『枕草子』の現代語訳:71

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清少納言(康保3年頃(966年頃)~万寿2年頃(1025年頃))が平安時代中期に書いた『枕草子(まくらのそうし)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。『枕草子』は中宮定子に仕えていた女房・清少納言が書いたとされる日本最古の女流随筆文学(エッセイ文学)で、清少納言の自然や生活、人間関係、文化様式に対する繊細で鋭い観察眼・発想力が反映された作品になっています。

このウェブページでは、『枕草子』の『いみじう心づきなきもの 祭、禊など~』の部分の原文・現代語訳を紹介します。

参考文献(ページ末尾のAmazonアソシエイトからご購入頂けます)
石田穣二『枕草子 上・下巻』(角川ソフィア文庫),『枕草子』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),上坂信男,神作光一など『枕草子 上・中・下巻』(講談社学術文庫)

[古文・原文]

117段

いみじう心づきなきもの

祭、禊(みそぎ)など、すべて男の物見るに、ただ一人乗りて見るこそあれ。いかなる心にかあらむ。やむごとなからずとも、若き男などのゆかしがるをも、引き乗せよかし。透影(すきかげ)にただ一人ただよひて、心一つにまぼりゐたらむよ。いかばかり心狭く、けにくきならんとぞ、覚ゆる。

ものへ行き、寺へも詣づる日の雨。使ふ人などの、「我をばおぼさず。なにがしこそ、ただ今の時の人」など言ふをほの聞きたる。人よりは少しにくしと思ふ人の、おしはかり言(ごと)うちし、すずろなるもの恨みし、我かしこなる。

[現代語訳]

117段

とても気に入らないもの

賀茂のお祭りや禊などで、何でも男が見物に出かけるのに、自分ひとりだけが車に乗っていくのは気に入らない。どんな気持ちで行くのだろうか。身分が高い人でなくても、若い家来などが見たがっているのであれば、一緒に車に乗せればいいではないか。車の簾の隙間から一人だけでふらふら出てきて、夢中で祭りを見ているなんて。どんなに心が狭くて、憎たらしい男なのだろうかと思う。

どこかに出かけたり、お寺に参詣したりする日の雨。使用人などが、「私を可愛がってくれない。誰々さんこそ、今の時の人である」などと言っているのを少し聞いてしまった時。少し憎たらしいと思っている人が、推測で物事を語ったり、的外れな怨恨を抱いたり、私は賢いといったような自惚れた顔をしているのも気に食わない。

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[古文・原文]

118段

わびしげに見ゆるもの

六、七月の午(うま)、未(ひつじ)の時ばかりに、穢げ(きたなげ)なる車に、えせ牛かけてゆるがし行く者。雨降らぬ日、張筵(はりむしろ)したる車。いと寒きをり、暑きほどなどに、下衆女(げすおんな)のなりあしきが、子負ひたる。老ひたる乞食(かたゐ)。小さき板屋の黒うきたなげなるが、雨に濡れたる。また、雨いたう降りたるに、小さき馬に乗りて御前したる人。冬はされどよし。夏は袍(うえのきぬ)、下襲(したがさね)も、一つにあひたり。

[現代語訳]

118段

つらそうに見えるもの。

六、七月の暑い日中の午・未の時に、汚らしい車を、貧相な牛に引かせて揺れながら行く者。雨の降らない日に、筵の覆いをしたままの車。とても寒い時や暑い時などに、身分の低い女でみすぼらしい身なりをした者が、子供を背負っている様子。年老いた乞食。小さい板屋の家で黒く煤けて汚らしい家が、雨に濡れている様子。また、雨が激しく降っているのに、小さい馬に乗って前駆をしている人。冬はまだ良い。夏になると、袍(うえのきぬ)も下襲(したがさね)も汗でぴったり一つになってくっついてしまう。

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