『枕草子』の現代語訳:38

清少納言(康保3年頃(966年頃)~万寿2年頃(1025年頃))が平安時代中期に書いた『枕草子(まくらのそうし)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。『枕草子』は中宮定子に仕えていた女房・清少納言が書いたとされる日本最古の女流随筆文学(エッセイ文学)で、清少納言の自然や生活、人間関係、文化様式に対する繊細で鋭い観察眼・発想力が反映された作品になっています。

『枕草子』は池田亀鑑(いけだきかん)の書いた『全講枕草子(1957年)』の解説書では、多種多様な物事の定義について記した“ものづくし”の『類聚章段(るいじゅうしょうだん)』、四季の自然や日常生活の事柄を観察して感想を記した『随想章段』、中宮定子と関係する宮廷社会の出来事を思い出して書いた『回想章段(日記章段)』の3つの部分に大きく分けられています。紫式部が『源氏物語』で書いた情緒的な深みのある『もののあはれ』の世界観に対し、清少納言は『枕草子』の中で明るい知性を活かして、『をかし』の美しい世界観を表現したと言われます。

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石田穣二『枕草子 上・下巻』(角川ソフィア文庫),『枕草子』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),上坂信男,神作光一など『枕草子 上・中・下巻』(講談社学術文庫)

[古文・原文]

68段

たとしへなきもの

夏と冬と。夜と昼と。雨降る日と照る日と。人の笑ふと腹立つと。老いたると若きと。白き黒きと。思ふ人と憎む人と。同じ人ながらも心ざしあるをりとかはりたるをりは、誠に異人(ことひと)とぞおぼゆる。火と水と。肥えたる人、痩せたる人。髪長き人と短き人と。

69段

夜烏(よがらす)どものゐて、夜中ばかりに、いね騒ぐ。落ちまどひ、木伝ひて、寝起きたる声に鳴きたるこそ、昼の目に違ひてをかしけれ。

[現代語訳]

68段

正反対なもの

夏と冬と。夜と昼と。雨降る日と太陽の照る日と。人が笑うのと腹が立つのと。老いている人と若い人と。白いのと黒いのと。愛す人と憎む人と。同じ人でありながら、自分に対して愛情のある時と心変わりしてしまった時とでは、本当に別人のように思われる。火と水と。太った人と痩せた人と。髪が長い人と髪が短い人と。

69段

夜烏が沢山木に止まっていて、夜中頃、寝ぼけて騒いでいる。木から落ちそうになって慌てふためき、枝を伝って歩いて、今目が覚めたような声を出して鳴いたのは、昼間の憎たらしい姿とは違っていて趣きがある。

[古文・原文]

70段

忍びたる所にありては、夏こそをかしけれ。いみじく短き夜の明けぬるに、つゆ寝ずなりぬ。やがてよろづの所あけながらあれば、涼しく見えわたされたる、なほ今すこし言ふべきことのあれば、かたみに答へ(いらえ)などするほどに、ただ居たる上より、烏の高く鳴きて行くこそ、顕証(けしょう)なるここちして、をかしけれ。

また、冬の夜いみじう寒きに、埋もれ臥して聞くに、鐘の音の、ただ物の底なるやうに聞ゆる、いとをかし。鶏の声も、はじめは羽のうちに鳴くが、口を籠めながら鳴けば、いみじうもの深く遠きが、明くるままに近く聞ゆるも、をかし。

[現代語訳]

70段

人目を忍んで逢引する場所では、夏が一番情趣がある。とても短い夏の夜がもう明けてしまったので、一晩中、全く眠らずにいた。どこも昼間と同じように開け放したままで夜を過ごしたので、庭を涼しげに見渡すことができる。やはりまだ少し話し足りないことがあるので、お互いに受け答えをしているうちに、座っている頭の上を、鳥が高い声で鳴きながら飛んでいくのは、誰かに見られているような気持ちがして面白いものだ。

また、非常に寒い冬の夜に、夜具に埋もれて寝たまま聞いていると、お寺の鐘の音がまるで物の底で鳴るかのように、音が籠って聞こえるのが面白い。鶏の声も初めは羽の中で鳴くのだが、口を突っ込むようにして鳴くので、とても深くて遠い場所から聞こえていた鳴き声が、夜が明けてくると段々近くで鳴いているように聞こえてくるのが面白い。

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