『枕草子』の現代語訳:66

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清少納言(康保3年頃(966年頃)~万寿2年頃(1025年頃))が平安時代中期に書いた『枕草子(まくらのそうし)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。『枕草子』は中宮定子に仕えていた女房・清少納言が書いたとされる日本最古の女流随筆文学(エッセイ文学)で、清少納言の自然や生活、人間関係、文化様式に対する繊細で鋭い観察眼・発想力が反映された作品になっています。

このウェブページでは、『枕草子』の『関は逢坂、須磨の関。鈴鹿の関。岫田の関~』の部分の原文・現代語訳を紹介します。

参考文献
石田穣二『枕草子 上・下巻』(角川ソフィア文庫),『枕草子』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),上坂信男,神作光一など『枕草子 上・中・下巻』(講談社学術文庫)

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[古文・原文]

107段

関は逢坂(おうさか)、須磨の関。鈴鹿の関。岫田(くきた)の関。白河の関。衣の関。ただ越えの関は、はばかりの関にたとしへなくこそおぼゆれ。横走の関。清見が関。見る目の関。よしよしの関こそ、いかに思ひ返したるならむと、いと知らまほしけれ。それを、勿来(なこそ)の関と言ふにやあらむ。逢坂などをさて思ひ返したらむは、わびしかりなむかし。

[現代語訳]

107段

関といえば、逢坂(おうさか)の関、須磨の関。鈴鹿の関。岫田(くきた)の関。白河の関。衣の関。まっすぐ越えるただ越えの関は、遠慮してしまうはばかりの関とは正反対のもののように思える。横走の関。清見が関。男女が相逢うという見る目の関。まあいいだろうというよしよしの関は、どんな風にその名前を思い出したのだろうと、とても知りたいと思う。越えるのを思い留まった関を、「勿来(来るなの意味)」の関というのだろうか。男女が相逢うという意味の逢坂の関を、勿来の関のように思い返したのであれば、つらい気持ちになってしまうだろう。

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[古文・原文]

108段

森は浮田の森。うへ木の森。岩瀬の森。立ち聞きの森。

109段

原は、あしたの原。粟津(あわづ)の原。篠原。萩原。園原。

[現代語訳]

108段

森といえば、浮田の森。うへ木の森。岩瀬(いわせ)の森。立ち聞きの森。

109段

原といえば、あしたの原。粟津(あわづ)の原。篠原。萩原。園原。

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