『枕草子』の現代語訳:42

清少納言(康保3年頃(966年頃)~万寿2年頃(1025年頃))が平安時代中期に書いた『枕草子(まくらのそうし)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。『枕草子』は中宮定子に仕えていた女房・清少納言が書いたとされる日本最古の女流随筆文学(エッセイ文学)で、清少納言の自然や生活、人間関係、文化様式に対する繊細で鋭い観察眼・発想力が反映された作品になっています。

『枕草子』は池田亀鑑(いけだきかん)の書いた『全講枕草子(1957年)』の解説書では、多種多様な物事の定義について記した“ものづくし”の『類聚章段(るいじゅうしょうだん)』、四季の自然や日常生活の事柄を観察して感想を記した『随想章段』、中宮定子と関係する宮廷社会の出来事を思い出して書いた『回想章段(日記章段)』の3つの部分に大きく分けられています。紫式部が『源氏物語』で書いた情緒的な深みのある『もののあはれ』の世界観に対し、清少納言は『枕草子』の中で明るい知性を活かして、『をかし』の美しい世界観を表現したと言われます。

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石田穣二『枕草子 上・下巻』(角川ソフィア文庫),『枕草子』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),上坂信男,神作光一など『枕草子 上・中・下巻』(講談社学術文庫)

[古文・原文]

77段

御仏名(おぶつみょう)のまたの日、地獄絵の御屏風(おびょうぶ)とりわたして、宮に御覧ぜさせたてまつらせたまふ。ゆゆしういみじきこと限りなし。「これ見よ、これ見よ。」と仰せらるれど、「さらに見侍らじ」とて、ゆゆしさに、こへやに隠れ臥しぬ。

雨いたう降りて徒然なりとて、殿上人、上の御局(おつぼね)に召して、御遊びあり。道方(みちかた)の少納言、琵琶、いとめでたし。済政(なりまさ)、筝の琴(しょうのこと)、行義(ゆきよし)、笛、経房(つねふさ)の中将、笙の笛(しょうのふえ)など、おもしろし。一わたり遊びて、琵琶弾きやみたるほどに、大納言殿「琵琶、声やんで、物語せむとすること遅し」と誦(ず)じ給へりしに、隠れ臥したりしも起き出でて、「なほ罪は恐ろしけれど、もののめでたさは、やむまじ」とて、笑はる。

[現代語訳]

77段

御仏名の翌日、地獄絵の御屏風をこちらに持ってこさせて、帝が中宮にお見せになられる。地獄絵はひどく恐ろしいこと(不気味なこと)この上ない。帝はわざと「これを見よ。これを見よ。」とおっしゃるのだが、私は「もうこれ以上は見ません。」と申し上げて、恐ろしいので、小部屋に引っ込んで寝てしまった。

雨がひどく降っていて手持ち無沙汰だったので、殿上人を上の御局にお召しになって、音楽の遊びの会を開かれた。道方(みちかた)の少納言の琵琶の演奏が、とても素晴らしい。済政(なりまさ)の筝の琴、行義(ゆきよし)の横笛、経房の中将が笙の笛なども面白い。一通り演奏して、琵琶も弾き終わったところで、大納言様が「琵琶の声がやんだというのに、物語をするのが遅い」と吟じられたので、隠れて眠っていた中宮が起きだしてきて、「やはり仏罰は恐ろしいですけど、素晴らしいものに惹かれるこの性格は変わらないでしょうね。」と言って、一同に笑われた。

[古文・原文]

78段

頭の中将(とうのちゅうじょう)の、すずろなるそら言を聞きて、いみじう言ひおとし、「なにしに人と思ひほめけむ」など、殿上にていみじうなむのたまふと聞くにも、はづかしけれど、「まことならばこそあらめ、おのづから聞き直し給ひてむ」と、笑ひてあるに、黒戸(くろと)の前など渡るにも、声などする折は、袖をふたぎて、つゆ見おこせず、いみじうにくみたまへば、ともかうも言はず、見も入れで過す(すぐす)に、二月つごもり方、いみじう雨降りてつれづれなるに、御物忌(おんものいみ)に籠りて、「『さすがにさうざうしくこそあれ。ものや言ひやらまし』となむ、のたまふ」と人々語れど、「よにあらじ」など、答へて(いらえて)あるに、日一日(ひひとひ)、下にゐ暮して参りたれば、夜の御殿(おとど)に入らせ給ひにけり。

長押(なげし)の下に火近く取り寄せて、扁(へん)をぞつく。「あなうれし。とくおはせ。」など、見つけて言へど、すさまじき心地して、何しに上りつらむと、おぼゆ。炭櫃(すびつ)のもとに居たれば、そこにまたあまた居て、ものなど言ふに、「なにがしさぶらふ」と、いとはなやかに言ふ。「あやし。いつの間に、何事のあるぞ」と、問はすれば、主殿司(とのもりづかさ)なりけり。

「ただここもとに、人伝てならで申すべきことなむ。」と言へば、さし出でて問ふに、「これ、頭の殿の奉らせたまふ。御返事(おんかえりごと)、とく」と言ふ。いみじくにくみたまふに、いかなる文ならむと思へど、ただ今、急ぎ見るべきにもあらねば、「去ね(いね)。今、聞えむ。」とて、懐にひき入れて入りぬ。なほ人のもの言ふ、聞きなどする、すなはち立ち帰り来て、「『さらば、そのありつる御文(おふみ)を賜りて来(こ)』となむ、仰せらるる。とくとく(疾く疾く)」と言ふが、あやしう、伊勢の物語なりや、とて、見れば、青き薄様(うすよう)に、いと清げに書き給へり。心ときめきしつるさまにもあらざりけり。

蘭省花時錦帳下

と書きて、「末はいかに、末はいかに。」とあるを、いかにかはすべからむ、御前おはしまさば、御覽ぜさすべきを、これが末を知り顔に、たどたどしき真名(まんな)に書きたらむも、いと見苦しと、思ひまはすほどもなく責めまどはせば、ただその奥に、炭櫃(すびつ)に消え炭のあるして、

草の庵を誰か尋ねむ

と書きつけて取らせつれど、また返事も言はず。

[現代語訳]

78段

頭の中将が、私(清少納言)についてのいい加減な嘘を聞いて、私のことをとてもひどく貶している。「どうしてあんな人を褒めてしまったのだろうか。」などと殿上の間でひどく悪くおっしゃっているのを聞くと、恥ずかしいけれど、「本当のことであれば仕方がないが、(根拠のない嘘なのだから)自然に私について思い直してくれるだろう。」と笑って済ませていたのだが、黒戸の前などを通る時にも、私の声が聞こえる時には、袖で顔をふさいでまったくこちらを見向きもしない。ひどく私を憎んでいらっしゃる様子なので、こちらも釈明もせず、見ないようにして過ごしていると、二月の終わり頃、ひどい雨が降って退屈な時に、宮中の物忌みで殿上の間に籠ることになって、「『さすがに(清少納言を無視していると)物足りなく感じるな。何かものを言ってやろうか』とおっしゃっておられる。」と人々の話を聞いたけれど、私は「まさかそんな事はあるまい。」などと答えて、一日中、局に下って過ごしていて、夜に中宮の御前にお伺いした。

女房たちは長押の下で、ともし火を近くに取り寄せて、文字の扁(へん)に旁(つくり)を付ける遊びをしている(『扁をつく』の正しい意味は明らかになっていない)。「あぁ、嬉しい。早くいらっしゃい。」などと、私を見つけて言うけれど、面白くない気持ちがしておやすみになられたのに、どうして参上などしてしまったのだろうと思う。囲炉裏の近くに座っていると、そこにまた大勢の人が来て話すことになる。「誰それが伺っています」と、とても賑やかに私に言ってくる。「怪しいわね。参上したばかりなのに、どんな用事があるというのだろう。」と使いの者に質問させると、主殿司(とのもりづかさ)なのだった。

「ただここで、人づてではなく私から直接申し上げたいことがあります。」と主殿司が言うので、出て行って質問すると、「これは、頭の殿からのお手紙です。早くお返事を下さい。」と言う。とても私のことを憎んでいらっしゃるはずなのに、どんな手紙なのだろうと思うけれど、今すぐに急いで見るべき手紙でもないので、「去りなさい。今、要件は承りました(しばらくしてから返事は書きます)。」と言って、手紙を懐に引き入れて奥に下がった。人と話をしていると、すぐにさきほどの使いが引き返してきて、「『それならば、さっきの手紙を返してもらってこい、』と頭の殿がおっしゃっています。早くお返事を下さい。」と言うが、どうも怪しい。これでは伊勢の物語(あるいは魚の物語(いをのものがたり))ではないかと思って手紙を見ると、青い薄様の紙に、とても丁寧に書かれておられる。(手紙の内容は)心がときめくようなものではなかった。

「『さらば、そのありつる御文(おふみ)を賜りて来(こ)』となむ、仰せらるる。とくとく(疾く疾く)」と言ふが、あやしう、伊勢の物語なりや、とて、見れば、青き薄様(うすよう)に、いと清げに書き給へり。心ときめきしつるさまにもあらざりけり。

蘭省花時錦帳下

と書いて、「これに続く下の句はどんなものでしょうか。」とあるが、どのような返事をすべきだろうか。中宮様が起きていらっしゃれば御覧になってもらって相談できるのだが、これの下の句をいかにも知っていますという顔をして、下手な漢字で書いてあげるのも、とても見苦しいことになる。そうこう思って迷っているうちにも、返事を催促してくるので、ただその紙の奥に、囲炉裏から取った消え炭で、

草の庵を誰か尋ねむ

と書きつけて返事をしたけれど、あちらからの返事は来なかった。

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