『枕草子』の現代語訳:53

清少納言(康保3年頃(966年頃)~万寿2年頃(1025年頃))が平安時代中期に書いた『枕草子(まくらのそうし)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。『枕草子』は中宮定子に仕えていた女房・清少納言が書いたとされる日本最古の女流随筆文学(エッセイ文学)で、清少納言の自然や生活、人間関係、文化様式に対する繊細で鋭い観察眼・発想力が反映された作品になっています。

このウェブページでは、『枕草子』の『年若き人の、さる顕証のほどなれば、言ひにくきにや~』の部分の原文・現代語訳を紹介します。

参考文献(ページ末尾のAmazonアソシエイトからご購入頂けます)
石田穣二『枕草子 上・下巻』(角川ソフィア文庫),『枕草子』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),上坂信男,神作光一など『枕草子 上・中・下巻』(講談社学術文庫)

[古文・原文]

86段(終わり)

年若き人の、さる顕証(けしょう)のほどなれば、言ひにくきにや、返しもせず。そのかたはらなる人どもも、ただうち過ぐしつつ、ともかくも言はぬを、宮司(みやづかさ)などは耳とどめて聞きけるに、久しうなりげなるかたはらいたさに、異方(ことかた)より入りて女房の許(もと)に寄りて、「など、かうはおはするぞ」などぞ、ささめくなる。

四人ばかりを隔てて居たれば、よう思ひ得たらむにても言ひにくし。まいて、歌詠むと知りたる人のおぼろけならざらむは、いかでかと、つつましきこそはわろけれ。「詠む人はさやはある。いとめでたからねど、ふとこそうち言へ」と爪はじきをしありくがいとほしければ、

(清少納言)うは氷あはに結べる紐なればかざす日かげにゆるぶばかりを

と、弁のおもとといふに伝へさすれば、消え入りつつえも言ひやらねば、(実方)「なにとか、なにとか」と、耳を傾けて問ふに、少しことどもりする人の、いみじうつくろひ、めでたしと聞かせむと思ひければ、え聞きつけずなりぬるこそ、なかなか恥隠す心地して、よかりしか。

上る(のぼる)送りなどに、なやましと言ひて行かぬ人をも、のたまはせしかば、ある限り連れだちて異(こと)にも似ず、あまりこそうるさげなめれ。舞姫は相尹(すけまさ)の馬の頭の女、染殿の式部卿の宮の上の御おとうとの四の君の御腹、十二にて、いとをかしげなりき。

果ての夜も、おひかづき出でも騒がず、やがて仁寿殿(じじゅうでん)より通りて、清涼殿の御前の東の簀子より、舞姫を先にて、上の御局に参りしほども、をかしかりき。

[現代語訳]

86段(終わり)

小兵衛は年齢が若い女房で、そんなに人目につく場所だったから、言いにくいのだろうか、返歌もしてこない。その側にいた女房たちも、ただそのままでいて、何も言わないのを、宮司の中宮職の役人などは、実方の歌を耳をそばだてて聞いていたのに、返歌に時間がかかりそうなのを我慢できずに、別の所から入って女房の元に近寄って、「どうして、このように機転が利かないのですか」などと、文句を囁いているようだ。

私は小兵衛から4人ほど隔てて座っていたから、いい歌を思いついたとしても、返歌を言い難い場所だ。まして、世に歌詠みと知られた実方の中将の並々ではない様子は、どのようにして返歌などできるだろうかと、遠慮してしまうのは情けない。役人が「歌を詠む人がそのようではいけません。そんなに素晴らしい歌ではなくても、ふと素早く詠むものですよ」と非難して回るのが申し訳ないので、

(清少納言)うは氷あはに結べる紐なればかざす日かげにゆるぶばかりを

と詠んで、弁のおもとという女房に取り次がせると、この人も(恥ずかしがって)消え入るような小さな声でした伝えられないので、実方の中将が「何と言いましたか、何と言いましたか」と、耳を傾けて聞くので、少しどもる癖があるこの女房が、とても格好つけて、相手に素晴らしいものとして聞かせようと思ったから、中将は話の内容を聞き取ることができず、逆に私の恥を隠してくれる感じになって良かった。

舞姫が参上する送りなどに、体調が悪いと言って行かない女房も、中宮が行くようにおっしゃったので、みんなが連れ立って出かけたことなど、他の舞姫とは違っていて、あまりに立派に見えたものである。舞姫は、相尹(すけまさ)の馬の頭の娘、染殿の式部卿の宮の北の方の妹さん四の君の腹で、十二歳でとても可愛らしかった。

最後の辰の日の夜も、舞姫を背負って退出するような騒ぎもなく、そのまま仁寿殿を通って引き返し、清涼殿の東面の簀子を渡って、舞姫を先に立てて、上の御局の中宮の所に参上した姿も素晴らしかった。

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[古文・原文]

87段

細太刀(ほそだち)に平緒つけて、清げなる男の持てわたるも、なまめかし。

88段

内裏(うち)は、五節(ごせち)のころこそ、すずろにただなべて見ゆる人もをかしう覚ゆれ。殿司(とのもづかさ)などの、色々の細工(さいで)を物忌(ものいみ)のやうにて、釵子(さいし)に付けたるなども、めづらしう見ゆ。宣耀殿(せんようでん)の反橋(そりはし)に、元結(もとゆひ)のむら濃(むらご)いとけざやかにて出で居たるも、さまざまにつけてをかしうのみぞある。

上雑仕(うえぞうし)、童女(わらわべ)も、いみじき色節(いろふし)と思ひたる、ことわりなり。山藍(やまあい)、日蔭など、柳筥(やないばこ)に入れて、冠(こうぶり)したる男など持てありくなど、いとをかしう見ゆ。殿上人の、直衣(なおし)脱ぎ垂れて、扇やなにやと拍子にして、「つかさまさりと、しき波ぞ立つ」といふ歌を歌ひて、局どもの前わたる、いみじう立ち馴れたらむここちも騒ぎぬべしかし。まいて、さと一度にうち笑ひなどしたるほど、いと恐ろし。

行事の蔵人の掻練襲(かいねりがさね)、物よりことにきよらに見ゆ。褥(しとね)など敷きたれど、なかなかえも上り居ず、女房の出で居たるさま、ほめそしり、このころは異事(ことこと)なかめり。帳台(ちょうだい)の夜、行事の蔵人の、いときびしうもてなして、かいつくろひ、二人の童女より他には、すべて入るまじと、戸をおさへて面(おも)にくきまで言へば、殿上人なども、「猶これ一人は」などのたまふを。「うらやみありて、いかでか」など、かたく言ふに、宮の女房の、二十人ばかり、蔵人を何ともせず、戸を押しあけて、さめき入れば、あきれて、「いと、こは、ずちなき世かな」とて、立てるもをかし。それにつきてぞ、かしづきどもも皆入るけしき、いとねたげなり。上もおはしまして、をかしと御覧じおはしますらむかし。

灯台に向ひて居たる顔どもも、らうたげなり。

[現代語訳]

87段

細太刀に平緒を巻きつけて、さっぱりした小者が持って通っているのも優美な感じである。

88段

内裏は五節の頃が、特にありふれた宮人たちも、素晴らしい姿に見えるものである。殿司の女官などが、色々な小切れを物忌みのように釵子(さいし)に付けた様子も、珍しいものに見える。宣耀殿の反渡殿に、髪上げした元結の紫のむら濃も色鮮やかなもので、女官たちが座っている様子も、何かにつけて風情があるものである。

(五節の舞姫のために参上した)上雑仕や童女たちも、とても素晴らしいことだと思っているのも最もなことである。小忌衣を摺る山藍(やまあい)や冠につける日陰のかずらなどを柳箱に入れて、元服したばかりの男たちが持って歩いている様子が、とても面白いものに見える。殿上人が直衣の肩を脱いで衣が垂れていて、扇か何かで拍子を打って、「つかさまさりと、しき波ぞ立つ」という歌を謡って、五節所の前を通るのは、宮中にとても慣れている女房だってドキドキして落ち着かないはずである。まして、殿上人たちが一斉にどっとお笑いになる時などは、とても恐ろしい。

行事の蔵人の紅色の下襲(したがさね)が、何ものよりも清らかなものに見える。敷物などが敷いてあるけれども、かえってその上に座っていることもできず、五節所の女房の簾から押し出した衣裳を褒めたり謗ったりして、この頃は他のことは何も考えられないようだ。帳台の夜、行事の蔵人がとてもうるさいことを言って、髪を繕う役人と二人の童女以外は、舞殿の中に入ってはいけないと、戸を押さえて憎らしいような顔で言うので、殿上人なども、「まぁまぁ、この女房一人くらいはいいではないか」などとおっしゃっている。

しかし、「羨ましいと思う人が出ますから、どうでしょうか(一人だけでも特別扱いはできません)」などと頑固に言うのだが、中宮の女房の二十人ばかりは、蔵人を相手にせずに、戸をそのまま押し開けて、中に入ってしまったので、飽きれて、「あぁ、これは、どうしようもない無法な世の中だな」と言って、ぼーっと蔵人が立っているのもおかしい。それに続いて、舞姫の付き人の女房たちもみんな入っていく様子は、蔵人がとても不満そうだ。 帝もいらっしゃって、面白いと思って御覧になっていることだろう。

燈台に向かって座っている4人の舞姫の顔も、可愛らしい感じである。

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