『枕草子』の現代語訳:47

清少納言(康保3年頃(966年頃)~万寿2年頃(1025年頃))が平安時代中期に書いた『枕草子(まくらのそうし)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。『枕草子』は中宮定子に仕えていた女房・清少納言が書いたとされる日本最古の女流随筆文学(エッセイ文学)で、清少納言の自然や生活、人間関係、文化様式に対する繊細で鋭い観察眼・発想力が反映された作品になっています。

このウェブページでは、『枕草子』の『職の御曹司におはしますころ、西の廂に不断の御読経あるに~』の部分の原文・現代語訳を紹介します。

参考文献(ページ末尾のAmazonアソシエイトからご購入頂けます)
石田穣二『枕草子 上・下巻』(角川ソフィア文庫),『枕草子』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),上坂信男,神作光一など『枕草子 上・中・下巻』(講談社学術文庫)

[古文・原文]

83段

職の御曹司(しきのおんぞうし)におはしますころ、西の廂(ひさし)に不断の御読経あるに、仏など掛け奉り、僧どものゐたるこそ、更なる事なれ。二日ばかりありて、縁のもとにあやしき者の声にて、「なほ、かの御仏供(おんぶく)のおろし侍りなむ」と言へば、(僧)「いかでか、まだきには」と言ふなるを、何の言ふにかあらむとて、立ち出でて見るに、なま老いたる女法師の、いみじう煤け(すすけ)たる狩袴(かりばかま)の、竹の筒とかやのやうに細く短き、帯より下五寸ばかりなる、衣とかやいふべからむ、同じやうに煤けたるを着て、猿さまにて言ふなりけり。

(清少納言)「かれは、何事言ふぞ」と言へば、声ひきつくろひて、「『仏の御弟子にさぶらへば、御仏供のおろし賜べむ(たべん)』と申すを、この御坊たちの惜しみたまふ」と言ふ。はなやぎ、みやびかなり。かかる者は、うちうんじたるこそ、哀れなれ、うたても花やぎたるかな、とて、(清少納言)「異物(こともの)は食はで、ただ仏の御おろしをのみ食ふか。いと尊き事かな」と言ふけしきを見て、「などか、異物もたべざらむ。それがさぶらはねばこそ、取り申しつれ」と言へば、くだもの、ひろき餅(もちひ)などを、物に入れて取らせたるに、無下に仲よくなりて、よろづのこと語る。

[現代語訳]

83段

職の御曹司(しきのおんぞうし)に中宮がいらっしゃった頃、西の廂で絶えることのない御読経があって、本尊の仏様の絵などを掛けて、僧侶たちが拝んでいる、これは今更言うまでもないことだ。

二日ほど経って、縁の下に怪しげな者の声で、「やはり、あの仏様のお供え物のおさがりはあるでしょうに」と言うので、僧侶たちは「どうしておさがりがあるだろうか、まだ終わってもいないのに」と答えた。一体誰がこんなことを言っているのだろうと、顔を出して見てみると、もう年老いた女法師が、ひどく汚れた狩袴の竹の筒とかいう物のように細くて短い袴をはいており、帯から下が五寸ほどしかない、これが衣と言えるだろうかという同じようにすすけた衣を着て、まるで猿のような姿をしたものが言っていたのだった。

「あの女法師は、何を言っているのか」と清少納言が問うと、声を取り繕った女法師(尼僧)が、「『私も仏弟子でございますから、仏様のお供えのおさがりを頂きます』と申し上げたのですが、あのお坊さん達が物惜しみをするのです」と答えた。女法師は華やいでいて、上品な感じを装っている。このような者(乞食の尼僧)は、しょぼくれて惨めなほうが哀れなのだが、やけに華やかな感じだなと思って、「他の物は食べないで、ただ仏様のおさがりだけを食べるのか。とても尊いこと(ありがたいこと)ですね」と言う(からかっているような)様子を見て、「どうして、他の物を食べないことなどあるでしょうか。それが無いからこそ、仏様のおさがりを頂こうとしているのです」と言うので、果物やのし餅などを、容れ物に入れて上げると、とても仲良くなってきて、色々なことを語ってくれた。

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[古文・原文]

83段:続き

若き人々出で来て(いできて)、「男やある」「子やある」「いづくにか住む」など、口々問ふに、をかしきこと、そへごとなどをすれば、「歌は歌ふや、舞などはするか」と問ひも果てぬに、「夜は誰とか寝む。常陸介(ひたちのすけ)と寝む、寝たる肌よし」これが末、いと多かり。

また「男山の峰のもみぢ葉、さぞ名は立つや、さぞ名は立つや」と頭をまろばし振る。いみじうにくければ、笑ひにくみて、(女房)「去ね。去ね(いね。いね)」と言ふに、(清少納言)「いとほし。これになに取らせむ」と言ふを聞かせ給ひて、(宮)「いみじう、などかくかたはらいたき事はせさせつるぞ。え聞かで、耳をふたぎてぞありつる。その衣(きぬ)一つ取らせて、疾く(とく)やりてよ」と、仰せらるれば、(清少納言)「これ、賜はするぞ。衣すすけためり。白くて着よ」とて、投げ取らせたれば、伏し拝みて、肩にうち置きては舞ふものか。誠ににくくて、皆入りにし後、ならひたるにやあらむ、常に見えしらがひありく。やがて常陸介とつけたり。衣も白めず、同じすすけにてあれば、(女房)「いづちやりてけむ」など、にくむ。

右近の内侍(うこんのないし)の参りたるに、(宮)「かかる者をなむ、かたらひつけて置きためる。すかして、常にくること」とて、ありしやうなど、小兵衛(こひょうえ)といふ人にまねばせて聞かせさせ給へば、(右近内侍)「かれ、いかで見侍らむ。かならず見せさせ給へ。御得意ななり。更によもかたらひ取らじ」など笑ふ。

[現代語訳]

83段:続き

若い女房たちも出て来て、「夫はいるか」「子供はいるか」「どこに住んでいるのか」など口々に質問すると、面白いことや飾った冗談などを言うので、「歌は歌うのか、舞などはするのか」と質問が終わらないうちに。「夜は誰とか寝む。常陸介と寝む、寝たる肌よし」と歌い始めたが、この先もまだとても沢山ある。

また、「男山の峰のもみぢ葉、さぞ名は立つや、さぞ名は立つや」と首を振りながら歌う。とても憎らしくとんでもない歌なので、笑いながら憎しみを出して、「帰りなさい。帰りなさい」と言うと、清少納言が「このままでは可哀想です。この女法師に何を与えようか」と言うのを中宮がお聞きになられて、「ひどいものだ、どうしてこのようなとんでもない歌ばかり歌わせたのか。私は全く聞かないで、耳を塞いでいましたよ。その衣を一枚与えて、早く帰らせなさい」とおっしゃられた。「この衣を与えるぞ。衣がすすけて汚れている。白くて綺麗な衣を着なさい」と言って、投げて与えたところが、伏して拝んで、(正式な作法どおりに)衣を肩に掛けてから舞うではないか。その様子が本当に憎らしくて、みんな中に入ってしまったのだが、その後、癖になってしまったのだろうか、いつも姿を見せてうろつくようになった。やがて常陸介と渾名がつけられた。着物も白くならず、前と同じすすけた服を着ているので、「あの衣はどこにやってしまったのだろう」などと言って憎らしく思う。

右近の内侍が参上した時、中宮が「このような者を、女房たちが手懐けて置いているようです。上手いことを言って、いつも来ています」とおっしゃって、その様子などを、小兵衛という女房に口真似させてお聞かせになると、右近の内侍は「ぜひ、その者を見てみたいものです。必ず見せてくださいね。こちらのお馴染みのようですから、絶対に横取りするような事はしません」などと言って笑う。

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