『枕草子』の現代語訳:64

清少納言(康保3年頃(966年頃)~万寿2年頃(1025年頃))が平安時代中期に書いた『枕草子(まくらのそうし)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。『枕草子』は中宮定子に仕えていた女房・清少納言が書いたとされる日本最古の女流随筆文学(エッセイ文学)で、清少納言の自然や生活、人間関係、文化様式に対する繊細で鋭い観察眼・発想力が反映された作品になっています。

このウェブページでは、『枕草子』の『はるかなるもの 半臂の緒ひねりはじむる~』の部分の原文・現代語訳を紹介します。

参考文献(ページ末尾のAmazonアソシエイトからご購入頂けます)
石田穣二『枕草子 上・下巻』(角川ソフィア文庫),『枕草子』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),上坂信男,神作光一など『枕草子 上・中・下巻』(講談社学術文庫)

[古文・原文]

103段

はるかなるもの

半臂(はんぴ)の緒(お)ひねりはじむる。陸奥国(みちのくに)へ行く人の、逢坂(おうさか)越ゆるほど。生れたるちごの大人になるほど。

104段

方弘(まさひろ)は、いみじう人に笑はるる者かな。親など、いかに聞くらむ。供にありく者の、いとびびしきを呼び寄せて、「なにしにかかる者には使はるるぞ。いかがおぼゆる」など笑ふ。

物いとよくするあたりにて、下襲(したがさね)の色、袍(うへのきぬ)なども、人よりもよくて着たるをば、「これを異人(ことひと)に着せばや」など言ふに、げにまた、言葉づかいなどぞあやしき。里に宿直物(とのゐもの)取りにやるに、(方弘)「をのこ二人まかれ」と言ふを、「一人して取りにまかりなむ」と言ふ。「あやしの男(をのこ)や。一人して二人が物をば、いかでか持たるべきぞ。一升瓶(ひとますがめ)に二升は入るや」と言ふを、なでふ事と知る人はなけれど、いみじう笑ふ。

人の使の来て、「御返事、疾く(とく)」と言ふを、「あな、にくの男や。など、かうまどふ。竈(かまど)に豆やくべたる。この殿上の墨、筆は、何の盗み隠したるぞ。飯(いひ)、酒ならばこそ、人も、ほしがらめ」と言ふを、また笑ふ。

[現代語訳]

103段

先が遠いもの

袍(うえのきぬ)と下襲(したがさね)の間に着る半臂(はんぴ)の緒を、糊をつけてひねり始めること。奥州に行く人が、逢坂の関を越える時。生まれたばかりの赤ちゃんが大人になるまでの間。

104段

方弘(まさひろ)は、とても人に笑われている者である。親などは、息子が笑われるのをどんな気持ちで聞いているだろう。方弘の従者の中でとても気が効く者を呼び寄せて、「どうしてあんな者に使われているのか。どんな気持ちなのか」などと言って笑っている。

方弘の家は衣服をよく縫製する家なので、下襲の色や袍などでも、人よりも立派なものを着ているが、「これは他の人に着せたいものだ」などと言われるのだが、本当にまた、言葉遣いなどにも怪しいところがある。里に宮中の宿直用の衣類などを取りに行かせるのに、方弘が「男二人で行って来い」と言ったが、従者が「私ひとりで取りに行ってきましょう」と言ってくる。「おかしな男だな。一人だけで二人で運ぶ多くの物を、どうして持ってくることができるのか。一升瓶に二升は入らないだろう」と言うと、何を言っているか分かる人はいないけれど、たいそうお笑いになる。

人の使いがやって来て、「お返事を早く」と言うと、「あぁ、憎たらしい男だな。どうして、そんなに慌てるんだ。竈に豆でもくべているのか。この殿上の間の墨や筆は、誰が盗んで隠したのか。飯や酒であれば、欲しがるだろうが」と言うのを、人々はまた笑う。

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[古文・原文]

104段(終わり)

女院なやませ給ふとて、御使にまゐりて帰りたるに、「院の殿上には、誰々かありつる」と、人の問へば、「それ、かれ」など、四五人ばかり言ふに、「また誰か」と問へば、「さて、去ぬる(いぬる)人どもぞありつる」と言ふも、笑ふもまたあやしき事にこそはあらめ。

人間に(ひとま)寄り来て、「わが君こそ、物聞えむ。『まづ』と人ののたまひつる事ぞ」と言へば、「何事ぞ」とて、几帳(きちょう)のもとにさし寄りたれば、「躯籠(むくろごめ)に寄り給へ」と言ひたるを、「五体ごめ」となむ言ひつるとて、また笑はる。

除目(じもく)の中の夜、指油(さしゆ)するに、燈台(とうだい)の打敷(うちしき)を踏みて立てるに、新しき油単(ゆたん)に襪(したうづ)は、いとよくとらへられにけり。さし歩みて帰れば、やがて燈台は倒れぬ。襪(したうづ)に打敷(うちしき)付きて行くに、まことに大地震動したりしか。

頭(とう)つき給はぬ限りは、殿上の台盤には、人も着かず。それに豆一盛をやをら取りて、小障子の後にて食ひければ、引きあらはして笑ふ事限りなし。

[現代語訳]

104段(終わり)

女院がご病気になられて、帝の手紙のお使いとして帰ってきた時、「院の殿上には、どんな人が参上していたか」と人が問うと、「この人、あの人」など、四~五人ばかり名前を上げて言ったが、「その他にはどんな人がいたか」と聞くと、「さて、途中で帰ってしまった人たちもいたが」と答える。これを笑う人々もまた、おかしいことだと言わなければならないだろう。

方弘が人がいない時に寄って来て、「あなた様にお伝えしたいことがあります。『まず初めに』と人がおっしゃっていた事ですよ」と言うので、「何事ですか」と清少納言が言って、几帳の所に近寄ったところ、「体ごと寄って下さい」と言うべきところで、「五体ごと」と言ったということで、また笑われた。

除目の中の夜、受け皿に油を注すのに、燈台の下の敷物を踏んで立っていたが、新しい油単だったので、方弘の襪(したうづ)がとてもよくくっついてしまった。そのままのし歩いて帰ったので、やがて燈台は倒れてしまった。襪(したうづ)に敷物がくっついていったりして、本当に大地震が起こったような騒動だった。

蔵人頭がご着席にならない限りは、殿上の間の台盤には誰も着席しない。それなのに、方弘は豆の一盛を静かに取って、小さい障子の後ろに隠れて食べていたので、その様子を誰かが引いて話し、大笑いになることこの上が無かった。

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