」と手でそこら辺を叩き回って、ようやく見付けて、扇をパタパタと使い、懐紙をしまい込んで、「それでは失礼します(お暇します)」とだけ言うのだろう。

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